第一章 歪んだ救済

第一話 研究者としての日常

 聖痕を刻まれてから、半年が経ちました。


 目覚めてから数日間は、霊核への干渉による発熱や、意識の断続的な浮遊感に悩まされましたが、それらも今ではすっかり落ち着いています。


「では、いつもの通り、魔力出力テストから始めましょうか」


 地下研究所の一室。簡素なベッドと、いくつかの魔術計測器。殺風景な部屋の中央に、若い男が座っていました。年齢は、私とそう変わらないか、少し上といったところでしょうか。


 名前は、エルド・ライナス。

 聖始天教会所属の聖騎士にして、聖痕保持者の一人です。


 目覚めてから今日まで進めてきた研究によって、聖痕刻印の儀式における成功率は九割を超えるところまで引き上げられました。

 彼もまた、その改良された術式で刻印を受けた被検体の一人です。


「右手を、こちらの魔力測定器に添えてください。はい、そのまま、いつも通りに魔力を練り上げて――そう、祈りを捧げる時と同じ感覚で」


「分かりました」


 彼は素直に頷き、目を閉じました。

 次の瞬間、部屋の空気がわずかに重くなる。霊核から絞り出された魔力が、測定器の内部へと流れ込んでいきます。


 計測器に取り付けられた水晶板に、数値が浮かび上がる。


「……基礎出力、前回比で十二パーセント増加。安定度も、問題ありませんね」


 私は水晶板に走る光の揺らぎを眺めながら、手元の紙にさらさらと数字を書き込んでいきます。その隣で、レオネルさんが、慣れた手つきで詳細なデータを記録してくれていました。


「半年でここまで伸びるものなんですね……。正直、自分ではあまり実感がなくて」


 彼は気恥ずかしそうに笑う。

 表情自体は穏やかですが、その声にはどこか温度の差を感じます。

 笑っているのに、心がそこにいないような、そんな違和感。


「戦場での体感は、どうですか?」


「以前より、長く戦えるようになりました。多少の傷なら、祈りを捧げているうちに痛みが薄れていく感じもあります。怖さも……あまり、感じなくなりました」


「恐怖心の鈍化。報告通りですね」


 私は頷き、診察用のチェックリストにいくつかの印を付けていきます。


 魔力効率の向上。疲労耐性の上昇。負傷からの回復速度の改善。そして、恐怖心の抑制。


 ――表向きの聖痕のメリット、といったところでしょうか。


「夜は眠れていますか。悪夢や、妙な幻覚を見たりは?」


「いえ、特には。最近は、夢を見た記憶すらあまり……」


 彼は、そこで言葉を濁しました。

 恐らく、以前の彼ならば、もっと豊かな言葉で自分の感覚を語っていたのでしょう。実際、初診時の記録には、今よりもずっと感情豊かな所見が残っています。


 その違いを、私は淡々と、しかし興味深く眺めました。


「分かりました。生活面での不自由は、今のところなさそうですね。では、次に簡単な反応速度のテストを――」


 いくつかの検査を終え、聖痕周辺の視診と、簡易的な精神状態のチェックを済ませる。総合評価としては、極めて良好。聖痕保持者としては、教会の「成功例」に分類されるケースでしょう。


 もっとも、その成功が、彼個人にとっても成功と言えるかどうかは、また別の話ですが。


「お疲れ様でした、ライナスさん。今日の検査はこれで終わりです」


「ありがとうございます、白夢さん。これからも、よろしくお願いします」


 礼を言って部屋を出ていく彼の背中を、私はしばし眺めていました。

 以前より、背筋は真っ直ぐに伸びている。

 その代わり、肩に乗っていたはずの「迷い」の影が、きれいに削ぎ落とされている。


 聖痕とは、本当に器用な術式ですね。

 人から、戦うために不要なものだけを、うまく切り取っていく。


「経過としては、かなり優秀な部類に入りますね」


 隣で記録を見直していたレオネルさんに声を掛ければ、彼は眼鏡の位置を指で直しながら、ゆるく頷きました。


「ええ。出力も安定していますし、戦闘報告でも、目立った異常はありません。ただ……」


「感情の振れ幅が、初期と比べて明らかに小さくなっていますね」


「そこですね」


 レオネルさんは苦笑を浮かべました。


「聖騎士としては、恐怖を感じにくい方が戦いやすいのでしょうが、人としてはどうなのかと、つい考えてしまって」


「人としての評価基準と、兵器としての評価基準は、根本から異なりますから。どちらを優先するかは、組織側の価値観次第でしょう」


 私は淡々と答えながらも、自分の胸の内を軽く探ってみます。


 大輝の顔を思い浮かべてみる。


 ――本来なら、もう少し揺らぎを覚える場所だったはず。


 そこにあるはずのざらつきが、以前よりも滑らかになっているのを、確かに感じました。


「……感情の抑制。私にも、少しずつ進行しているようですね」


「え?」


「いえ、独り言です」


 そう言って、私は検査用の記録用紙をまとめました。


 聖痕の刻印から半年。

 少なくとも、この研究所の中では、聖痕は「有望な兵器」としての顔を、十分に示し始めています。


「白夢さん、次の検体なんですが――」


 レオネルさんが言いかけたところで、扉が勢いよくノックされました。


「し、失礼します! レオネル先生、白夢さん!」


 顔を覗かせたのは、若い研究補助員でした。息を切らせ、顔色を強張らせている。


「どうしました?」


「新しい検体が運び込まれました。辺境の村で発見された遺体だそうですが……その……」


 彼は言葉を探すようにして、ちらりと私の方を見ました。


「司祭様から、『最優先で白夢そらに解析させろ』とのご指示です」


「ほう。それはまた、珍しいですね」


 私は椅子から立ち上がりました。


「検体の概要は?」


「リメール領の北西にある村の外れで発見された男性の死体です。外傷はほとんどないのですが、胸部に……教会の記録にある『聖痕』と酷似した刻印が確認されていて……」


「酷似、ですか」


 その一言だけで、十分でした。

 教会の正式な儀式以外で、聖痕に似た刻印が現れるとすれば、それは――


「案内をお願いします。実物を見た方が早いでしょう」


「は、はい!」


 慌てて先導を始める補助員の後ろ姿を追いながら、私はレオネルさんに視線を向けます。


「レオネルさん、先ほどの記録は一時保留で構いません。こちらを優先しましょう」


「……了解しました。嫌な予感がしますね」


「予感で済めば、まだ良い方ですよ」


 私は小さく笑いました。


 聖痕に似た刻印を施された死体。

 それに、最高司祭からの「最優先」という言葉。


 確か、以前目を通した資料の中に、「諸事情により追跡不能」といった内容の失敗例があったはずです。


 あれと今回の件が、まったくの無関係だと考える方が、少し無理がありますかね。


 ――少し、きな臭くなってきました。

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