【第五章:白銀百合の剣】
白銀百合騎士団の訓練場は、朝の冷たい空気の中で鋭く張り詰めていた。
木剣が激しく打ち合う乾いた音。
重い鎧が擦れ合う金属の軋み。
怒号と、歯を食いしばる荒い息遣いが、広場全体に響き渡る。
だが、その中心に立つ一人の男に向けられる視線は、どこか統一されていなかった。
「……あれが、新しい団長候補か……」
「……元レグナス王国の……だって?」
「……大剣使いらしいけど……本当に騎士団長が務まるのか?」
ひそひそと交わされる囁き。
好奇と疑念が入り混じった視線。
レオン・アルヴェルトは、それをすべて背中で受け止めていた。
(……当然だ)
彼はこの国――エステリア王国――の騎士になって、まだ日が浅い。
それどころか、かつて敵国だったレグナス王国の出身だ。
しかも、いきなり白銀百合騎士団の団長候補に推された。
反感を買うには、これ以上ない条件が揃っていた。
「――始め!」
副団長格の騎士、カイル=ローデンが鋭い声で号令をかけた。
「模擬戦!
団長候補レオン・アルヴェルト対、第三中隊三人!」
訓練場にざわめきが広がる。
「……三人同時かよ……」
「……副団長、本気だな」
「……あいつ、潰されるんじゃないか?」
レオンは深く息を吸い、大剣を構えた。
(……重い)
かつて双剣を自在に操っていた頃なら、この距離はすでに踏み込んでいた。
双剣なら、相手の動きを読んで、瞬時に間合いを詰め、斬り込める。
だが、大剣は違う。
一歩遅れるだけで、致命的な死角が生まれる。
振り上げるにも、振り下ろすにも、時間が必要だ。
「行くぞ!」
第三中隊の三人が、同時に踏み込んだ。
右から一人が横薙ぎに。
左から一人が斜めに斬り上げ。
正面から一人が鋭い突きを放つ。
(……速い……!)
レオンは咄嗟に大剣を振り上げた。
――遅い。
刃は空を切り、三人の攻撃が同時に迫る。
「くっ――!」
左からの一撃を、肩の鎧で無理やり受け止めた。
ゴンッ!
衝撃が全身を駆け巡り、鎧が軋む音が鳴る。
(……くそっ……!)
双剣なら、この距離は――
「――まだだ!」
正面の騎士が、隙を逃さず突きを繰り出す。
レオンは剣を縦に構え、なんとか受け止めた。
ガンッ!
腕が痺れ、息が詰まる。
その瞬間――後ろから声が飛んだ。
「団長候補! 足を止めるな! 動け!」
カイルの声だった。
レオンは歯を食いしばった。
(……止まるな……!)
一歩、踏み込む。
体ごと大剣を振る。
――横薙ぎ払い。
重い剣が空気を裂き、強烈な風圧が生まれる。
「……っ!」
「……なんだ、今の……!」
三人が同時に後退し、距離が開いた。
レオンは肩で大きく息をした。
(……まだ……慣れない)
(大剣を使っているんじゃない……大剣に使われている)
その事実が、痛いほど胸に突き刺さった。
模擬戦が終わると、訓練場は水を打ったように静まり返った。
カイルが一歩前に出て、静かに告げた。
「……以上だ」
彼はレオンをまっすぐ見据えた。
「正直に言おう、レオン・アルヴェルト」
空気がさらに重くなる。
「お前はまだ……団長の器ではない」
ざわめきが広がる。
騎士たちの視線が、レオンに突き刺さる。
レオンは黙って聞き、視線を逸らさなかった。
「だが――」
カイルは言葉を続けた。
「お前は逃げなかった。
重い大剣に潰されそうになりながら、それでも前に出た」
一拍の沈黙。
「それだけで……剣を預ける理由にはなる」
静寂の後――
騎士たちが、一人、また一人と、ゆっくり膝をついた。
完全な服従ではない。
だが、明確な拒絶でもなかった。
それは、わずかな――しかし確かな――信頼の芽生えだった。
数日後。
玉座の間。
レオンは再び、エステリア王の前に立っていた。
王は静かに、しかし重みのある声で告げた。
「……白銀百合騎士団の総意だ。
そなたを団長に推挙する」
レオンは目を伏せ、言葉を探した。
「……俺は……」
声がわずかに震える。
「……まだ、未熟です」
王は黙って聞き、エリシアがそっと前に出た。
「……だからこそ、です」
柔らかな、しかし確かな声。
「……エリシア?」
レオンが驚いたように見る。
エリシアは穏やかに微笑み、レオンを見つめた。
「この人は……“完成した騎士”ではありません」
一呼吸置いて、続ける。
「でも……“変わろうとする騎士”です。
重い剣を背負い、それでも前に進もうとする人です」
王はしばらく考え――
そして、静かに頷いた。
「……よかろう」
王が立ち上がり、剣を抜く。
剣がレオンの肩に軽く触れられた。
「レオン・アルヴェルト。
そなたを、白銀百合騎士団団長とする」
その瞬間。
肩ではなく、胸の奥に――重い覚悟が落ちてきた。
団長執務室。
夜遅く。
レオンは一人、椅子に深く腰掛けていた。
机の上には、騎士団の名簿が広げられている。
(……こんなにも、多くの命が……)
(俺が守るべき人たちが……)
「……団長」
扉が静かに開き、エリシアが入ってきた。
月明かりが彼女の銀色の髪を照らす。
「……眠れない顔、ですね」
「……ああ」
レオンは正直に答えた。
力なく笑う。
「……俺は、本当に……
あなたたちを、守れるでしょうか」
エリシアは少し驚いた顔をして――
やがて、優しく微笑んだ。
「……守れない時も……あります」
「……」
「騎士団長だって、完璧な人なんていません」
彼女はレオンの隣に立ち、静かに続けた。
「でも……逃げない人は、信じられます」
レオンは机の横に立てかけてある大剣に目をやった。
「……この剣は、まだ……重いです」
エリシアは頷いた。
「……でしょうね」
一拍置いて、彼女は穏やかに言った。
「でも……重い剣を背負う覚悟をした人を、
軽く見る者はいません」
レオンは目を閉じ、深く息を吐いた。
(……団長……)
(俺はまだ……あなたには、程遠い……)
だが――
ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「……明日も、訓練を」
エリシアは静かに微笑み、頷いた。
「……はい。
団長」
その呼び名が、
レオンの胸に、静かに、しかし確かに響いた。
白銀百合騎士団団長――
レオン・アルヴェルト。
それは、栄誉の名ではなく、
果てしない試練の名だった。
そしてこの男は、まだ知らない。
この重い剣が、
やがて――
裏切りの深淵と、真実の光へと
彼を導くことになるのを。
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