第2話 嵐の魔眼
雪解けが終わったシュタインドルフ村では、春の農耕季節が訪れていた。あちこちの畑で牛や馬に
ニーナは家の裏にある小さな畑で、母親や幼馴染のフォルカーと一緒に雑草をむしっていく。泥まみれになりながら、三人は着々と畑を整備していった。
ニーナの母親がフォルカーに告げる。
「いつも悪いわね、手伝ってもらって」
「いえ、家には兄さんたちがいますから。俺は手が空いてますし」
そう微笑むフォルカーの両目は緋色に染まっていた。ニーナが不安げにフォルカーに尋ねる。
「その目、まだ治らないの?」
「うん……何の病気なんだろうな」
ニーナの母親が明るく笑いながら告げる。
「体は健康そうだし、考えても仕方ないわ。お薬なんて、あっても買えないし」
「そう……ですよね」
フォルカーの手が自分の目に伸びる。ニーナが見つめているのに気が付くと、フォルカーは微笑みでニーナに告げる。
「大丈夫、問題ないよ」
ニーナがため息をついて答える。
「だといいんだけど」
ニーナの母親が笑顔で立ち上がり、二人に告げる。
「お父さんを呼んできてもらえる? そろそろお昼にしましょう」
ニーナも頷いて立ち上がった。
「はーい――フォルカー、行こうか」
頷くフォルカーと一緒に井戸水で手を洗うと、ニーナは二人で畑に向かって歩き出した。
****
ぬかるんだ道を歩きながら、フォルカーがニーナに告げる。
「俺たちも十六歳、そろそろ結婚を考えないとな」
ニーナが笑いながら答える。
「あら、フォルカーには結婚相手の心当たりがあるの?」
「――それは! その、いないことも、ないけど」
「私にはいないわ。少しうらやましいわね」
微笑みながら歩いていたニーナが、泥道に足を取られて転びかけた。とっさに手を出したフォルカーがニーナを受け止め、二人の体が密着する。
「――ふぅ。ありがとうフォルカー。いつもごめんね」
「……気にしないでくれ。ニーナのドジは今に始まったことじゃないし」
「なにそれ! フォルカーだって転ぶことはあるじゃない!」
楽しげな笑い声を上げるフォルカーから体を離しながら、ニーナはむくれて歩き始める。
やがてニーナの家の畑に辿り着き、牛を使って畑を耕しているニーナの父に彼女は声を上げる。
「お父さん、そろそろお昼ですって!」
「――ああ、わかった!」
牛を操り、畑から出てくる父親を見守りながら、ニーナは隣にいるフォルカーを横目で見た。
――結婚相手か。この村に年の近い男性って、フォルカーしかいないのよね。となると、結局フォルカーになるのかな。実感が湧かないや。
父親が畑から牛を連れて上がってくると、三人はゆっくりとした足取りで家に向かって歩き出した。
****
ニーナの家で昼食を取るフォルカーに、ニーナの父親が告げる。
「フォルカー、お前の結婚はいつにするんだ?」
「え?! そりゃ、そろそろかなって思いますけど。相手が……」
ニーナの母親が楽しげに笑みをこぼしながら告げる。
「あら、それならニーナがいるじゃない。それとも、ニーナを他の人に譲るつもりなの?」
「そんなつもりはありませんけど、ニーナが……」
ニーナに三人の視線が集まり、彼女は戸惑った笑みを返した。
「私が、なにかな? どうしたの? それに結婚なんて、この村で相手を探さなくてもいいじゃない。フォルカーだって、村の外からお嫁さんを探したら?」
ニーナの母親が優しい微笑みでニーナに告げる。
「隣村まで距離があるわよ? 意地を張らずに、フォルカーに嫁いでおきなさいな」
――そんなこと言われても、フォルカーは幼馴染だし。
だがこれから隣村で結婚相手を探すのも、かなり大変だろう。見ず知らずの土地で見ず知らずの相手に嫁ぐ。それよりは幼馴染でもフォルカーと結婚する方がマシなのかもしれない。そうニーナが戸惑いながら、春野菜が入った麦がゆに硬い黒パンを浸して口に運んだ。
ニーナの父親もパンを口にしてから告げる。
「フォルカーの家は三人兄弟、結婚相手もいるし、あちらの畑にフォルカーが受け継ぐ分はないだろう。お前が我が家の畑を受け継いでくれるなら、うちも助かる。我が家はニーナ一人だけだしな」
ニーナが唇を尖らせながら告げる。
「お父さんも、どうしてフォルカーと私をくっつけようとするのかな。私だって相手を選びたいわ」
「おや? フォルカーじゃ不満なのかい?」
「不満ってわけじゃないけど……幼馴染のまま結婚までって、なんだか人生が決まってるみたいで息苦しいわよ」
ニーナの母親が麦がゆをひとすくい飲んでから告げる。
「ぜいたくを言っても生きてはいけないわ。相手がいるだけ幸運と思っておきなさい」
――そんなものかなぁ。
ニーナが視線をフォルカーに向けると、フォルカーは恥ずかしそうに視線をそらしてパンを口に放り込んだ。そんな二人の様子を見たニーナの両親は、楽しげに笑い声をあげていた。
****
午後になり、ニーナの父親の畑仕事をフォルカーが手伝い始めた。ニーナも一緒になって麦の種まきをしていく。そんな一家の様子を遠くから窺う、三人の黒服の男たちがいた。彼らは近くの森に身を隠しながら、フォルカーに視線を向けていた。
「間に合うと思うか」
「反応は近かった。今日中には来てくれるはずだ」
「今のところは平穏だが……いつ暴走するか」
不穏な言葉を交わす男たちは、時折村の入り口に目をやりながら、フォルカーの畑仕事を見守り続けた。
異変があったのは、午後二時を過ぎる頃だった。突然フォルカーがうずくまり、泥で汚れた手で両目を押さえていた。うめき声をあげているフォルカーに、ニーナが駆け寄っていく。
「フォルカー?! どうしたの!」
返事の代わりに、フォルカーを中心として嵐のような突風が吹き荒れた。突風は暴風となって、種まきが終わったばかりの畑を掘り返していく。
ニーナの父親も牛を操る手を止め、何事かと目を向けた。牛は恐慌状態に陥り、暴れ出す牛を抑えるのに父親は必死だった。
遠くでその様子を見守っていた黒服の男がつぶやく。
「始まったか」
「間に合わなかったな。我々では対処できん。どうする?」
「待つしかあるまい」
周囲の畑すら暴風の圏内に含め始めたフォルカーを、黒服の男たちは静かな表情で見守った。
****
フォルカーが巻き起こす暴風が、近くにある水車小屋の藁ぶき屋根を吹き飛ばしていく。きしむ水車も、ついに暴風にまきこまれて崩れていった。
付近の畑も土を巻き上げられ、種まきが終わったばかりだというのに台無しだ。農作業をする村人たちは、距離を取りながら嵐の中心――フォルカーに目を向けていた。
フォルカーは雄たけびを上げながら血涙を流し、悲壮な声を上げる。
「ニーナ! 助けてくれ!」
――助けてって言われても!
近くにいたニーナは暴風で逃げることもできず、地面に伏せて吹き飛ばされないようにするので精一杯だ。必死に近づこうとするが、立ち上がることもままならない。
遠く背後から、可憐な少女の声が辺りに響き渡る。
「今、助けてあげる」
――え?!
振り向いたニーナが見たのは、全身黒ずくめの小柄な少女の姿。その手には光でできた大鎌が握られていた。少女が大鎌を構えて振りぬくと、大鎌から光の刃が飛び出してフォルカーに向けて飛来した。刃は暴風をものともせずに切り裂いていき、そのままフォルカーの肩口に突き刺さった。
悲鳴を上げるフォルカーが立ち上がり、光の刃を引きはがそうとする。だがその手は刃に弾かれ、触ることもできない。
少女は足に魔力をまとい、ぬかるんだ泥道の上を軽やかに駆けながらフォルカーに向かって疾走し始めた。切り裂かれた暴風の道をまっすぐ走る少女は、フォルカーに向かって大鎌を振りぬく。
肩口から袈裟切りに光の大鎌で切り裂かれたフォルカーは、雄たけびを上げて吠えた。だがその声からすぐに力が失われていき、全身が光に包まれ、体が光へと帰り始める。
ニーナが呆然とする中、フォルカーは安らかな顔で光へと帰っていった。
****
嵐のような暴風が収まった畑の中で、ニーナは呆然とフォルカーがいた場所を見つめていた。残された衣服だけが彼の存在を物語っている。
「……フォルカー?」
ふらふらと立ち上がったニーナは、フォルカーの衣服に向かって頼りげなく歩いていく。その衣服の目の前で足を止めるとかがみこみ、彼の残した衣服を胸に抱いた。
少女――クロティルデはゆっくりとした足取りでニーナのそばまで歩いていく。ニーナの背後に辿り着いたクロティルデが、微笑みながら告げる。
「彼の魂は『救済』されたわ。もう苦しむこともない。あなたたち、よく頑張ったわね」
ニーナはうつむきながら声を上げる。
「――彼はどうなったの?!」
「だから、『救済』されたのよ。魔に魅入られ『
ニーナがゆっくりと顔を上げ、クロティルデを睨み付けた。その双眸は変わり果て、右目は緋色に、そして左目は金色に染まっていた。
クロティルデが表情を変えて咄嗟にニーナから距離を取り、大鎌を構えた。
「――『
だが緋色は片目だけで、もう片方はクロティルデと同じ金色――『
「どちらにせよ、『
大鎌の刃が立ち上がっていたニーナの胸に深々と突き刺さる。
ニーナは大鎌を見下ろしながら告げる。
「これで……私もフォルカーの元へいけるのかしら」
――
慌てて大鎌を引き抜いたクロティルデが、今度はニーナを袈裟切りに切り裂いた。だがニーナは平然とした顔でクロティルデの顔を見つめていた。
呆然とするクロティルデに、ニーナが告げる。
「どうしたの? 私もフォルカーみたいに殺さないの?」
逡巡したクロティルデが、ため息をついて大鎌を手から消した。
「……駄目ね。あなたは『
だが――クロティルデが視線を周囲にめぐらすと、村人たちは緋色になったニーナの右目に視線を寄越し、ひそひそと小声で話をしていた。その顔には明らかに敵意が見られる。辺りの畑は台無しで、近くの水車小屋も使い物にならない。
フォルカーの衣服を抱きしめながら、ぼんやりしているニーナにクロティルデが告げる。
「このままここに居ると、あなたの命が危ないわ。『
ニーナの表情が険しくなり、クロティルデを睨み付けた。
「なんであなたについていかなきゃならないの?」
「言ったでしょう? ここに居ても殺されるだけよ。それにあなたがいつ『
クロティルデがニーナに向かって手を差し出した。
ニーナはフォルカーの衣服をきつく抱きしめ、クロティルデを見据えた。
「……一緒にいれば、フォルカーの仇を討てるかしら」
クロティルデが余裕を持った笑みで答える。
「あなたごときに殺されるようじゃ、
わずかに悩んだニーナが、差し出されたクロティルデの手を握り返した。
クロティルデは満足して微笑み、ニーナに告げる。
「私はクロティルデ、『ティルデ』でいいわ。あなたの名前は?」
「……ニーナよ。でも、気安く名前を呼ばないで」
「そう? じゃあ、今すぐ旅の支度をして頂戴。日が暮れる前に村を出るわ」
クロティルデの手を振り払ったニーナは、自宅へ向けて歩き出した。クロティルデはその背中を守るように、ゆっくりとニーナを追いかけた。
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