【第十一章 深紅騎士団】
戦場の空気が、変わった。
それは、音ではなかった。匂いでも、視覚でもない。
**“圧”**だった。
風が止み、土煙が一瞬だけ静まる中、白銀百合騎士団の前線に立つ騎士たちは、知らず知らずのうちに剣の柄を強く握りしめていた。
「……来るぞ……」
誰かが、低く呟いた。声の主は、ベテランの騎士――ロランだった。彼はこれまで数多の戦場を踏んできたが、こんな感覚は初めてだった。
「……何だ……この感じは……」
隣に立つ若い騎士、ミリアが震える声で応じる。彼女の盾が、わずかに軋む音を立てた。
副官のカイルが、馬上から前方を睨みながら答えた。
「……敵が増えただけじゃない……。あれは……“何か違う”」
レオンは、馬の上で静かに息を吐いた。
(……そうだ……)
(……全員が、“斬る理由”を完全に持っている……)
土煙の向こうから、ゆっくりと現れる影。
赤。
深い、血のような赤。
《深紅騎士団》。
整列すらしていない。隊列は乱れているように見える。
だが――乱れていない。
それは、**“獣の群れ”ではなく、“一つの意思”**のように動いていた。
カイルの声が、乾いた。
「……深紅騎士団……噂以上だ……」
若い騎士の一人、ガレンが震える声で尋ねる。
「副官殿……何が違うんですか?」
カイルは唇を噛み、短く答えた。
「……“迷い”がない……」
レオンはその言葉を聞き逃さなかった。
(……その通りだ……)
(……俺たちには、まだ“守るべきもの”がある……)
(……だがあいつらには……“斬るべきもの”しかない……)
深紅の鎧は、統一されていない。
重装の騎士もいれば、軽装の斥候もいる。
剣、斧、槍、双剣――武器も様々だ。
だが、共通しているのは、動きの静けさだった。
「……進軍速度が……一定だ……」
偵察担当の騎士が報告する。
「……合図が見えない……なのに、揃ってる……」
恐怖が、言葉になる前に、騎士たちの足を縛り始めていた。
その中央。
一歩前に出る影。
レオンは、その姿をはっきりと捉えた。
グラン=ヴァルディス。
深紅の外套が風にはためく。
帝国の紋章が、陽光を浴びて鈍く光る。
そして――あの大剣。
(……変わってない……)
(……鎧も、外套も、剣の構え方も……)
ただ、違うのは。
(……あの目だ……)
(……敵の目……)
グランは、ゆっくりと剣を肩に担いだ。
その仕草に、かつての記憶がレオンの胸を突く。
――あの頃、同じ仕草で笑っていた。
「……深紅騎士団……展開……」
帝国側の号令が、低く響いた。
その声に応えるように、深紅の騎士たちが静かに散開する。
まるで水が流れるように、無駄がない。
レオンは剣を構えた。
「……白銀百合騎士団……迎撃準備!」
「「応ッ!!」」
騎士たちの声が、重なる。
だが、その声に、わずかな震えが混じっていた。
衝突は、一瞬だった。
剣と剣が噛み合う。
金属音が響き渡る。
だが――叫びが、少ない。
「……ぐっ……!」
白銀百合の騎士の一人が、弾き飛ばされた。
「……力が……重い……!」
「……いや……“正確”すぎる……!」
深紅騎士団は、無駄な動きを一切しない。
一撃。一歩。一呼吸。
すべてが、**“殺すための最短”**だった。
斬り上げ、突き、払い――すべてが、相手の急所を狙い、隙を突く。
感情がないわけではない。
ただ、感情が“殺意”に完全に染まっている。
「……下がれッ!」
レオンが馬を駆り、大剣を横薙ぎに振るった。
重い剣風が、二人の敵騎士を吹き飛ばす。
地面に叩きつけられた敵が、すぐに立ち上がろうとするが、仲間がフォローに入る。
(……遅い……)
レオンの動きは速い。だが、深紅騎士団の連携はそれ以上だった。
すぐに別の敵が隙を埋める。
「……囲まれるな!」
「……団長ッ!」
レオンの大剣が、槍で止められる。
同時に、斧が横から振り下ろされる。
連携――完璧なまでに洗練された連携。
(……グランの……戦い方だ……)
あの頃、訓練場で何度も味わった連携。
ただ、今は命を奪うためのものだった。
遠くから、低い声が響いた。
「……白銀百合……よく鍛えられている……」
グランだ。
まだ距離はある。だが、確かに聞こえた。
レオンは歯を食いしばる。
グランは続けた。
「……だが……“覚悟”が足りん」
その言葉が号令のように、深紅騎士団の動きを変えた。
一段、速くなる。
踏み込みが深くなる。
殺意が、鋭さを増す。
「……くっ……!」
「……防げ……!」
白銀百合の盾が、次々と弾かれる。
一瞬の遅れが、命取りになる。
若い騎士が膝をついた。
血が、地面に滴る。
「……団長……!」
レオンは即座に前へ出た。
馬を飛ばし、大剣を叩きつける。
地面が割れ、衝撃波が敵を怯ませる。
「……これ以上、前に出るな……!」
その声は、団長としての命令だった。
だが、同時に――
(……お前たちを守りたい……)
という、かつての友への想いが、わずかに混じっていた。
グランは遠くから、それを見ていた。
(……守る声だ……)
(……あの頃と、同じだな……)
彼は剣を構え直し、一歩前へ踏み出した。
空気が、張り詰める。
周囲の戦闘音が、遠のく。
レオンも気づいた。
(……来る……)
(……今、ここで……俺と……)
だが、レオンは踏み出さない。
(……今は、斬らない……)
(……団長として、耐える……)
二人の視線が、交わる。
剣と剣の、沈黙の会話。
――お前は変わったな。
――お前こそ。
言葉はない。
ただ、視線だけが、すべてを語る。
突然、白銀百合側の伝令が叫んだ。
「……撤退信号!」
「……団長! これ以上は危険です!」
レオンは歯を食いしばった。
一瞬だけ、グランを見る。
グランは――何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと剣を下ろした。
「……深紅騎士団……追うな」
静かな命令。
深紅の騎士たちが、ぴたりと止まる。
まるで一つの生き物のように。
白銀百合騎士団は、秩序を保ちながら後退を始めた。
戦場に、風が吹いた。
土煙が舞い、視界を曇らせる。
(……なぜ、止めた……?)
レオンの胸に、疑問が残る。
だが、答えはまだ来ない。
グランは背を向けた。
低い声で、誰にも聞こえない呟きを残して。
「……次は……剣で、語ろう……」
その言葉だけが、戦場に溶けていった。
白銀百合騎士団は、生き延びた。
多くの傷を負いながら。
だが――
勝った者は、誰もいなかった。
ただ、深紅の騎士団が、静かにその場に立ち尽くしているだけだった。
まるで、次の戦いを待つように。
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