第1話 妹と起きる朝
「暑い……」
和室の畳の上に敷かれた布団で目を覚ました俺――宝生蒼の第一声がそれだった。
だけど部屋が暑いわけじゃない。掛け布団だって蹴っ飛ばしているし、それにまだ五月だ。季節的にはまだ春なんだから夏のように暑いわけがない。
だが、確実に俺の体を暖めている存在はいた。
「暑苦しい……」
今日もかと思い、目線を下にして暑苦しい原因を見てみると、
「すぅ、すぅ……」
可愛い寝息を立てている双子の妹――るびぃが、俺の体に抱きついていた。
パジャマ姿のまま、抱き枕のように俺にしがみつき、ご丁寧に俺の腕を枕にして、清楚で慎ましい胸が俺の腕にあたり、さらにはお互いの足を絡めてきている。
これが彼女とかだったりしたら、嬉し恥ずかしイベントなんだけどな……。
「何でこうも毎回毎回……」
朝起きると妹が抱き枕にしているのは、今日が初めてじゃない――というか毎日だ。
もちろん最初からではない。
確か小学生ぐらいからだったような気がするが、まあ、もう気にするのも面倒だ。
「んっしょっと……」
るびぃを起こさないように腕と足を引き抜くのなんて朝飯前だ。
……すぐに起きることになるけど。
立ち上がるとそのまま俺は、部屋の光源を求めてカーテンをパッと開いた。
「ん、ん? ふわあ、おはよ、にーさん……」
目を覚ましたばかりのるびぃは起き上がると、欠伸をして目をパチパチとさせて、ショートヘアーの髪を手でゆっくりと梳いている。可愛い妹だ。
「おはよう、るびぃ」
テンションが低い挨拶に俺もとりあえず返してから、一応訊ねてみる。
「で、今日はどうして俺の布団で寝ているんだ?」
「ふわあ、えっと、夜中に天井でマンドリルが運動会していたから寝れなくて……」
るびぃの部屋は二階で、俺の部屋は一階だから、ここで寝ている理由としては合っている気がする。本当にマンドリルが天井にいて運動会をしていたらの話しだけど。
「そうか、それは大変だったな……」
だけど追求はしない。
朝起きたら一緒に寝ていた。それだけで何もないのだから。
……だが我が妹よ、いよいよ絶対に嘘だとわかる嘘をつき始めたな、最初の頃は、
『一人じゃ寝れなくて』←自分の枕を持ってきていた。
『怖い夢を見たから』←ちょっと涙目だった。
『にーさんのそばにいたいから』←モジモジしていて可愛かった。
なんて可愛いことを言ってくれていたのに、今となってはこれも全部嘘なんだよな。
……じゃあ、本当の理由は何だろうか?
「なあ、るびぃ……」
今まで深く考えてこなかったが、不意に気になってしまった。
「ふわぁ、なぁに……」
いつもならこのまま流して二人で起きるのだけど、もしかしたら、まだ寝ぼけたままの状態なら、本当の理由を教えてくれるかと思い、期待せずに訊ねてみた。
「俺と一緒に寝る本当の理由は?」
「ふわっ、にーさんがモテ――あっ!」
話していた途中で急に頭を起き上げて覚醒したるびぃ。俺と目が合うが、誤魔化そうとしているような雰囲気を感じる、途中まで本当の理由を話していたようだ。
「えっと、その……」
るびぃが言うつもりだった続きの言葉を予測して言ってみる。
「にーさんがモテ――るから私も一緒に寝たい。とか?」
「………………」
妹よ、お兄ちゃんを白い目で見るのはやめなさい。
「にーさん、今まで付き合った人数は?」
「ゼ、ゼロです」
「告白された回数は?」
「……ゼロです」
「女の子の友達の人数は?」
「ゼ、ゼロ……」
「今まで女の子とキスしたことは――」
「だああああっ! 悪かったよ! 変なこと言って! そうですよそうですよ! 全然モテませんよ! だから淡々と事実を突きつけるのはやめろ!」
これ以上事実がグサグサと刺さるのが嫌で、起き上がりながら無理矢理遮った。
「わかればいいんです。わかれば、ふわあ……」
るびぃはしてやったりみたいな顔をしている。
……誤魔化されたか? ちくしょう。
「でもお前だって同じだろ?」
「何がです?」
やられっぱなしは嫌なので、言い返してみる。
「だから、その、さっきの質問、お前だって似たようなもんだろ? お前の学校の友達とか見たことがないぞ」
妹が兄のことを知っているように、俺だって妹のことを知って――、
「キスの経験だけ、ありますね」
……え、キ、キス? え、妹のるびぃにキスの経験がある?
いや! そ、そんなわけない!
「る、るびぃも意地が悪いなぁ、お、お兄ちゃんのことをからかっているんだろ? 魚だろ? 魚のキスのことだろ?」
魚のキスを食べたことがあるか……も、もしくは、魚のキスとキスしたことがあるとかそんな感じだろ。そうだよな!? じゃないとお兄ちゃんの心がしんどいぞ!
「何ですか、その古くさいボケは?」
古くさい!?
妹が先にキスをしていた事実とは別のダメージが俺を襲う。
「ちゃんと、キスしましたよ」
るびぃが自分の唇を人差し指でなぞって強調してきた。
「ごくっ……」
兄妹のひいき目無しで、妹は可愛い。
クラスメイトにも人気なようで、るびぃは正直言ってかなりモテる。テンションが低いクールな雰囲気が、ミステリアスで可愛いというのをよく聴く。
そんな妹だから、いつかそういうことがあってもおかしくないのだが、
「そ、そっか……」
いざ本当にあると、受け入れ難しこの上ないな……べ、別に兄である俺よりも妹に先に越されて悔しいとかじゃないからな……嘘です、悔しいです。
「………………」
「………………」
で、何だこの微妙な空気は?
「じー……」
何を考えているのかわからない無表情から突き刺さる妹の視線が痛くて、
「相手、だ、誰なの?」
気付いたらそんなことを口走っていた。
「………………」
「………………」
だから何なんだこの空気は?
それでも無表情の妹の反応を待っていると、
「にっ」
――っと、らしくなくイタズラっぽく笑い、
「すっっっごいモテていたのがムカついたので、私が初めてを奪ってやりました!」
親指を立ててそんなことを言ってきた。
「……え?」
い、いつものらしくない妹の反応はさておき。
初めてを奪った? キスのことだろうか? ……というかその言い方だと、るびぃが無理矢理奪った言い方なんだけど、それっていったい誰のこと……?
「それじゃあ私は先に洗面所へ向かいますから」
「あ、ちょ……」
こっちの心情を知ってから知らずか、無表情に戻ったるびぃは立ち上がると、いつものテンションが低いクールな雰囲気で俺の部屋を出て行った。
「………………」
あとに残されたのは部屋で佇む全て経験ゼロの男が一人。
「ちょ、ちょっと待って! ちょっと!」
俺は急いで寝ていた布団をそれっぽく畳み、先に出ていた妹を追いかけた。
――――――。
俺たち兄妹が住んでいるのは家ではなく、正確には学生寮だ。
だから、所々普通の家じゃありえない箇所があり、例えば、洗面所は普通の家だと一つしかないと思うけど、ここには二つ隣あっていたりする。
隣で先に顔を洗っていたるびぃに、それとなく顔を洗いながら訊ねてみる。
「さ、さっきのことだけどさ……」
「さっき? 何のこと?」
濡れた顔を拭きながら、キョトンとした顔でるびぃは言った。
忘れるには早すぎるだろ!
それともるびぃにとってはたいしたことではなかったりするのか!?
「だ、だからその、お前がその……」
るびぃが『無理矢理キスした相手』が誰か訊きたい筈なのに、それ以上言葉が出てこない。
……というか俺は、妹のキスの相手を知りたいのか?
「にーさん?」
キョトンとした顔で小首を傾げる我が妹。うん、可愛い、すっごく可愛い。
そんな妹のるびぃが、俺の知らない所で実は……、
『うん、実はにーさんが中学生の時に当時モテていたクラスメイトと……』
俺の知らないところで妹が大人になってる?!
『え? 実は小学生の時にクラスのモテていた男子とノリで……』
俺の妹がそんな軽薄なわけないだろ、妄想とはいえぶっとばすぞ!
……これ以上知れば、心がもたない気がする。
妹がモテるのは、兄貴として誇らしい気持ちはあるけど、俺はないけど妹は経験があるのってのが、何かちょっと、ま、負けた気分というか、複雑な気分……。
「それじゃあ私は着替えてくるから、にーさんも早く着替えてね」
「え?」
気付いたら目の前から妹が消えていた。声のした後ろを振り返ると、
「また後で」
それだけ言い残すと、こっちの気持ちを知ってから知らずか、いつもと変わらない普段通りの素っ気なさで、るびぃはそそくさと自分の部屋がある二階へと上がっていった。
るびぃの階段を上っていく軋み音が聞こえてくる。
「えっと……」
……結局誰なんだ?
『すっっっごいモテていたのがムカついたので、私が初めてを奪ってやりました!』
そう言うってことは、たぶんるびぃが自らキスしたのは嫉妬心からだと思う。
だから、相当モテていた男が俺たちの過去にいたと思うんだけど、俺の記憶にはそんな奴はいない。
そもそも男というか人に興味がないるびぃが嫉妬するほどの男っているのか?
そう考えると……嘘?
でもこんな嘘を吐く理由もない気がするし、それに……兄妹の勘だが、あれはたぶん本当な気がする。
妹が、俺の知らない誰かと、キス――、
「や、やめよう、これ以上考えても何もわからない……」
それに世の中には知らない方が良いことだってある。
これ以上訊くのも考えるのもやめて忘れよう。うん、それがいい、それがいい。
「うおおおおっ!」
結果、今日の洗顔は一段と身の引き締める気持ちで洗った。
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