供花や献花と呼ぶ勿れ


160cmの靭やかな体は、一見すると狩人には見えないかも知れない。

チャバネゴキブリの人虫シノワズリは、その名前の通りの色が毛先になるにつれて濃くなる、美しい長い髪と長い触覚を揺らして悠然と歩く。

(学生時代、通りすがりの学生に引っ張られたことがあった。しゃがみ込んで泣いている振りをして、足払いで引っくり返して腹の上で靴を拭いてやった。)

ミルクをたっぷり入れた珈琲色の腕も脚も、指先を辿るにつれて濃い茶色に変色している。

(地上に出てきた幼い頃には、わんぱく坊主に揶揄われたものだった。当然、蹴飛ばしてやった。)

誰に何と言われようと、シノワズリは自分を恥じたことはなかった。

その丸い小さな尻で突き飛ばし、細くて長い脚で蹴飛ばし、鞭のように肘を打ち込み、時には授業の成績で分からせてやり、五月蝿いだけの雑音は尽く黙らせてきた。

早く兄の隣に立ちたくて、もっとたくさん世界を見たくて、シノワズリは決して長いわけではないと知っている自分の命の使い方を考え続けてきた。

そうして、たとえ独り善がりだと分かっていながらも水晶玉を手放さず、残したい景色は声を入れずにただその自然を映し取った。

自動書記録での日記を欠かさず、手描きのスケッチだって、手書きの手記だって残している。

(おかげで今時には珍しく、彼女には小さなペンダコがある。)


かつてそれらを捨てようとしたことがある。

すべて破壊してやるつもりでいたシノワズリの手を取って「やめないで」と言ってくれたのは、今や兄の妻であり相棒となった、ニレという小蟷螂の人虫だ。大きな眼の中の小さな黒点がまっすぐシノワズリを見詰めていた。

「やめないで、おねがい」

人付き合いがひどく下手で、喋ることも得意ではないという彼女の精一杯の懇願だった。

「シノ、祝福された者。願われた者。

これは、そんなおまえからの祝福だから。

何処までも届くように、たくさん、とっておいて。……役目。」

ゆっくりと辿々しい、一つ一つを搾り出すような言葉だった。

自動書記録による日記とは別に、はじめてペンを握って手記を残したのが、その日の夜だった。



狩人協会“美しの森”支部は湖に浮かぶ小島にあり、周囲を舟を繋いだ市場が囲んでいる。

大橋を渡り、支部の建物にやってきたシノワズリは、すれ違う者達と挨拶を交わしながら奥へ進んだ。

「おはよう。ママ。」

「おはよう。ワタシの可愛いお姫様」

そう言って長い煙管から甘い香りを吹き出すのは支部の長、オオスズメバチの人虫の女である。

誰も名前は知らない。この支部で働く者、市場の者もすべて年齢問わず彼女を“ママ”と呼ぶ。

はじめてシノワズリが兄ことオニヤンマの人虫で、先輩の狩人でもある片喰かたばみに連れて来られた時には驚いたものだった。

解体した魔獣の腕や脚を木箱に入れて運ぶ者や、

市場の準備をするためテントや屋台を展開する店主や売り子達、果ては道具を新調したり武器の鍛冶工房前で順番待ちをしている狩人までが、彼女をそう呼んでいる。

“ママ”のこどもたちも皆この支部で働いており、武器職人の一人もそうである。

働く皆が、関わる皆が、彼女のこどもたちに数えられているのだという。そして彼女は誰の名前も間違えたことがないのだとも。

「お姫様なんて、もうそんな歳じゃないわ」

シノワズリは、ちょっと分かりやすく困った顔をしてみせた。

ママがそう呼んでしまえば、その内挨拶する皆にもそう呼ばれてしまうことは容易に想像がつく。

既に、ママの実のこどもたちにはお姫様呼びされてしまい、なんとか止めてもらうよう頼んだ後のことだったから尚更だ。

ママは静かに笑って煙管の先を小さく上下に揺らした。承知してくれたらしい。

ママの後ろ、少し離れたところで会話が終わるのを待ってくれているらしい研究者の女がいたので、シノワズリはママに笑みを返して立ち去ろうとする。だが、自分の背中に柔らかくも寂しげな、

「ずっと此処に居たっていいのよ」というママの声が ぶつかったので体を捻って振り向いた。

「でも行ってしまうのね。

仕方ないわね、世界は広いもの」

こどもは、旅立っていってしまうものよねーー。

独り言のようにぽつぽつ漏らして、ママは同意を煽ぐように後ろで待機していた研究者の女に苦笑してみせる。研究者の女も二度ほど頷いて「寂しいですわ。折角仲良くなれましたのに」と言った。

「すぐじゃないし、黙って行ったりしないわ。

そうね、春が終わる頃。

それまではたくさん役に立ちたいから、なんでも言って」

シノワズリにはそう返すことしかできなかった。


二年ほど前、兄である片喰は自分が所属していた“美しの森”支部にシノワズリを連れてきて、ニレと二人のチームにシノワズリを加えるといってママに紹介してくれた。

そうして狩人になり、片喰とニレも結婚して、学校を卒業したシノワズリと三人で暮らしながら、この美しい湖に映る森と空を眺めながら毎日通って、たくさんの人と出逢った。

たくさんの人間の行商人に街の人。(支部の近くに住む多種族達は、人虫である片喰やシノワズリを見ても驚きはしなかった。オオスズメバチの人虫が長であることが幸いしてなのか、この支部には人虫の出入りが多いのだ。)

種族が様々に入り混じった魔導武器の熱い鍛冶工房に、広場に採取物の木箱を並べて、競りにかける売り子達の賑やかな声。

そこから少し離れた場所では、大袋に詰められた魔獣素材を吟味して、爆弾や発火剤、煙幕に睡眠弾幕といった道具を作る職人達が座り込んでいる光景。

全てが眩く力強く、シノワズリの目に焼き付いた。

此処を去るのは寂しいだろう。

はじめての地上、はじめての学校。

はじめての仕事場所。

はじめての景色は、すべてこの土地だった。

「ありがとう。ママ。

私、はじめての地上が此処でよかった。」



こんなにたくさんの人虫が、人間や獣人や鳥人と会話し、笑い合い、時には小競り合いながらも、世界の一員として認められ、各々の才能を発揮しながら煌々と生きている。

日常となっているその光景を水晶玉に映して記憶させながら、目眩がするような感覚で眺めていたのを覚えている。

そこに“私達”の誰かがいないのはどうしてーー。

もっともっと幼かった頃の自分なら、そう言って癇癪を起こして泣いていたのだろうか。

燦々と振り注ぐ光の中で、それを浴びながら、地面を踏んでこの世に精一杯の怨嗟を散らしていたのだろうか。

「それを選ぶのは簡単だったさ。

お前の一族全員が束になって、夜な夜な 生きたまま人間達を食い千切って世界を恨み呪い、残った命のすべて復讐に費やすことだってできたんだ。

それをしなかった。

できなかったんじゃない、選ばなかったんだよ。」

はじめての光景に、学校や町とは違って人虫がたくさん日常の中に生きている光景に言葉を失って、家に帰っても尚その光に当てられたまま ぼんやりしていた自分を、片喰がそう言って抱き締めてくれた。ニレも続いて抱き締めてくれた。

涙は出なかった。ただ眩しくて、でも悲しくて。

だけど同時に、自分の一族がどれだけ誇り高く生き、気高い精神故にその選択をして生きているのだということを本当の意味で知ったのだ。

「誇って。」

短く、不器用にニレがそう言って背中を撫でてくれた。

片喰とニレが結婚したのはその日のことだった。

三人はチームになり、家族になった。

狩人として仕事をするのに慣れた頃、片喰が提案した、

「次の春が終わる頃には、別の土地へ行こう。その土地の季節を二度ほど見たらまた次へ。どうだ?」という言葉に一も二もなくシノワズリは頷いた。

連れて行ってくれるというのだ。

一緒に行ってくれるというのだ。

この安寧の地を去れば、たとえ行き先が狩人協会であっても人虫の扱いはどうかは知れない。

それが理由で悩んでいたわけではないが、シノワズリがずっと考えていた“自分の短い人生の使い道” 、“どのようにしてこの世界を見て生きるか”という問題に、片喰はいち早く気付いてそう言ってくれた。こどものように はしゃいで、飛び付いて礼を言うシノワズリの長い髪を撫でながら、片喰はいつものように笑っていた。

「俺達も此処しか知らないからな。

お前と一緒に世界ってやつを勉強するよ。」

俺達ならなんでもやれるさ。そうだろ。


そうして額にしてくれたキスは、かつて土の中の小さな家で眠る前に、母がしてくれたものと同じだった。

結局、片喰に甘える形となってしまったが、こうしてシノワズリは狩人であると同時に旅人になった。ニレが書き続けるように薦めてくれた“届く宛のない手紙”の数々を一生をかけて綴りながら、魔物や魔獣という美しくも恐ろしい生き物を狩り。

時には彼等との境界線をつくるために知恵を絞り、あらゆる土地のあらゆる季節に彩られる世界を歩いていく。


誉れ高い一族の光の道標になるために、祝福の鐘から遥か離れた、怨嗟の墓場で生まれた自分ができることのすべてを。

いつか、己を過去の怨嗟と呼ぶ愛しい虫たちへの賛美歌として送り届けるために。


(供花くげ献花けんかと呼ぶなかれ)

御器囓ゴキカブリ蜻蛉トンボ蟷螂カマキリの人虫の話】



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る