第二話 恐怖よりも知りたいこと

 次に意識が浮かび上がったとき、最初に認識したのは「音」でした。


 一定の間隔で打ち鳴らされる心音。血液が流れる音。どこかの部屋で紙をめくる小さな気配。魔力計測器でしょうか、規則的に針が震えるような、かすかな機械音まで――ひとつひとつが妙にはっきりと聞き取れます。


 まだ生きているということは、儀式は一応、成功したと見て良さそうですね。


 ゆっくりと瞼を持ち上げると、見慣れない天井が目に飛び込んできました。

 石造りのはずなのに、魔術的な加工が施されているのか、表面に淡い術式の線が走っています。


「……ここは、儀式室の隣室でしょうか」


 自分の声が、いつもより少しだけ澄んで聞こえます。

 喉も、肺も、重さがありません。身体を起こそうとすると、驚くほど軽く上体が持ち上がりました。


 まるで、余計なものが削ぎ落とされてしまったかのようですね。


「おや、目を覚まされましたか」


 声の方へ視線を向けると、部屋の隅に置かれた机の横で、白衣を着た中年の男が椅子から立ち上がるところでした。手元の計測器から目を離し、私に歩み寄ってくる。


「気分はいかがですか、白夢さん。頭痛や吐き気、手足の痺れなどは?」

「いえ、特には」


 正直に答えると、男は安堵したように息を吐き、手にした板に何やら書き込んでいきます。


「ひとまずは良好なご様子ですね。……儀式から三日ほど、眠っておられました」

「三日ですか。それにしては、身体がずいぶんと軽いですね」


 普通なら、長時間寝ていれば関節が強張ってもおかしくありません。

 けれど、筋肉の張りも、血行の悪さも、ほとんど感じられない。むしろ、以前よりも整っている印象すらあります。


 ――なるほど。これが、聖痕の副次効果というわけですか。


「霊核の状態も安定しています。聖痕の定着は、成功と言っていいでしょう」


 男はそう言って、私の胸元あたりを一瞥しました。

 そこに刻まれたはずの「印」は、服の上からでは見えませんが、内側でじくじくと焼け残ったような感覚を放っています。


「おめでとうございます、白夢さん。あなたは、正式に〈聖痕保持者〉となったのです」


 おめでとうございます、ですか。


 自我崩壊や植物状態のリスクを並べ立てた直後に行われた実験としては、ずいぶんとおめでたい結果のようですね。


「そうですか。それは何よりです。それで、あなたは?」


「申し遅れました。聖痕研究班のメンバーで、臨床担当の主任補佐をしております。レオネル・ハーグと申します。以後お見知りおきを」


「白夢そらと申します。こちらこそ、今後とも宜しくお願い致します」


 口ではそう返しながら、私は自分の内側に意識を沈めていきました。

 霊核に触れるような感覚で、魔力の流れをそっと辿る。


 そこには、確かに「変化」がありました。


 魔力の生成速度。循環の滑らかさ。霊核から放出される際のロスの少なさ。どれを取っても、以前とは比べものにならないほど効率が上がっているのが分かります。


「なるほど。これは……」


 思わず、小さく声が漏れました。


 面白いですね。

 確かに、魔力効率は飛躍的に向上しています。

 これほどの結果が出るのであれば、多少のリスクも計算に入れる価値はあります。


 ――もっとも、その「多少」がどこまでを指すのかは、これから確かめていく必要がありますが。


 まずは、聖痕の定着率を確実なものにする必要があります。

 そのためには、まずは今回の儀式に関するデータをもとに、過去のデータと照合し、精査するべきですね。


「今回の儀式における経過資料と、私が眠っていた三日間の記録を見せていただいてもよろしいでしょうか」


 今回の実験データを確認し、次に過去に行われた儀式のデータ全てに目を通しましょうか。その間に、聖痕の術式についても、詳しく調べる必要がありそうですね。


「申し訳ございません。目覚め次第、司祭様の元までお連れする様にと承っておりますので、今すぐにというのは……」

 

 研究員にしては、ずいぶんと悠長なことを仰るのですね。

 彼を責めるつもりはありませんが、無駄なことに時間を費やす暇があるのなら、研究時間を増やす方が幾分か有意義だと思いますが。

 

「問題ありません。道中で目を通してしまいますので、資料と着替えを用意してください」


 声のトーンを少しばかり落としてそう告げれば、彼は怯えたように一歩後ずさる。

 脅かすつもりはありませんでしたが、どうやら魔力制御にブレが生じてしまったようですね。


「申し訳ありません。聖痕の副次効果による影響で、魔力制御が少し覚束ないようで」

「い、いえ。承知いたしました。すぐに準備いたします」

「ありがとうございます」


 ◇ ◇ ◇


 検査服から用意された修道服へと着替え、歩きながら渡された資料にざっと目を通していきます。


 過去三年間に行われた聖痕刻印儀式、総数四十二件。

 うち、術式の完全定着と判断されたのは十七件。およそ四割強、といったところでしょうか。数字だけ見れば、悪くない成功率ですね。


 ただし、問題はその内訳です。


 十七件のうち、施術後一年以上経過したデータが揃っているのは五件のみ。

 残りは、戦闘中の死亡や行方不明、あるいは「諸事情により追跡不能」とだけ記された曖昧な記録で打ち切られていました。


「……なるほど。成功率の数字だけを掲げるには、ずいぶんと都合のいい切り取り方をしているようですね」


 さらにページをめくれば、「失敗例」の欄に、植物状態・自我崩壊・霊核破損といった文字がずらりと並んでいました。こちらは、細かな経過がやけに丁寧に記録されています。


 失敗例の欄を読み進めていくうちに、口元がわずかに緩むのを自覚しました。


 術式暴走により霊核破損、被験者死亡。

 長期昏睡の末、覚醒するも人格が別人のように変容。

 外傷なし、自律神経と意識の断絶による植物状態。


「……これは、いいですね」


 思わず小さく感想が漏れる。


 成功例だけでは、見えてこないものがあります。

 どこで壊れ、どこまでなら耐えられて、どこからが戻れない境界なのか。失敗例の方が、よほど雄弁に語ってくれる。


 ざっと斜め読みしただけでも、失敗例はいくつかのパターンに分けられそうですね。


 一つ、術式そのものの崩壊による霊核破損。


 一つ、霊核出力に対して受け皿となる肉体の強度不足。


 一つ、精神的ストレスや恐怖による自我崩壊。


 分類してしまえば、そこまで複雑な話ではありません。


「術式の安定性は、こちらでも補強できますね。肉体面は、多少の無理は効くはずです。問題は――」


 視線を落としてページの端を指先でなぞる。


「……精神の方でしょうか」


 資料に記されたメモには、「被験者、強い不安を訴える」「教義との矛盾に苦しむ様子あり」といった文字がいくつも並んでいました。


 信仰が強いほど、自我が強固であればあるほど、聖痕に削られる。

 そういう構造だとすれば、私のように「最初から信仰心の薄い人間」の方が、案外、適性が高いのかもしれません。


 もっとも、その仮説が正しいかどうかは、これから身をもって証明されるのですが。


 次に、過去の被験者のプロフィールに目を通していく。


 生まれ育ちも、この世界の出身。

 長年にわたり教会の教えに忠実で、信仰心は高く評価されている。

 魔術適性は中程度からやや高め。霊核出力は安定しているが、特筆するほどではない。


 ――まるで、教科書に載せるための「模範的信徒」ですね。


「なるほど。これでは、深淵手前で折れてしまっても無理はありません」


 どの事例も、聖痕の影響で「信仰」と「自我」が削られたとき、支えを失って崩れ落ちている。構造としては、とても分かりやすい。


 一方で、私の場合はどうでしょうか。


 この世界の出身ではなく、教義にも感情的な執着はない。

 霊核出力と演算能力は、少なくとも平均よりはかなり上。

 そして、求めているのは「救済」ではなく、「知りたい」という欲求。


 ――条件だけを並べるのなら、過去のどの被験者よりも、聖痕の実験には向いているはず。


 例外になる確率、というより。

 最初から、そのために最適化されたサンプル、と言った方が近いかもしれませんね。


 私は成功例の一覧に目を通しながら、指先でページを軽く叩いた。


 概ね、予想に近い数字です。

 けれど、今のところ、私の興味を削ぐほどの致命的な欠陥は見当たりません。


「……悪くはないですね」


 ふと、大輝や伯爵たちの顔が、ほんの一瞬だけ脳裏をよぎります。


 この資料の中に、彼らの名前はどこにも載っていない。

 それはとても当然で、そして少しだけ――


 胸の奥に、微細なざらつきが生まれた気がしました。


「なるほど。感情の抑制……これも聖痕の影響ですか。今のところ、記憶に支障はなさそうですね。失敗例に『記憶喪失』といったデータはありませんでしたが、今後も起こりえないとは限りません。少し、考えた方がいいかもしれませんね」


 ここまでの資料から推測するに、「聖痕保持者として一年以上活動できる確率」は一割あるかどうか、といったところでしょうか。


 ゼロからの研究であれば、時間が足りなかった可能性も大いにありますが、この研究環境であれば特に問題はありません。


 それにしても、この教会は、本当に優秀ですね。

 倫理観さえ脇に置いてしまえば、これほど理想的な実験場は、そうそう見つからないでしょう。


 ◇ ◇ ◇


「資料ありがとうございました」


 私は読み終えた資料を、レオネルさんに手渡した。

 そんな私の行動を前にして、彼は不思議そうに首を傾げている。


「もういいのですか?」

「はい、問題ありません。もう覚えましたので」

「そ、そうなんですね。では、こちらはお預かりしておきます」


 彼の今の心境を表すなら、生意気な小娘が大口を叩きやがってとかでしょうか。

 別に信じていただく必要もありませんが、後々の関係性を考えれば、早めに理解して頂いている方が、私にとっても都合がいいのかもしれません。


「ふふっ、久しぶりにその様な反応を見ました」

「こ、これは失礼を!?」

「いえ、構いませんよ」


 責めたように感じたのでしょうか。

 目覚めた時から、ずいぶんと丁寧な対応をしてくださっている。


 これは私が重要なサンプルであり、研究を進める鍵だから、という理由だけではなさそうですね。

 だとすれば、彼の立ち居振舞いは、彼本来の性格的な部分から来るものと考えた方が、自然でしょうか。


「お話の内容から察するに、白夢さんは記憶力が良いのでしょうか?」

「簡単に言うと、そうなります。ですが、目覚めてからは、以前よりも調子が良い気がします」


 案の定、食いつきましたね。

 実験サンプルである私の身体について話題に出せば、あなたは耳を貸すしかありません。

 臨床担当と仰っていましたから、私の経過観察はなおさら重要なのでしょう。


 なにせ、あなた方には、私の記憶力がどの程度のものかを知る由もないでしょう。

 例え、私が生まれながら「完全記憶能力」を有していたとしても、あなたはこれが聖痕の副次効果かもしれないという可能性を捨てきれない。


「なるほど。記憶力の向上、これも聖痕の副次効果による――」


 ひとりでに呟き始めた彼を、微笑ましく思いながらも、彼の一挙手一投足に目を向ける。

 どうやら、この人とは長い付き合いになりそうですから、知っておくに越したことはないでしょう。


「レオネルさん?」

「っ! も、申し訳ない。集中すると、周りが見えなくなるタチなんだ」

「お気になさらないでください。私の知り合いにも、そういう方がいますから」


 微笑んで見せれば、彼は安心した様に表情を緩めてくれた。

 最高司祭が待つ場所に辿り着くまでの間、彼との談笑に花を咲かせる。


「こちらで、司祭様がお待ちです」


 案内されたのは、シンプルながらも高価な装飾が施された扉の前。

 どう見ても、礼拝堂ではなさそうですね。ということは、司祭の執務室でしょうか。


「レオネルです。お目覚めになられたので、お連れ致しました」


 扉をノックし、彼はそう告げた。


「そうですか。レオネルさん、案内して頂きありがとうございます。持ち場に戻ってくださり大丈夫ですよ」

「かしこまりました」


 扉の前で一礼し、彼は私にも頭を下げた後、この場を後にする。

 彼の背を見送ったあと、私は静かに拳を握り、扉をノックした。


 ――この先にいる男と交わす契約が、私の未来を大きく変えることを理解しながら。

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