世界

帰路の海は、静かすぎた。


帆は張られている。

風もある。

だが、海が――生き物のように沈黙している。


リオラは甲板の縁に立ち、双剣の柄から手を離さなかった。


腰のポーチの奥、布に包まれた光る石は、今は沈黙している。


(……使ったあと、完全に眠ったままか)


それが救いなのか、兆しなのか。判断はつかない。


ダリウスが双眼鏡を下ろし、小さく息を吐いた。


「追っては来てない。少なくとも、目に見える範囲じゃ」


カイエは巨大なライフルを抱えたまま、海面を睨んでいる。


「……あの化け物ども、あんな力を持ってやがるのに、俺たちを深追いしなかった」


セリナが不安そうに船縁を握る。


「“追えなかった”んじゃないでしょうか……あの森、あの島……何か、境界みたいなものがある気がします」


リオラは何も言わなかった。

ただ、確信だけはあった。


――あの大陸は、まだ何かあるな



王都リンネル ― 緊急召集


王都に戻るや否や、休息は許されなかった。


港から城へ。

その足で、王城最深部・円卓の間へ。


扉が閉じられる。


重厚な石の部屋。

そこに集うのは、リンネル王国の「意思」そのもの。


円卓の奥、玉座に座すは――


国王 エドヴァルト・リンネル


その右に、背筋を伸ばした男。


宰相 グラハム・ヴァルフォード


左には、甲冑を着込んだ巨躯。


騎士団総長 バルド・クレイヴ


円卓の一角、目を輝かせる女性。


王立学術院長 エレノア・フィンレイ


そして、帳簿を閉じる音。


財務卿 オズワルド・ミーレン


中央に立たされたのは、ただ一人。


――リオラ・アルベルト。


国王が静かに口を開いた。


「……リオラ卿。

 数か月、連絡が途絶えていた調査隊の件。

 そして、君たちが見たものを、すべて話してほしい」


リオラは一礼し、語り始めた。


大陸。

未知の生物。

銃が効かぬ存在。

脊髄の発光。

光る石。

そして――力の発現。


最後に、布包みを机の上に置く。


「これが、その石です」


エレノアが、身を乗り出した。


「発光は? 波動は!?

 触れたとき、何を感じました!?」


バルドが低く唸る。


「待て。

 それより先に聞く。

 ――兵は、何人失った?」


リオラは一瞬、視線を落とした。


「……前調査隊は、全滅していました」


室内の空気が凍る。


宰相グラハムが、淡々と口を挟む。


「つまり、その力を持つ存在が、

 大陸には“複数”いる可能性が高い、と」


「はい」


財務卿オズワルドが指を組む。


「……市場に出れば、世界が変わる。

 いや、出さずとも奪い合いになる」


エレノアは震える声で呟いた。


「世界の理に直接触れる力……」


その言葉に、バルドが机を叩いた。


「ふざけるな!

 そんな得体の知れないものを、兵に持たせる気か!」


「だが――」


宰相が即座に返す。


「他国が先に手にすれば、

 我が国は滅ぶ」


国王が、初めて感情を滲ませた。


「……リオラ卿。

 君は、その力を使って、何を思った?」


全員の視線が集まる。


リオラは、はっきりと言った。


「これは武器です」


エレノアが息を呑む。

バルドが顔を歪める。

宰相が微笑む。

財務卿が計算を始める。


だが、リオラは続けた。


「同時に、

 国を滅ぼす引き金にもなり得る」


沈黙。


国王エドヴァルトは、ゆっくりと立ち上がった。


「……よい」


そして宣言する。


「この件は、王命事項とする」


宰相が目を細める。


「つまり?」


「情報は封鎖。だが探索は続行する」


国王は、リオラを真っ直ぐ見た。


「リオラ・アルベルト。君に、次の命を与える」


その声は、重かった。


「――あの大陸の真実を、持ち帰れ」


リオラは一礼する。


だがその胸中に、去来する不安。


(……もう、後戻りはできない)


円卓の誰もが理解していた。


ーーーーーーー


会議が終わり、重い扉が閉じられたあと。


宰相グラハム・ヴァルフォードは、自室に戻るなり外套を脱ぎ捨てた。


窓から見える王都は、いつもと変わらぬ夜景を見せている。


「……ようやく、だ」


小さく吐き捨てる。


机の上には、さきほどリオラが置いた報告書の写し。


本来、王命事項として複写は禁止されている――はずだった。


「世界を変える力を、“慎重に扱え”だと?」


グラハムは鼻で笑った。


そこへ、影のように一人の男が現れる。

近衛兵の制服だが、徽章はついていない。


「宰相閣下。学術院側、動き始めています」


「当然だ。エレノア・フィンレイは抑えられん」


「では――」


グラハムは即答した。


「分断する」


男が息を呑む。


「国王派、騎士団派、学術院派。

 全員に“少しずつ”情報を与えろ」


「……完全な情報は?」


「渡すな。全体像を知るのは――私だけでいい」


宰相は窓の外を見たまま続ける。


「騎士団には“危険性”を強調しろ。

 学術院には“研究の可能性”だけを見せろ」


「騎士団にあの力を握らせるのは危険だ、学習院は情報さえ渡せば勝手に研究を進めるだろう」


「では、リオラ卿は?」


一瞬、間が空いた。


「……あれは、厄介だ」


グラハムは認めざるを得なかった。


「冷静すぎる。

 英雄になれる器だが、

 操れる英雄ではない」


男が尋ねる。


「排除を?」


「まだだ」


宰相は指を鳴らした。


「まずは“役割”を与える。

 責任と現場を押し付けろ」


彼の口元が歪む。


「未知の大陸、未知の力、そこで死んだとしてもなんの不思議もないだろう?」


ーーーーーーーーー


学術院・地下研究室


一方その頃。


エレノア・フィンレイは、

白衣のまま机に広げられた標本を前にしていた。


光を失った石。

切り出された器官。


「……美しい」


呟きは、純粋な研究者のそれだった。


「制御できれば、

 文明は千年進む」


背後から声がする。


「――制御、ですか」


振り返ると、そこにいたのは宰相の使者。


「宰相閣下より。“研究は許可する。ただし結果は直報告で”」


エレノアは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに笑った。


「構いません。私は“答え”さえ知れれば」


その目は、完全に獲物を見つめる研究者のものだった


ーーーーーーー


騎士団本部


バルド・クレイヴは、

訓練場で剣を振る兵たちを眺めていた。


「……嫌な予感がする」


副官が問う。


「宰相の動きですか?」


「ああ」


バルドは拳を握る。


「戦争の匂いだ」


その脳裏に浮かぶのは、リオラの冷静な瞳。


「……あいつだけは、利用させない」




そして、静かに


王城のどこかで、

鐘が鳴る。


それは祝福でも警告でもない。


ただ、始まりの音だった。


リンネル王国は、まだ知らない。


敵が海の向こうだけでなく、

城の中にも生まれたことを。


ーーーーーーーー


列強国レイヴン ― 黒翼の国


レイヴン王国の首都は、常に曇天に覆われている。


陰影と秘密を重んじるこの国そのものが、都市を黒く包んでいるかのようだった。


高くそびえる城壁。


迷路のように入り組んだ路地。


情報は武器であり、隠密は日常の一部。



王宮・情報局地下会議室


厚い石の円卓を囲む三つの影。


蝋燭の炎が揺れ、壁に長く伸びる黒い影が、部屋を一層不穏にする。


中央の男――カイラス・ヴェルナー国王が口を開いた。


「リンネルの調査隊が帰還した」


その声に、空気がピリリと変わる。


右の男――宰相マルコム・スヴァルトが指を鳴らす。


「失踪から三か月。生還は四名。しかも精鋭のみ。普通では考えられぬ事態だ」


左の男――情報局長イリーナ・クロスが冷ややかに言う。


「さらに港湾都市で、奇妙な異常が複数報告されている。積荷の記録と合致しない行動があったそうです」


カイラスは卓上の書類に指を滑らせ、慎重に目を走らせる。


「――リンネルは何かを掴んだのだろう。我々が確認すべきは一つ。それが戦力となり得るかどうかだ」


マルコムが小さく頷く。


「兵器であるか、あるいはそれに類する何か……先手を打たねば、リンネルが優位に立つ」


イリーナは既に手元の地図と報告書に目を落とし、低く告げる。


「すぐに観察班と密偵を派遣します。動向を把握し、必要であれば抑止力を投入します」


カイラスは拳を机に打ち付ける。


「調査班など必要ない。我々が今すぐ兵を送ろう。未知の大陸を、この目で確かめるのだ」


マルコムは口をつぐむ。


「しかし……情報が足りぬまま派兵するのは――」


カイラスは振り返り、鋭い視線を宰相に向ける。


「世界最強の我が国に密偵など必要か?行動こそが力だ。疑い、待つ、それは敗者の言い訳にすぎぬ」


「リンネルの様子を気にする必要はない」


イリーナも頷く。

「王の判断に従い、即座に艦隊を編成いたします」


カイラスは窓の外を睨む。

「リンネルが何を掴もうとも、我々が先に手を下す――黒翼の国の力を、思い知らせてやる」


霧の都を覆う暗雲のように、レイヴンの影は既に未知の大陸に伸び始めていた

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