【第十四章 揺れる王国】

王城アストリアの謁見の間は、まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。

高い天井から吊るされたシャンデリアの灯りが、長い長机を淡く照らす。両側に並ぶのは、王国の重鎮たち──老練な宰相、名門貴族の当主たち、眉間に深い皺を刻んだ将軍、そして白銀の鎧を纏った騎士団長たち。誰もが口を閉ざし、息を潜めている。

王レオニダスは玉座に深く腰を沈め、指を組んでいた。長い沈黙の果てに、彼は低く、しかし確かな声で言った。

「……報告を始めよ」

軍務大臣が一歩前に出て、広げた羊皮紙の地図を指差した。声は抑えられているが、震えが混じっている。

「ヴァルディア帝国軍紅鉄軍は、国境線に三個軍団──およそ六万の兵を展開しております。補給線は既に確保され、短期決戦を狙った布陣です」

ざわめきが広がった。貴族の一人が額の汗を拭い、隣の将軍が拳を握りしめる。

レオニダス王は静かに続けた。

「《深紅騎士団》の動きは?」

軍務大臣は一度息を呑み、答えた。

「先遣部隊が既に前線に到着。《深紅騎士団》の本隊も、間もなく合流する見込みです」

「団長は……?」

誰もが知っている名を、軍務大臣は小さく口にした。

「……グラン=ヴァルディスでございます」

その瞬間、すべての視線が一人の青年に集中した。

白銀百合騎士団副団長、レオン。

彼は長机の端に立ち、背筋を伸ばしたまま微動だにしない。だが、瞳の奥に揺れる感情を、誰もが見逃さなかった。

レオンは唇を結んだまま、何も言わなかった。

(……知っている。あの男が来ることは)

(だが……まだ、口にする時ではない)

王は視線を宰相に移した。

「帝国の要求は?」

宰相はゆっくりと立ち上がり、古びた羊皮紙を手に取った。声は落ち着いているが、指先がわずかに震えている。

「無条件降伏を求めています。条件として……王国の自治権の一部を残す代わりに、軍の完全解体、白銀百合騎士団の再編を要求。そして……」

宰相は一度言葉を切り、エリシア王女を見やった。

「……王女殿下を、帝国へお輿入れいただくこと」

部屋の空気が、一瞬で凍りついた。

貴族の一人が息を漏らし、将軍が歯を食いしばる音が聞こえた。

レオニダス王は目を閉じ、深く息を吐いた。

「……人質か」

「これは戦争ではない」王は静かに呟いた。「支配だ。完璧な、屈辱的な支配だ」

沈黙が、再び重く落ちる。

そのとき、澄んだ声が響いた。

「……父上」

全員が顔を上げた。

エリシア王女が、ゆっくりと立ち上がっていた。白いドレスの裾がわずかに震えているが、瞳は揺るがない。

「……私が……帝国へ行けば」

言葉を切って、彼女は深呼吸した。

「……戦は、避けられるのですか?」

王は答えなかった。代わりに宰相が、苦々しく口を開いた。

「一時的には……おそらく。だが帝国は約束を守りません。過去の例を挙げればキリがありません」

エリシアは静かに頷いた。

「それでも……」

彼女は一歩前に出て、テーブルに両手を置いた。

「民が助かるなら。私は王女です。その責務を、果たすべきだと……思います」

その言葉に、誰もが息を呑んだ。

突然、鋭い声が響いた。

「……違う!」

レオンだった。

彼は一歩踏み出し、声を張った。

「それは選択じゃない。ただ奪われているだけだ!」

エリシアが、驚いたようにレオンを見た。

「……では、レオン様はどうすればいいと?」

レオンは一度深く息を吸い、言葉を選んだ。

「帝国の本当の狙いは、この国の土地でも民でもありません」

彼は静かに、しかし確信を持って続けた。

「“前例”です。抵抗すれば滅ぼされる──それを、他国に見せたいんです。降伏すれば、次はもっと苛烈な条件で他国を脅せる」

部屋に、理解の沈黙が広がった。

老いた貴族が小さく頷き、将軍が目を伏せた。

レオンは剣の柄に手を置き、静かに言った。

「だから降伏は意味がない。我々は戦って、“選んだ”と示すしかない」

将軍の一人が、苦しげに尋ねた。

「だが……勝てるのか?《紅鉄軍》は兵数で我々を圧倒している。《深紅騎士団》も……あのグラン=ヴァルディスが率いているんだぞ」

レオンは即答しなかった。

代わりに、静かな、しかし確かな声が響いた。

「……勝ちます」

エリシアだった。

彼女はまっすぐに前を見据え、震えぬ声で言った。

「私は逃げません。この国の王女として……そして」

一瞬、彼女はレオンを見て、微笑んだ。

「……かつて助けられた、一人の少女として」

レオニダス王が、ゆっくりと立ち上がった。

重い足取りで玉座から降り、エリシアの前に立つ。

「……よい」王は静かに言った。「我が娘よ。お前は立派な王女だ」

そして、全員に向き直った。

「この王国は、戦う」

決断が、下った。

王はレオンを見て、深く頷いた。

「白銀百合騎士団副団長レオン・エル・アストリア」

レオンが片膝をついた。

「前線指揮を任せる。命に代えても、この国を守れ」

レオンは頭を下げ、静かに答えた。

「命では足りません」

剣を抜き、床に突き立てる。

「この剣で、未来を守ります」

夜。

城壁の上。

冷たい風が、二人の髪を揺らしていた。

エリシアが、レオンの隣に立ち、小さく呟いた。

「……怖いです。本当に、怖い」

レオンは空を見上げ、静かに答えた。

「……俺も怖いよ」

「でも……」

二人は同時に、遠くの空を見た。

地平線の向こうに、稲妻が走る。

「……選びます」レオンは言った。「俺たちは、選ぶんだ」

エリシアが、そっと微笑んだ。

「……ええ。私たちで」

遠くで、雷が鳴り響いた。

戦雲が迫る中、王国は揺れながらも、確かに立ち上がった。

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