第4話

第三の試練 見なかったものを、見よ


 気づくと、そこは自分の部屋だった。


 見慣れた天井。

 剥がれかけた壁紙。

 床に落ちたままの靴下。


 ――戻れた?


 一瞬そう思い、足を動かそうとして、木が軋む音で現実に引き戻された。


 視線を落とす。

目に入ったのは、木製の脚。

 金属の関節だった。


 やはり、胡桃割り人形のままだった。


 部屋の隅に、何かが転がっている。


 あの日、祠で蹴り落とした胡桃割り人形。

 左足は折れ、右手は外れ、口元は欠けたまま。


 ――なぜ、ここに。


 近づこうとした瞬間、視界が揺れた。


 床が遠ざかる。

 天井が巨大になる。


 次の瞬間“床に横たわって”いた。


 動かそうとしても、体が動かない。

 視界は低く、片側が欠けている。


 理解するまで、時間はかからなかった。


 これは――壊された側の視点だ。


 足音がする。


 巨大な影が近づき、こちらを見る。

 興味なさそうな目。


「……なんだよ、こんな所に」


 自分の声だった。


 蹴られる。


 視界が回転し、石段を転がる。

 衝撃。

 関節が外れる感覚。

 割れる音。


 痛みは、音としてしか伝わらない。

 叫びたくても、声は出ない。


 それでも、意識だけは残る。


 ――見られていない。

 ――拾われない。

 ――直されない。


 人間の足が遠ざかっていく。


 置き去りにされる。


 壊れたまま。


 その瞬間、声が響いた。


『これが、お前が見なかったものだ』


 視界が切り替わる。


 今度は、人形のまま立っている自分が見えた。

 鏡の前だ。


 だが、そこに映る胡桃割り人形は、

 片腕を失い、脚は歪み、傷だらけだった。


「……俺は……」


 言葉が出なかった。


『悪意がなくとも、行為は残る』


 声は責めるでもなく、淡々としている。


『見なかったことにした時点で、選んだのだ』


 主人公は、鏡の中の自分から目を逸らせなかった。


 戻りたい。

 だが、戻る資格があるのか。


『三つの試練は終わった』


 部屋の扉の先に、祠が見える。

 新しい胡桃割り人形が、丁寧に供えられていた。


『選べ』


 戻るか。

 それとも、ここに残るか。


 主人公は、静かに一歩前へ出た。


 木の足で。

 ぎこちない歩幅で。


 誰かに見られなくても、

 踏まれない場所へ。


 ――もう、見なかったことにはしない。


 その決意だけを抱いて。

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祠の胡桃割り人形 魔王の囁き  @maounosasayaki

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