【第十章 避けられぬ戦火】

夜明け前の王都アストリアは、まだ深い闇に包まれていた。

白銀百合騎士団の詰所。灯りが一つだけ灯る執務室で、レオンは地図と報告書に目を走らせていた。蝋燭の火が揺れるたび、彼の横顔に影が落ちる。

突然、扉が勢いよく開け放たれた。

「団長ッ!」

若い伝令兵が息を切らして駆け込んできた。額に汗が光り、甲冑の肩が上下に激しく揺れている。

レオンはゆっくりと顔を上げた。胸の奥に、冷たいものが広がるのを感じながら。

「……どうした」

「西方国境より、緊急報告です!」

伝令兵は膝を折り、声を震わせた。

「ヴァルディア帝国軍――《紅鉄軍》が、国境線を越えました! すでに三つの関所を突破し、本国へ向けて進軍中です!」

部屋にいた数人の騎士たちが息を呑む音が聞こえた。

レオンは目を閉じた。一瞬だけ。

(……ついに、来たか)

開いた瞳は、静かに燃えていた。

「……敵の規模は」

「総勢およそ四万。《紅鉄軍》の本隊に加え……」

伝令兵は言葉を詰まらせた。

「……《深紅騎士団》が、前衛として確認されました」

その名を聞いた瞬間、レオンの指が、机の端を強く握った。

王宮・玉座の間。

夜明け前の緊急謁見だった。松明の火が壁を赤く染め、重苦しい空気が満ちている。

王レオニダスは玉座に深く腰を沈め、老いた瞳を細めていた。側近の貴族たち、軍の高官たちが列をなす。

「……ついに、来たか」

王の声は低く、疲労を滲ませていた。

「敵将は誰だ」

重臣の一人が進み出て、巻物を広げた。

「帝国側前線指揮官は……帝国騎士団深紅騎士団団長、グラン=ヴァルディスに間違いありません」

ざわめきが広がった。

「グラン=ヴァルディス……あの《紅の災厄》か」

「我が国の白銀百合騎士団と、因縁深い相手だな……」

王の視線が、レオンに向けられる。列の少し後ろに控える白銀百合騎士団長の姿を。

レオンは無言で一歩進み出た。

「……陛下」

「レオンよ。お前はどう思う」

レオンは深く息を吸い、静かに答えた。

「覚悟は、できております」

王は目を閉じ、ゆっくりと頷いた。

「……ならば、任せる。お前が最も適任だ」

戦議室。

長テーブルの上に巨大な地図が広げられ、赤と青の木製の駒が無数に置かれている。

副官のカイルが、地図を指しながら説明を続けた。

「《紅鉄軍》の基本戦術は正面突破です。重装甲歩兵を厚く重ね、後方から《深紅騎士団》が機動的に制圧する形を取ります。まるで鉄の壁を押し出すような……」

レオンは腕を組み、地図を見つめていた。

(……重い。だが、重すぎる)

エリシアが隣で小声で尋ねる。

「団長……正面で受け止めるおつもりですか?」

レオンは首を横に振った。

「……正面に立てば、潰される」

騎士たちが顔を見合わせる。

「では、どうなさるのです?」

レオンは地図に指を這わせ、中央の平原地帯を軽く叩いた。

「……中央を薄く見せる。《紅鉄軍》を引き寄せる」

カイルが眉をひそめた。

「それは……誘引戦術ですか? 危険すぎます!我が軍の損害が――」

「だから、俺が立つ」

部屋が静まり返った。

エリシアが息を呑む。

「……団長自らが、囮に?」

「ああ。団長だからこそ、敵は食いつく」

レオンは静かに、しかし力強く続けた。

「グラン=ヴァルディスは俺を知っている。俺が中央に立てば、必ず正面から来る。そして、重い軍は一度動き出したら、方向転換が遅い」

騎士たちは互いに視線を交わし、やがて一人、また一人と頷いた。

「……了解しました」

「白銀百合騎士団、全軍に伝達を」

戦場・西方平原。

朝靄が立ち込める中、大地が低く唸っていた。

《紅鉄軍》の進軍。無数の鉄靴が地を踏み鳴らし、重装歩兵の甲冑が朝日を反射して赤く輝く。まるで動く鉄の城壁。

白銀百合騎士団は、中央の丘陵に薄く陣を敷いていた。正面に見えるのは、レオンただ一人。

彼の背には、あの重い大剣――かつてグランが使っていたもの。

(……重いな)

レオンは苦笑を漏らした。

(お前なら、ここでどうする?)

答えは、もう出ていた。

遠くから、帝国軍の号令が響く。

「――進めッ!!」

鉄の波が、ゆっくりと、しかし確実に迫ってくる。

レオンは剣を地面に突き立て、静かに待った。

「……来るぞ」

後方に控える騎士の一人が、声をつまらせた。

「団長……本当に、一人で……?」

「ああ。一人でいい」

風が吹き、百合の旗がはためく。

そして――

「……今だ」

レオンが剣を引き抜いた。大剣が朝の光を浴びて白く閃く。

「白銀百合騎士団――左右へ分かれ、突撃!!」

号令と同時に、丘陵の両翼から騎士たちが雪崩れ出した。

中央はレオンただ一人。敵から見れば、まるで挑発しているように映る。

帝国軍の指揮官が叫ぶ。

「罠だ! 側面を固めろ!」

だが、重装甲の軍勢は簡単には止まれない。進軍の勢いが、逆に仇となった。

白銀百合騎士団の軽騎兵が、鉄の壁の側面に食い込んでいく。

初めて、《紅鉄軍》の陣形が乱れた。

その混乱の奥から、異様な気配が湧き上がった。

赤い外套を翻す騎士たち。

深紅の紋章を胸に刻んだ、選ばれし精鋭――《深紅騎士団》。

そして、その最前線に立つ一人の男。

黒と赤の重厚な鎧。大剣を肩に担ぎ、静かに前を見据えている。

グラン=ヴァルディス。

遠く離れたレオンと、視線が交錯した。

声は届かない。

だが、レオンには確かに聞こえた気がした。

――レオン。

レオンの指が、剣の柄を強く握る。

(……まだだ。今は、団長として――)

彼は大きく息を吸い、全軍に号令を送った。

「第二隊、側面をさらに突け! 第三隊、後方を固めろ!」

「了解!!」

白銀百合騎士団の動きが、さらに鋭さを増す。

グランは、馬上からその様子を静かに見つめていた。

「……やるな、レオン」

低く、誰にも聞こえない声で呟く。

副官が隣で進言する。

「団長、我が軍の進軍が鈍っています。このままでは――」

「構わん」

グランは大剣を握り直した。

「次は、俺の番だ」

深紅騎士団が、一斉に動き出す。

赤い外套が風を切り、戦場に血の匂いを運んだ。

レオンの背筋に、冷たいものが走った。

(……来る)

(この戦争は、俺たち二人の……延長戦だ)

彼は剣を構え直し、大きく叫んだ。

「全軍、耐えろ!! 絶対に退くな!!」

その声は、戦場の喧騒を切り裂き、味方全員の胸に届いた。

戦火が、本当に上がった。

朝靄は血の煙に変わり、大地は叫びと剣戟の音で震えた。

もう、誰も戻れない。

二人の騎士団長の視線が、遠くで再び交わる。

次に剣が交えるのは、いつか。

そのときまで、戦いは続く――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る