第6話 赤い目の噂

 クロティルデたちはエスケンに案内され、支部の食堂にいた。昼前の食堂は、まだ人がまばらにいる程度の様子だ。エスケンが入口に積まれている木製のトレーを三つ手に取り、二つをクロティルデたちに手渡した。


「それを持ってカウンターに並んでくれ」


 慣れた様子のクロティルデに従い、ニーナも広いカウンターに向かう。カウンターに着くと中にいる調理職員が笑顔で木のお椀と黒パンが乗った皿をトレーに乗せていった。お椀の中身は、野菜と牛肉のスープだ。ニーナが感動したかのように震えながら告げる。


「ちょ、ちょっと! スープにお肉が入ってるわよ?!」


 クロティルデはすまし顔で座るテーブルを探しながら答える。


「そうね、このくらいの町だもの。春でもこの程度の食事くらいは出るわ。――あそこに座りましょうか」


 百人は入りそうな食堂の中は、六人掛けの机が所狭しと並んでいる。クロティルデはその中の一つ、奥にある席を目指して歩き出した。ニーナはスープがこぼれないように気を付けながら、その後を追っていく。


 席に着いたクロティルデとニーナの向かいに、エスケンがトレーを置いて席に着いた。


「そういや、名前を聞いてなかったな」


 クロティルデはパンを裂きながら微笑んだ。


「あら、そうだったかしら? 私は退魔師バンヴィルカークロティルデよ。隣は事情があって保護することになったニーナ。ザンダー会長の許可を得て、私が監督することになったわ」


 エスケンが視線をニーナに向けると、彼女は震えながらパンを両手で持って見つめていた。


「ティルデ! パンが柔らかいわ!」


「そうね」


 木製のスプーンでスープから肉をすくい出したニーナが、それを口に含んで両目を固くつぶった。肉を味わってから飲み込んだあと、さらに感動に震える声でニーナが声を上げる。


「お肉も柔らかい! 私、お肉が入ったスープなんて何か月ぶりか分からないわ!」


 エスケンが楽しげな笑みでパンにかじりつき、飲み込んで告げる。


「どうやら農村の出身ってところか? なんでクロティルデが保護することになったんだ? それにニーナの左目、『風の聖眼クラール・ヴィント』じゃねぇのか? 退魔師バンヴィルカーの徒弟にするつもりか?」


 食事に夢中になるニーナを横目で見ながら、クロティルデもスープをひとさじ口に含んだ。


「……徒弟か。それも悪くないかもしれないわね。でも私が彼女を保護してる理由は、もっと別にあるの――彼女、右目が『嵐の魔眼ストルム』なのよ」


 それを聞いたエスケンの表情が凍り付き、ニーナのハンカチで隠された右目を凝視した。


「……そんなもんが町に来て、問題はないのか?」


「『天空の大鎌アドラー・フリューゲル』で斬れなかったから、『悪竜ニド・ヘグ』ではないわ。どういうことなのかは、ザンダー会長に調べてもらってるところよ。エスケンさんは何かご存じかしら」


 エスケンは肘をテーブルに突きながらニーナの笑顔を見つめていた。


「うーん……俺も片目の魔眼は聞いたことがねぇな。なるほど、それで『監督』してるのか。確かに、退魔師バンヴィルカーのそばにいれば『何があっても』対応できるからな。分かった、その件はクロティルデに一任しよう」


 クロティルデがスープにパンを浸し、口に運んで味わいながら頷いた。


「そうして頂戴。それで、情報が錯綜してるというのはどういうことなのかしら」


「――ああ、そのことか。実は二週間前から町に『赤い目を見た』という噂が入り始めてな。精査していくと、『どこかの町で見かけた』という話と、『赤い貴族がいる』という話に分かれるようだ。退魔調査員フェアフォルガーを派遣して各地を調べてるが、噂の出どころはまだ掴めていない。何人いるのか、本当に貴族にいるのか」


 クロティルデが憂鬱そうにため息をついた。


「貴族か、面倒な話ね。ちなみにこの支部は貴族に顔が利くのかしら」


 エスケン支部長が苦笑交じりに答える。


「利くわけがねぇ。あいつら自分たちを特権階級だと思ってやがるからな。証拠をつかんだあとならまだしも、その前の段階じゃ門前払いで終わりだよ」


 ニーナがきょとんとした顔でエスケンに尋ねる。


「貴族様が特権階級なのは、当たり前じゃないの?」


「なんだお前、話を聞いてたのかよ……退魔協会アドラーズ・ヴァハトはクヴェルバウム王国直轄の保安機関だ。協会に盾突くってことは、クヴェルバウム王国に盾突くってことでもある。普通なら断れねぇんだが、俺たちが平民だから、貴族どもは相手にしちゃくれねぇんだ。大陸のどこかには王侯貴族出身の退魔師バンヴィルカーもいるって話だが……そんな都合のいい奴がひょっこりと顔を出さねぇもんかねぇ」


 ニーナが視線をクロティルデに向ける。クロティルデは気にすることもなくスープを口にしていた。


「そう、『貴族に悪竜ニド・ヘグがいる』ってのは、確かな情報なの?」


 エスケンが真面目な顔で頷いた。


「かなり確度の高い情報だと思ってる。だがどこの貴族なのかは、尻尾を掴めてねぇ。あちこちの支部とも連携して調査にあたってるが、まだ有益な情報は得られてねぇな」


 クロティルデがパンの最後のひとかけらを口に放り込み、咀嚼して飲み込んだ。


「それなら話は早いわ。聖教会経由でなら、社交界に顔が利くはず。エスケンさんは聖教会と調整をして、社交場に出られるようにして頂戴。必要なドレスコードもあるでしょうから、そちらも二人分の用意をして」


 エスケンが眉根を寄せてクロティルデを見つめた。


「お前らが貴族社会に潜入するってのか? 大丈夫なのか?」


「なんとかなるわ。それより、ドレスの調達は可能なの?」


「うーん……男爵級のドレスが精一杯だなぁ。この町の服飾屋じゃ、それが限界だ。ほかの町にドレスを発注する時間は、おそらくないだろう」


「そうね、二週間前からの噂なら、残り二週間から四週間でしょうし」


 ニーナがスープが入ったお椀を空にしてから、小首をかしげてクロティルデに尋ねる。


「なんでタイムリミットがあるの?」


 クロティルデがニーナに優しく微笑んで答える。


「『嵐の魔眼ストルム』が暴走するまで、おおよそそのくらいなのよ。なるだけ力が暴走する前に『救済』してあげないといけないわ。情報を集める時間も含めたら、猶予はあまりないわね」


「そう……私、おかわりできないか頼んでくるわね!」


 一瞬、暗い顔を見せたニーナが立ち上がり、トレーをもってカウンターに向かっていった。その背中を見やりながら、エスケン支部長が告げる。


「社交界に行くなら、あのハンカチは何とかしねぇとな。あれじゃ社交場には入れねぇだろ」


 クロティルデが小さく息をついた。


「そうなのよね。何か心当たりはある?」


 エスケンがニヤリと微笑んで答える。


「そりゃお前、目を隠すなら眼帯だろう。社交界には軍人だって参加する。眼帯がドレスコード違反になるこたぁねぇはずだ」


「どれくらいで用意できるかしら」


「倉庫に在庫があるはずだ。あとで見に行くといい」


 クロティルデも食事を平らげ、頷いて立ち上がった。


「じゃあエスケンさんは、聖教会と社交場の交渉をお願い。ドレスの発注もね。レンタルならなんとか間に合うと思うわ」


「ああ、わかった。何か新しい展開があったら話をしに来る」


 トレーを手に持ったクロティルデが、カウンターでうなだれているニーナのもとへ向かった。おかわりができなかったニーナは食器を返却し、クロティルデと共に食堂を去っていった。


 残されたエスケンは、一人でパンを食いちぎりながらぼやく。


「しっかし、ガキの退魔師バンヴィルカーね。オーラはあるから腕は立ちそうだが、社交場じゃ舐められるだろうなぁ。司祭に相談してみるしかねぇか……」


 人材不足の退魔協会アドラーズ・ヴァハトで、ぜいたくは言えない。むしろ退魔師バンヴィルカーが支部にいてくれる幸運を喜ぶべきだろう。手早く食事を済ませたエスケンも、さっさと食堂をあとにした。





****


 女性職員に案内され、クロティルデたちは客間の前にいた。


「こちらがクロティルデさんの部屋になります。お連れの方は隣の――」


「いえ、一部屋で結構よ。隣の客間はキャンセルで」


 クロティルデの言葉に、思わずニーナが声を上げる。


「ちょっと?! 同室ってこと?! なんで私とティルデが同室なのよ!」


「あなた、少しは自分の事情を思い出して頂戴。一人にできるわけがないでしょう」


 女性職員は空気を読みながら口を開く。


「えっと……では、お二人は同室ということで承りました」


 足早に去っていく女性職員を横目で見送ったクロティルデが、部屋のドアを開けて中に入る。


「ニーナ! 早くいらっしゃい」


「うぅ……はーい」


 肩を落としながら入室するニーナと共に、クロティルデは荷物を置いてマントを椅子に掛けた。ブラウスとミニスカートがあらわになったクロティルデを見て、ニーナがつぶやく。


「そうしてると、さらに子供っぽいわね」


「何か言ったかしら? あなたも早くケープを脱いでしまいなさい」


 一瞬ためらったニーナが、ケープに手をかけた。見た目よりも重たいケープを椅子に掛けると、腰のポーチも机の上に置いていく。身軽になったニーナを見て、クロティルデがつぶやく。


「……そうしてると、本当に女子らしいボディラインよね」


 ニーナが両腕で体を抱きしめ、ジト目でクロティルデを睨み付けた。


「あなた、そっちの趣味でもあるのかしら」


「失礼ね。私に同性愛の趣味はないわ――それより、眼帯を探しに行くわよ」


 部屋の外に出たクロティルデを確認すると、ニーナはケープの内側からダガーナイフを取り出し、腰の裏に装着した。


「……狙える時に狙えれば、行けるかしら。でも同室か、油断してくれるかな」


 うつむくニーナに、部屋の外から顔をのぞかせたクロティルデが声をかける。


「どうしたの? 行かないの?」


「――今行くわ!」


 慌てて駆け出したニーナがクロティルデに追いつき、二人は支部の倉庫に向かって並んで歩き出した。





****


 倉庫はカウンターで仕切られていて、協会職員が荷物の管理をしているようだった。笑顔の若い男性職員が告げる。


「おや、退魔師バンヴィルカーと連れ合いさんかな。今日は何の用だい?」


「この子の眼帯がほしいんだけど、どんなものがあるかしら」


 クロティルデの言葉に、男性職員がニーナの顔を見つめた。


「ふーむ、女子用か。となると……ちょっと待っててくれ」


 職員が倉庫に並ぶ棚に向かい、いくつかの箱に手を突っ込んでいく。五つほどの眼帯を手にした職員がカウンターに戻ってきて、それを並べた。


「どれか好みのものはあるかい?」


 クロティルデは眉をひそめ、ひとつ一つデザインを見ていく。


「少し武骨なのばかり――ああ、黒バラなんてあるのね。このデザインで色違いはあるかしら?」


「ほかの色ってことかい? んー、ちょっと探してくるよ」


 再び倉庫の棚に向かった職員の背中を見て、ニーナが告げる。


「どれでも一緒だと思うんだけど……」


「そうもいかないわ。なるだけドレスを合わせやすいデザインがいいでしょう?」


「……そもそも、どうして私が社交場に行くって話になったの? それって貴族の前に出るってことでしょ?」


 クロティルデがため息交じりに答える。


「あなたを一人で放置なんてできないでしょう? 私が不在の間に『悪竜ニド・ヘグ』に変わったら、どうなると思ってるの? この支部なんて滅茶苦茶にされるわよ」


 ニーナが反論しようと口を開けるのと、職員が新しい眼帯を手に戻ってくるのが同時だった。


「なんとかあったよ! 白いバラ紋様の眼帯! これならどうかな?」


 クロティルデが頷いてそれを受け取った。


「ありがとう、これは受け取っておくわね。それと魔導銃カラミテートの弾倉だけど、予備を含めて五十ほどもらえるかしら」


 男性職員が目を見開いて答える。


「五十?! どこかに殴り込むつもりかい?!」


「ここに来るまでに結構使ってしまったし、滞在中は射撃訓練をしたいの。在庫は足りる?」


「う~ん……なんとか足りるけど、重たいよ? 運べるのかい?」


「あとで部屋に届けてもらえるかしら。それと汎用魔導銃クライネ・カラミテートも、あればひとつ頂ける?」


 職員がきょとんとしたあと、ニーナの左目を見て頷いた。


「ああ、そっちの子に銃を教えるのか! あるよ、ちょっと待ってて」


 職員が鍵付きの区画に向かい、柵を開けて中から小型の何かを手に取り戻ってくる。カウンターに置かれたそれは、魔導銃カラミテートそっくりだ。それを手に取ったクロティルデが、微笑んで告げる。


「ありがとう。じゃあ頂いていくわね。弾倉の件、よろしくね――行くわよ、ニーナ」


「え? え? どういうことなの?!」


「いいから、戻るわよ」


 ニーナはクロティルデに背中を押されながら、客間へと戻っていった。

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