【最終章(エピローグ)―受け継がれる剣―】
春の穏やかな風が、王城の中庭を優しく抜けていく。淡い桜色の花びらが舞い、地面に柔らかく落ちる音が、静かな調べのように響いていた。かつて、この王都は血と鉄の匂いに満ち、戦火の残り香が街全体を覆っていた。焼け焦げた壁、崩れた家屋、絶え間ない叫び声――それらは今、遠い記憶のように感じられる。瓦礫は一つひとつ丁寧に片付けられ、城壁は熟練の職人たちの手によって補修された。焼け落ちた家々の跡地には、新しい木材が積み上げられ、鮮やかな赤い屋根が次々と並び始めている。街路には花壇が作られ、色とりどりの花々が咲き乱れ、土と新緑の香りが漂う。
戦争は、確かに終わった。だが、平和はまだ「途中」だった。傷跡は深く、癒えるには時間がかかる。民たちは笑顔を取り戻しつつあるが、夜になると失った家族の影が忍び寄る。復興の道は長く、誰もがそれを理解していた。
謁見の間は、広々とした空間に黄金の陽光が差し込み、荘厳な雰囲気を醸し出していた。玉座の前に立つ若い文官は、緊張した面持ちで書類を手にしていた。彼の声は澄んでおり、報告は丁寧だった。
「……報告は以上です。北部街道の復旧工事は、予定より一月早く完了する見込みです。資材の調達がスムーズに進み、労働力も十分確保できました。また、食糧の配給も安定し、難民たちの帰還が徐々に始まっています。各地から届く報告では、民の不満も少なく、皆が前向きに取り組んでいるようです。」
玉座に座るエリシアは、静かに頷いた。彼女の瞳には、疲労の色が少し混じっていたが、それ以上に強い意志が輝いていた。金色の髪を優雅に束ね、簡素ながらも王族らしいドレスを纏っている。彼女はゆっくりと口を開いた。
「……ありがとう。引き続き、民の声を最優先にしてください。街道の復旧は重要ですが、作業員の安全も忘れずに。食糧については、収穫の季節を考慮して、備蓄を増やしましょう。もし何か問題が発生したら、すぐに報告を。」
文官は深く頭を下げた。「はい、陛下。お言葉、肝に銘じます。」
その「陛下」という呼び名に、エリシアはもう動じなかった。最初は違和感が拭えなかったが、今ではそれが彼女の役割の一部だと受け入れていた。文官が退出すると、部屋は静けさに包まれた。
謁見の間の奥、太い柱の陰で、レオンは腕を組み、壁にもたれていた。鎧は着ていないし、団長の外套も今は羽織っていない。ただの青年の姿――黒いシャツとズボン、腰に剣を差しただけのシンプルな装い。戦場での彼は、常に緊張感を纏っていたが、今は穏やかな表情を浮かべている。
(……本当に……ここまで来たんだな……。あの血塗れの戦場から、こんな平和な日々が来るなんて。エリシアが女王として、民を導いている姿を見ていると、胸が熱くなるよ。)
彼の心の中で、過去の記憶がよみがえる。剣の衝突音、仲間たちの叫び、そしてエリシアの決意の目。すべてが今につながっている。
謁見が終わり、部屋から人々が引いていく。エリシアは玉座から立ち上がり、深く息を吐いた。「……ふぅ……。今日も長かったわね。」
レオンが柱の陰から出てきて、静かに声をかけた。「……お疲れ様です、エリシア。」
彼女は振り返り、苦笑を浮かべた。「……“陛下”は、やめて。まだ……慣れないわ。あの呼び名を聞くたびに、肩が重くなるの。」
レオンは軽く肩をすくめて微笑んだ。「……なら、“エリシア”でいいか? それなら、昔みたいに。」
「……ええ、そうして。」
一瞬、二人は目を合わせる。そこには、戦場で交わしたような鋭い視線ではなく、柔らかな、互いの温もりを感じる時間があった。春の風が窓から入り、カーテンを優しく揺らす。
レオンが、静かに尋ねた。「……王国は……どうだ? 復興の進み具合は。」
エリシアは窓辺に寄り、外の景色を眺めながら答えた。「……正直に言えば……壊れたところだらけよ。城壁は直ったけど、田畑の多くが荒れ果ててる。民の家も、半分以上が再建途中だし、経済もまだ不安定。でも……立て直せるわ。民が生きているから。みんな、必死に働いてるのを見ると、希望が湧いてくる。」
レオンは頷いた。「……あなたが……守ったんだ。あの戦いで、すべてを賭けて。」
エリシアは首を振った。「……レオン、一人で守ったわけじゃないわ。白銀百合騎士団の皆も、民たちも、そして……あなたも。あなたがいなければ、私はここにいなかった。」
沈黙が訪れた。春の光が床に長く伸び、二人の影を優しく包む。エリシアが、ふと口を開いた。「……ねえ、レオン。」
「……なんだ?」彼の声は穏やかだった。
「……あなた……これから……どうするの? 騎士団長として、ずっと続けるの?」
その問いは、静かで、重かった。レオンは少し考え、窓の外を見つめながら答えた。「……団長は……続けるよ。」
エリシアは驚いたように目を瞬かせた。「……でも……あの戦いで、あなたはもう剣を置くって言ってたわよね? 戦争が終わったら、静かに暮らすって。」
「……だからだよ。」レオンは拳を軽く握りしめた。「……俺は剣を振るうためじゃなく、“終わらせるため”に剣を持つ。次の戦争を起こさせないために。平和を守るために、騎士団は必要だ。民の安全を確保し、脅威を未然に防ぐ。それが俺の役割さ。」
エリシアは微笑んだ。「……あなたらしいわね。いつも、みんなのことを考えて。」
「……それと……」レオンは少し言い淀み、顔を赤らめた。「……俺は……あなたの……剣でいたい。」
その言葉に、エリシアは一瞬、言葉を失った。「……それは……騎士として?」
「……それも……一人の男としても。あなたを守り、支えたい。ずっと、そばにいたいんだ。」
エリシアはゆっくりと歩み寄り、レオンの手を優しく取った。その手は、戦場で傷ついた痕跡が残るが、温かかった。「……なら……私は……あなたの“帰る場所”でいるわ。剣を置いた時、いつでも戻ってきて。あなたがいるから、私は強くいられるの。」
二人は互いの手を握りしめ、静かに見つめ合った。外では鳥のさえずりが聞こえ、平和な時間が流れる。
城の地下、静かな武具庫。埃っぽい空気に、古い剣や鎧の匂いが混じる。薄暗いランプの光が、二つの剣を照らしていた。一本は深紅騎士団長グラン=ヴァルディスの大剣。重厚で、刃に血の跡が残るように見える。もう一本はレオンの双剣、洗練された白銀の輝きを放つ。
カイルが、剣の前に立ち、尋ねた。「……この大剣は……どうするんですか? 敵の遺物として、処分する?」
レオンは剣を見つめ、静かに答えた。「……封印する。だが……消さない。記録として、“彼が存在した証”として残すんだ。グランは敵だったけど、戦士として敬意を払うべきだ。彼の剣が教えてくれた教訓を、忘れないために。」
カイルは頷いた。「了解です。では、双剣は?」
レオンは腰の剣に触れ、微笑んだ。「……これは……次の世代へ。俺の剣じゃない、“白銀百合の剣”だ。騎士団の象徴として、受け継がれるべきものさ。俺が引退したら、若い騎士に託すよ。」
カイルは静かに敬礼した。「……団長の意志、受け継ぎます。」
数日後、城の中庭で再建を祝う小さな式典が開かれた。民も騎士も、肩書きを外して集まり、笑顔が溢れる。簡素なテーブルにパンとワインが並び、子供たちの笑い声が響く。
エリシアは簡素な白いドレスで壇に立ち、声を張った。「……この国は……多くを失いました。家族、故郷、平和な日常。でも、剣が守ったのは命だけではありません。希望です。私たちは立ち上がる力を持っています。皆さんの協力で、王国は再生します。」
視線がレオンへ向く。「……白銀百合騎士団長、レオン。」
呼ばれ、彼は一歩前へ出た。エリシアは続けた。「……あなたは剣を振るうことより、剣を“止める”選択をしました。その剣は、この国の未来です。ありがとう。」
拍手が沸き起こる。レオンは頭を下げた。「……俺は……ただ……受け継いだだけだ。意志を、命を。先輩騎士たちの遺志を、民たちの勇気を。みんなのおかげさ。」
夕暮れ、城壁の上。二人は並んで立ち、修復中の街を眺める。夕陽が街を赤く染め、遠くで人々が働いている姿が見える。
エリシアが呟いた。「……綺麗ね。この景色、戦前より美しいわ。」
レオンは微笑んだ。「……ああ。みんなの努力の賜物だよ。」
エリシアがふと尋ねた。「……ねえ……もし……また……剣が必要になったら? 脅威が迫ってきたら、どうするの?」
「……その時は……迷わず取る。でも、終わらせたら……また置く。剣は手段であって、目的じゃない。平和を維持するために。」
エリシアは頷いた。「……それでいいわ。私も、あなたを信じてる。」
夜、星が瞬く空の下。城の武具庫の奥で、大剣と双剣が静かに並んでいる。剣は語らないが、そこに“物語”は残っていた。戦いの記憶、犠牲の重み、そして希望の光。
それを見守るように、白銀の百合が風に揺れていた。花びらが優しく舞い、未来への約束を囁くように。
――完――
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