第2話 Side.Sumika
夕方の
彼は元々感情が表に出るタイプではない。無愛想というほどでもないが、淡々としていて、忙しさや疲れを顔に出さない。それでも今日は、わずかに動きが鈍い。釣り銭を渡す手が一拍遅れ、客がいない時間には、考え事をするように視線が宙を彷徨っている。
――何かあった。
そう判断するのに、淑花は迷わなかった。
閉店準備に入る少し前、レジ締めの合間を見て、彼女は自然な調子で声をかけた。
「太玖也くん、今日なんだか元気ないね」
太玖也は一瞬だけこちらを見て、それから否定も肯定もせずに息を吐いた。
「……そんなにわかりやすいですかね?」
「まあ、わかる人には」
淑花は笑いもせず、淡々と返す。過剰に気遣うと、彼は引く。これは経験則だった。
「何かあったなら、聞くよ?」
しばらくの沈黙のあと、太玖也は観念したように口を開いた。
「大学の、新入生歓迎会に参加することになって」
それだけで、淑花は大体の事情を察した。
彼は酒が得意ではない。飲めないわけではないが、好んで飲むタイプでもないし、集団で騒ぐ場を避ける傾向がある。
「お酒?」
あえて核心を外した問いを投げる。本当の理由がそれだけではないことは、最初からわかっていたが。
案の定、太玖也は首を振った。
「酒自体は、まあ……。それもありますけど、みんなでワイワイ、って空気が苦手で。しかも……」
言い淀む。その一瞬の躊躇を、淑花は見逃さない。
「しかも?」
「……
その話が出た瞬間、淑花の思考は一段階深く沈んだ。
「断れなかった、って感じ?」
「断ったら、後々面倒になるかもしれないって思って」
仲間外れ。空気。立場。
彼がそういう圧力を正確に理解していることに、淑花は内心で小さく評価を更新する。鈍感ではない。ただ、抵抗する気が薄い。
「なるほど」
淑花はそれ以上、掘り下げなかった。理由を聞き出すのが目的ではない。状況を把握できれば充分だ。
「じゃあさ」
在庫表を閉じながら、ふと顔を上げる。
「みんなでワイワイじゃなければ、いいんだよね?」
太玖也は少し意外そうな顔をした。
「……どういう意味ですか」
「今日、バイト終わりに少しだけ飲まないかな、って」
誘いは軽い。だが、曖昧さはない。
「晩酌っていうほどでもいいし。二人きりで、少しだけ。どう?」
彼女は自分が何をしているか、正確に理解していた。
これは慰めでも、同情でもない。比較対象を用意するための行為だ。大人数の場と、静かな二人の時間。その差を、彼自身に認識させる。
太玖也はすぐには答えなかった。考えている、というより、警戒している様子だった。
「……それって」
「ああ、嫌ならいいの。無理に誘ってるわけじゃないし」
逃げ道を用意する。これは淑花の癖だった。選択肢を与えない関係は、必ず歪む。
しかし数秒の沈黙のあと、太玖也は小さく頷いた。
「じゃあ……少しだけなら」
「うん。少しだけ」
それで充分だった。
淑花は彼が歓迎会を憂鬱に思っている本当の理由を、まだ完全には掴んでいない。ただ、“鷹条さん”という名前が、彼の中で単なる同級生以上の“ノイズ”になっていることはわかった。
理解できないものほど、距離を測りたくなる。それは彼女自身の性質でもあった。
レジの灯りを落としながら、淑花は思う。
これは踏み込みではない。観測だ。それでも、この一杯が、後に引き返せない差になる可能性があることを、彼女は計算に入れていなかったわけではなかった。
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