第三話 恐怖との距離
深淵教団の殲滅任務を引き受けてから、三日が経ちました。
その間も、私の日常は大きくは変わりません。
聖痕保持者の経過観察を行い、研究資料を整理し、新しく届いた術式理論や魔術書に目を通す。
ただ、その合間に、ひとつだけ新しい仕事が増えました。
――教団に関する情報の精査と、現地調査の準備。
「白夢さん、そろそろ時間ですね」
扉越しに声を掛けてきたのは、レオネルさんでした。
「はい。すぐ行きます」
私は机の上に広げていた書類を重ね、簡易的な革紐でまとめました。
教団の儀式跡と思われる現場の記録。行方不明者のリスト。各地から上がっている不審死の報告。そして、今回向かうことになった村の地図。
それらは、どれも断片的な情報に過ぎませんが――。
(現場に行けば、もう少し見えてくる情報もあるでしょう)
聖痕の術式構造を知り、深淵教団の使っている『粗悪な聖痕もどき』を解体する。
そのためにも、最初はフィールドワークからですね。
◇ ◇ ◇
教会の中庭には、既に数人の姿が集まっていました。
一人は、銀の鎧を身にまとった聖騎士。年は二十代半ばといったところでしょうか。きっちりと手入れされた短髪と、無駄のない立ち姿が印象的です。
もう一人は、落ち着いた雰囲気の若い女性の神官。白い法衣の袖口には、治癒と浄化を司る紋章が刺繍されています。
そして、その少し後ろに控えるように立っている、見覚えのある顔。
「補助員の方まで同行させるとは、随分と本格的ですね」
声をかけると、彼はびくりと肩を震わせてから、慌ててこちらを向きました。
「は、はいっ。本日より、白夢さんの外出時の補佐役を拝命しました、カミルと申します!」
緊張で声が上ずっていますね。
検査室に慌ただしく飛び込んできたときもそうでしたが、どうやら私に対する畏れと、別種の感情が混ざっているようです。
なるほど。
天才研究者という肩書きは、本当に人との距離感を歪ませますね。
彼の視線が、一瞬だけ私の顔をかすめて、すぐに足元へと逃げていく。
尊敬と萎縮と、微かな憧憬。そのあたりでしょうか。
「紹介しよう」
低くよく通る声と共に、銀鎧の男が一歩前へ出ました。
「聖騎士団所属、ガレス・ローディンだ。深淵教団の掃討任務において、隊の指揮を任されている」
「同じく、治癒神官のミレーユです。前線の治療と浄化術式を担当します」
「補助員のカミルです。その……白夢さんの記録補助と、雑務全般を担当いたします!」
最後の一言だけ、妙に力が入っていますね。
任された役割を誇りに思っているのか、それとも単に、私の前で格好つけようとしているのか。
いずれにせよ、観察する価値はありそうです。
「白夢そらと申します。深淵教団に関する術式の解析と、現地での調査を担当させて頂きます。道中、よろしくお願いします」
そう名乗ると、カミルさんの肩がほんのわずかに震えました。
視線が、またこちらに向かってきて、今度は逃げずにほんの一瞬だけ重なり――すぐに逸らされる。
「よ、よろしくお願いします!」
顔が、少し赤いですね。
これは、気温のせいではなさそうです。
(……なるほど。これが、いわゆる恋愛感情の萌芽とやらでしょうか)
私自身に向けられている感情だというのに、当事者意識はほとんどありません。
ただ、ひとつのデータとして、頭の片隅にそっと置いておくに留めました。
邪魔にならない範囲であれば、彼の感情も、行動に偏りを生む一要素として、研究対象に含めてしまえばいいだけの話ですから。
そんなことよりも、今はこちらの対応が先ですね。
「あなたが……あの聖痕研究の」
まったく、評判が悪いですね。
ここは下手に取り繕わない方が、今後のことを考えると効果的でしょうか。
「はい。それで合っています」
私はあっさりと肯定しました。
「詳細は機密のためお話できませんが、今回の教団は、教会が過去に手を伸ばした領域と、無関係とは言い難い存在です。その後始末をつける、という認識でいてくだされば、大きくは間違っていません」
ガレスさんの表情が、一瞬だけ強張りました。
その隣で、ミレーユさんが小さく息を呑む気配がします。
ふふっ、分かりやすい人たちですね。
この程度の情報でも、やはり信仰の厚い人たちには衝撃が大きいようで。
「……承知しました。いずれにせよ、罪なき者を守り、脅威を断つ。それが我らの務めです」
そう言って、ガレスさんは胸に手を当てました。その瞳には、混じりけのない使命感が宿っています。
信仰と、責務と、わずかな迷い。
――聖痕を刻まれていない人間の揺らぎは、やはり分かりやすいですね。
「では、出発しましょうか」
私は小さく頷き、用意された馬車へと歩みを進めました。
深淵教団の拠点候補として挙がっている村までは、馬車で半日ほど。
その静かな道程が、どれほど静かなままで終わるのか。
少しだけ、楽しみです。
◇ ◇ ◇
馬車の揺れは、思っていたよりも穏やかでした。
車輪が石畳から土の道へと移る振動の差。窓の外を流れていく、教会都市とは違う、素朴な景色。
それらを眺めながら、私は持ち込んだ資料の余白に、簡単なメモを書き足していきます。
「……白夢さんは、慣れているんですね。こういう任務」
向かいの席から、カミルさんの控えめな声がしました。
「任務に、ですか?」
「いえ、その……深刻な話をしているはずなのに、どこか落ち着いていらっしゃるので」
言い淀みながらも、彼は真っ直ぐこちらを見てきます。
さっきまで視線を泳がせていたのに、このあたりの切り替えは少し不思議ですね。
「そう見えますか?」
「はい。その……怖く、ないんですか?」
怖い、ですか。
少しだけ、考えてから答えます。
「肉体的な死ということでしたら、怖いと思ったことはありません」
「えっ?」
死ぬことそのものが恐ろしいのではありません。
死とは何か、死んだあと人はどうなるのか。そこにある『未知』が、恐怖の正体だと私は思います。
色々と自論がありますが、表情から察するに、そういうことを聞きたい訳ではなさそうですね。
「すみません。今は、任務についてでしたね。そうですね……任務である以上、危険があるのは理解しています。ですが、恐怖はそこまで強くありません。今のところは」
「今のところ、ですか」
「現場を見て、ようやく実感が湧くタイプなのでしょうね。机上の情報だけで怯えるほど、想像力が豊かでもありませんから」
私の答えに、カミルさんは苦笑にも似た表情を浮かべました。
「そういうところも、凄いと思います」
「褒め言葉と受け取っておきます」
軽く返すと、向かいの席で話を聞いていたミレーユさんが、やんわりと口を開きました。
「怖がるのは、悪いことではありませんよ。恐怖心は、身を守るための感覚でもありますから」
「否定はしません。ただ、恐怖に振り回されるのは効率が悪いので、ほどほどの距離感で付き合いたいところですね」
「『効率』ですか」
ミレーユさんは、少し不思議そうにその言葉を繰り返しましたが、それ以上は踏み込んできませんでした。
信仰を軸に生きている人からすれば、人命や恐怖心まで「効率」で語るのは、やはり異質なのでしょうか。
「深淵教団について、現地の情報はどこまで入っている?」
会話に区切りがついたところで、ガレスさんが口を開きました。
視線は窓の外に向けたままですが、意識はこちらに向けられています。
「報告書にあった範囲であれば、一通り目を通しました。怪しい巡礼者が村に出入りするようになり、夜の集会と称した『救済の儀式』が行われていること。そこに参加した者の一部が、数日から数週間かけて、性格や行動が変質していったこと」
「はい。そのあたりまでは、私たちも聞いています」
ミレーユさんが頷きました。
「集会に参加したあと、突然笑い出したり、逆にまったく感情を表に出さなくなったり……。家族からの相談が増えて、支部の神官様が本部に報告を上げたのが、ことの始まりだと」
「その神官が、今回の窓口という認識で間違いありませんか?」
「はい。支部からの手紙には、はっきりと『自分の手には負えない』とありました」
それは、あの教会の人間にしては、ずいぶんと正直な言葉ですね。
「報告書には書かれていませんでしたが、『救済の儀式』で使われている術式については、既にある程度の見当はついています」
「本当ですか?」
カミルさんが身を乗り出しました。
あまり揺れると危ないですよ、と注意しようとしたところで、ガレスさんが短く咳払いをしました。
「聞かせてくれ」
「前回、保管室で確認した検体の聖痕。あれは、初期の聖痕研究で使用されていたものと酷似していました。術式の一部が欠落していることから、恐らく、その欠落部分を、『死霊魔術』で無理やり補っているのでしょう」
「欠落を、死霊魔術で……」
「本来なら、霊核の強化と自我の削ぎ落としを、長い時間をかけて段階的に行う必要があります。それを、死者や半死状態の者を材料にして、一気に進めているのだとすれば――」
私はそこで言葉を切りました。
「『救済』という言葉を使うのも、あながち間違いではないのかもしれません。少なくとも、教団側の理屈としては」
ガレスさんが、はっきりと眉をひそめました。
「それを救済と呼ぶのは、どうかと思うがな」
「私も、そう思いますよ」
同意はしておきます。
彼らの言葉を、理解はしても共有するつもりはありませんから。
そんな会話をしているうちに、馬車の速度が徐々に落ちていくのが分かりました。
「そろそろ、村の入り口ですね」
ミレーユさんの言葉とほぼ同時に、視界の先に、小さな集落が見えてきました。
次の更新予定
クロスウィル / 泡沫の白昼夢 〜聖痕に蝕まれた天才少女は、世界の真理を求める〜 アメノサツキ @Dai-Daru
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