繭 <AI版>

ミスミ

第1話 Side.Kisaki

 新年度が始まってから、二週間ほど経った頃のこと。教育学部の掲示板に貼られた新入生歓迎会の告知が目に入って、鷹条たかじょう紀咲きさきは内心で小さく舌打ちしていた。

 二年生が一年生を迎えるための、毎年恒例の行事。名目は交流、しかし実態は品評会に近い。誰が来て、誰が目立って、誰がどこに座るか。そういう情報が、驚くほど正確に共有される場だ。


「紀咲、今年も来てくれるよね?」


 そう声をかけてきたのは、幹事を務める予定の同期だった。念を押すような口調に、紀咲は即座にその理由を理解する。

 彼女は幹事ではない。段取りを仕切る義理もない。それでも「いてほしい」と言われる立場だということを、もう充分すぎるほど学習してきた。


 教育学部の中で、紀咲はひと際目立つ存在だった。成績が特別良いわけでも、派手に振る舞うわけでもない。ただ、視線が集まりやすい。その理由を正確に言語化するのは難しいが、要するに、“花がある”と評価される種類の人間だった。


 そして同時に、大学に入ってから続いた彼女の短い恋愛遍歴も、周囲はそれなりに把握している。付き合っても長くは続かない。別れ方が荒れるわけでもない。ただ、いつの間にか関係が解消されている。その曖昧さが、かえって余白を生むのだった。


 ――歓迎会。酒。夜。

 狙っている男子がいないはずがない。


「一応、行くつもりではあるけど」


 そう答えながら、紀咲はもう次の手を考えていた。

 参加しない、という選択肢は最初からない。断れば角が立つし、欠席すれば別の形で詮索される。ならば、どう参加するか、だ。


 彼女が最初に思い浮かべた名前は、朝桐あさぎり太玖也たくやだった。

 同じ学科の同期。特別仲がいいわけではない。イケメンに分類される容姿でもない。知っている連絡先も、学科用のグループに限られている。それでも紀咲は、彼を「安全」と判断していた。


 理由は単純だ。太玖也は、自分に興味を向けていない。

 それは、彼が女性に関心がないという意味ではない。そういう無味乾燥なタイプではないことくらい、紀咲もわかっている。ただ、少なくとも自分に対して、欲望を含んだ視線を向けてきたことがない。期待も、探りも、評価もない。


 それは、紀咲にとって貴重だった。



 翌日、講義が終わったタイミングを見計らって、彼女は太玖也に声をかけた。


「ねえ、朝桐くん。歓迎会、出るよね?」


 あくまで事務的に。同期としての確認、という体裁を崩さずに。

 太玖也は一瞬だけ考える素振りを見せ、それから困ったように眉を下げた。


「……正直、ああいうの得意じゃなくて」


 予想通りの反応だった。

 紀咲は内心で頷く。だからこそ、彼は使える。


「でも、毎年やってる行事だし、二年の責務みたいなものだからさ」


 言葉を選びながら、距離を詰めすぎないようにする。頼みではなく、役割の確認。特別扱いはしない。そういう建前を崩すと、余計な誤解が生まれる。


 それでも太玖也は首を縦に振らなかった。


「できれば今回は……パスしたいんだけど」


 このまま押し切れないと判断し、紀咲は一度だけ計算を修正する。安全な相手に使うには少し重いが、必要経費だ。


「じゃあさ、今度のレポート。私が手伝うから」


 彼の視線が、わずかにこちらに向いた。

 興味ではない。条件としての反応だ。


「……それ、本気?」


「もちろん本気。手抜いたりしない。約束するよ」


 紀咲は即答した。嘘はついていない。手伝うこと自体は苦ではないし、そもそも彼のレポートが致命的に酷いわけでもない。ただ、秤にかけた結果、こちらが勝っただけだ。


 しばらく沈黙が落ちて、それから太玖也は小さく息を吐いた。


「……わかった。参加する」


 紀咲は表情を変えずに、「助かる」とだけ返した。


 胸の内で、ほっと息をつく。

 これでいい。私の隣に座るのは最も安全な人間。彼はきっと、余計なことをしない。期待もしない。踏み込んでもこない。それでいて、存在感としては十分だ。



 紀咲はその選択が、後になって自分の判断基準を揺るがすことになるとは、この時点では思いもしなかった。

 いつも通り、最適解を選んだだけだと思っていた。

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