発現

風の化け物の死体は、倒れたまま静止していた。

だが――完全な沈黙ではない。


「……まだ、熱が残ってる」


セリナは膝をつき、手袋をはめる。

医療器具を素早く並べ、迷いのない動きで刃を取った。


「切ります。いいですか?」


「どうぞ。僕は外側から見てる」


ダリウスは双眼鏡を外し、今度は肉眼で死体を観察する。

皮膚の裂け目、血の乾き方、炭化の進み具合――

すべてを逃さないように目で追う。


セリナの刃が、正確に、静かに皮膚を開いた。


「……やっぱり」


彼女の声が低くなる。


「人間と、配置が近いです。

骨格も、内臓の位置も……かなり」


「完全な化け物ってわけじゃない、か」


ダリウスは頷きながら、背中側へ回る。


そのとき――


「ダリウス、これ……」


セリナが、脊髄のあたりを指差した。


開かれた背中。


骨と骨の間、その奥で――


わずかな光が、脈打つように揺れている。


「……光ってる」


ダリウスの声から、軽さが消えた。


二人は顔を見合わせ、無言のまま近づく。


脊髄に沿うように、細い筋が淡く発光している。


炎の色ではない。


もっと冷たく、透き通った光。


「生きている……?」


「いや、違う」


ダリウスは首を振った。


「これは“反応”だ。たぶん――力を出す中枢」


セリナは慎重に器具を差し込み、光の正体を確かめようとする。


セリナは小さく息を吸い、覚悟を決めたように頷いた。


「……切り出します」


「慎重に。

刺激を与えると、何が起きるかわからない」


セリナは刃を持ち替え、発光部位の周囲を丁寧に切り開いていく。

骨を避け、神経を傷つけぬよう、繊細な手つきで。


光は、刃が近づくたびに、わずかに強まった。


「……生きてるみたい」


「でも、もう死体だ。

反射……いや、残滓だろう」


セリナは深く息を吐き、決断する。


「行きます」


刃が、脊髄の一部を切り離した。


その瞬間――

ふっと、光が脈打つ。


風が、ほんの一瞬だけ、周囲の葉を揺らした。


「……今の」


ダリウスが目を見開く。


「間違いない。切り離しても、反応してる」


セリナは慎重に、その部位を布で包み、両手で持ち上げた。


淡く光る“それ”は、


生き物の一部でありながら、鉱石にも似ていた。


「これ……」


「うん」


ダリウスは静かに頷く。


「力の源だ。少なくとも、あの衝撃波と風は、ここを通って生まれてる」


二人の背後で、再び爆ぜる炎の音。


だが今、彼らは確信していた。


――この発光する“脊髄の一部”こそが、

この大陸の“異常”を解く、最初の手がかりだと。


セリナは、切り出したそれを布の上にそっと置いた。

脊髄の一部――骨と神経が絡み合い、なお淡く光を宿した“核”。


「……ダリウス、お願いします」


短くそう言って、一歩下がる。


「了解」


ダリウスは慎重に手袋をはめ、その“核”を両手で持ち上げた。


その瞬間だった。


――ピッ。


小さな音にも似た感覚とともに、

それまで弱々しかった光が、一気に強まる。


「……え?」


ダリウスの手の中で、

淡い緑がかった光が脈打ち始めた。


「風の化け物と……同じ……」


セリナの声が、思わず小さくなる。


光は規則正しく明滅し、

まるで“呼吸”を再現しているかのようだった。


「触れたから……反応した?」


ダリウスは動かない。

だが、目だけが鋭く光を追っている。


「……いや、違う」


低く、確信を帯びた声。


「持っただけじゃない。

“持てる”から反応してる」


「え……?」


ダリウスの足元で、枯葉がわずかに揺れた。


「……風」


セリナが気づき、周囲を見る。


空気が、ダリウスの周囲だけ、かすかに流れている。


「まさか……」


「風の化け物と同じ反応だ」


ダリウスはゆっくりと息を吐いた。


「つまり――この“核”は、生き物じゃなくて、使われるもの」


光はさらに強まり、

布がはためき、髪が揺れる。


「セリナ、これ……」


ダリウスは一度だけ彼女を見る。


「人が触れたときにも、力を発現させる」


二人の間に、重い沈黙が落ちた。


遠くで、炎が爆ぜる音がする。


だがそれ以上に、ダリウスの手の中で脈打つ光が、はっきりと主張していた。


ダリウスは、しばらく黙ったまま“それ”を見つめていた。


手のひらの中で、脊髄の一部――淡く光る器官が、一定のリズムで脈打っている。


(発光が起点。力は外に漏れ出るんじゃない、流されている)


頭の中で、今までの光景が繋がっていく。


風の化け物。

火の化け物。

発動の直前に起こる発光。


そして――リオラが光る石に触れた瞬間。


(石も同じだ。触れたとき、“応えた”)


ダリウスは小さく息を吸い、確信を口にした。


「……理屈は、単純だ」


セリナが息を呑む。


「この器官は、力を生み出してるんじゃない。通してるだけだ」


彼は“核”を指先で軽く叩く。


「力そのものは、たぶん外にある。空気、熱、何か――それを、形にするための回路がこれだ」


「回路……」


「だから、人間でも、化け物でも……条件を満たせば」


ダリウスは、ゆっくりと拳を握った。


「――僕でも、使える」


ダリウスがそう言い切った、その直後だった。


彼の拳の中で、脊髄の一部が強く発光する。


淡い光は指の隙間から溢れ、腕を伝い、胸元へと流れ――


「……来い」


ダリウスは即座にスナイパーライフルを構えた。


思考は冷静だった。


狙うべきは一点。


炎が最も不安定になる瞬間。


――背中が、光った。


「今だ」


引き金を引く。


乾いた銃声。


だが、撃ち出された弾丸は、ただの鉛ではなかった。


弾丸の周囲に、風が纏わりつく。


螺旋を描きながら空気を切り裂き、音すら置き去りにして飛ぶ。


「……!?」


炎の化け物が振り向く間もなく――


ズンッ!!


弾丸は炎の膜を突き破り、

胴体を一直線に貫通した。


炎が裂け、爆ぜる。

衝撃波が走り、地面が抉れる。


「なっ――」


前線で踏ん張っていたカイエが、思わず振り返る。


焼けた空気の向こう、木陰に立つダリウス。


銃口の周囲に、まだ名残のように漂う風。


「……あぁ、そういうことか」


一瞬きょとんとした顔を見せ、

次の瞬間――カイエの口元がニヤリと歪む。


「風を使ったな、ダリウス」


その声は、確信に満ちていた。


「よくやった」


言い切ると同時に、カイエは前を向き直る。


迷いが消え、獣のような集中が宿った。


「なら――話は早ぇ」


ライフルを担ぎ直し、踏み込む。


ダリウスも、すでに次を見ていた。


双眼鏡越しに、炎の化け物の胴体をなぞる。


「……カイエ、右肩寄り」


「?」


「さっきの一撃。風が通った周辺だけ、皮膚が裂けてる」


炎に覆われた体の一部。


だが、そこだけは燃え方が甘く、赤黒い“傷”がはっきり残っている。


「風で削れた……防御が薄い」


一瞬の沈黙。


そして、カイエが笑う。


「なるほどな……弱点は“作れる”ってわけだ」


次の瞬間、

攻撃の手が一段階、激しくなる。


「おらぁ!!」


ライフルが火を噴く。


狙いは一点――風で傷ついた箇所。


弾丸が突き刺さるたび、炎が不規則に揺らぎ、悲鳴のような轟音が上がる。


「効いてる!」


ダリウスが叫ぶ。


「そのまま畳みかけて!

風で削った場所を、徹底的に!」


リオラも状況を理解し、双剣を構え直す。


炎の化け物が後退し、戦場の流れがこちらに傾いた――その隙を逃さず、

セリナは再び死体へと向き直った。


「……時間がありません」


額に汗を浮かべ、声を張り上げる。


「この器官、一体に一つじゃない……複数あります!」


彼女は躊躇なく刃を走らせた。


背骨に沿って、肋の奥へ。


発光の反応を示す部分だけを、正確に、素早く切り分けていく。


「セリナ、無理するな!」


リオラの声が飛ぶが、彼女は首を振る。


「今しかありません!」


刃が走るたび、淡い光が一つ、また一つと布の上に並ぶ。

どれも大きさは異なるが、

共通して脈打つような光を宿している。


セリナは歯を食いしばり、最後の一つを切り出した。


「……全部出す」


その瞬間、ダリウスが駆け寄る。


淡い光を放つ器官が、いくつも脈打っている。


「……全部です。

ダリウスさん、これを――」


言い終わる前に、ダリウスが頷いた。


「うん、分かってる」


まるで最初から織り込み済みだったかのような口調。


「一人一つ。同時に使えない以上、持っていくしかない」


セリナが一瞬、驚いた顔をする。


「……最初から、そのつもりだったんですか?」


「当然」


ダリウスは迷いなく器官を手に取り、素早く仕分ける。


「前線が二人。なら、二つ必要だ。理屈としては、それだけ」


布に包んだ二つを腰に収め、残り一つを自分の手に残す。


「カイエとリオラ。あの二人なら、使いこなせる」


セリナは、少しだけ肩の力を抜いた。


「……ありがとうございます」


「礼は後でいい」


ダリウスは振り返り、走り出す準備をする。


「今は、想定通りに動く」



ダリウスは走り出しかけて、ふと足を止めた。


振り返り、切り出した器官を布ごと抱え直す。


そして、セリナを見る。


「……一つだけ、言っておく」


炎の明滅が、二人の影を揺らす。


「僕だけじゃ、これは無理だった」


セリナが目を瞬かせる。


「え……?」


ダリウスは小さく息を吐き、率直に続けた。


「理屈は分かっても、

どこを切ればいいか、どう扱えばいいか――

それは君の領分だ」


視線を、布に包まれた光へ落とす。


「取り出せたのは、君がいたからだ」


一拍置いて、少し照れたように言った。


「……ありがとう、セリナ」


セリナは一瞬固まり、

それから慌てて首を振る。


「い、いえ!

私はただ、やるべきことを……」


だが、声はどこか弾んでいた。


「でも……そう言ってもらえると、嬉しいです」


ダリウスは軽く笑い、今度こそ前を向く。


「帰ったら、ちゃんと報告書に書くよ。

“解剖担当・セリナの判断が決定的だった”って」


「やめてください! 恥ずかしいです!」


そのやり取りを最後に、

ダリウスは走り出す。


炎の戦場へ。

仲間に“鍵”を渡すために。


セリナはその背中を見送りながら、

胸の奥に、確かな手応えを感じていた。


――自分は、ここにいていいんだ。

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