役割

風が完全に止み、森は不自然なほど静かだった。


リオラが背を向け、次の進路を見据えた、その時。


「……隊長」


声をかけたのはダリウスだった。

いつもの軽さはなく、珍しく真剣な目をしている。


「少しだけ……いいか?」

「気になることがある」


リオラは足を止め、振り返る。

「……何だ」


セリナが一歩前に出る。

まだ顔色は青いが、医師としての目を失ってはいなかった。


「……この人型の存在……」

「頭が燃えた人と、綺麗すぎる切断面……」

「それに、さっきの発光……全部、同じです」


化け物の亡骸を、恐る恐る指差す。


「……少しだけ、体を調べさせてください」

「危険なら、すぐにやめますから……」


ダリウスも頷いた。

「理屈がある。感情じゃない」

「ここで何も持ち帰らなかったら……また同じ目に遭う」



リオラは、倒れ伏した化け物を見下ろす。

背中の脊髄は、完全に光を失っている。


「……五分だ」


短く言った。


「それ以上は置いていく」

「何かあったら、即撤退だ」


セリナの顔が、ぱっと明るくなる。

「は、はい!」


ダリウスは小さく笑った。

「十分だ」


リオラは双剣を肩にかけ、周囲に目を走らせる。


カイエ」


リオラは視線を森に向けたまま言った。


「周囲を見張れ。音と気配に集中しろ」


「同じのがもう一体いても不思議じゃない」


「了解」


カイエは即座に応じ、巨大なライフルを構えて少し離れた高所に立つ。


勇敢だが、無駄に前に出ない。


リオラの判断を疑わない男だった。


その背中を確認してから、ダリウスがぽつりと言う。


「……隊長」

「さっきの、あれ」


リオラは返事をしない。

だが歩みを止めたことで、続きを促した。


「光る石だ」

「触れた瞬間、隊長の動きが……変わった」


セリナも頷く。

「風が……剣の周りに……」

「私、見間違いじゃないですよね……?」


リオラは、胸元のポケットに手を入れる。

今は完全に光が失われていた。


「……分からん」


短く言う。


「使おうと思ったわけじゃない」

「触れたら……勝手に、だ」


ダリウスは顎に手を当て、興奮を抑えた声で言った。


「同じだ」

「さっきの化け物も、背中が光った瞬間に衝撃が出た」


「つまり……」

セリナが言葉を探す。


「この石と、あの力は……関係してる、かも……」


その時。


「……隊長」


低く、鋭い声が飛んだ。


カイエだ。


「森の奥だ」


「今……枝が鳴った」


リオラは即座に石から手を離し、双剣を取る。


「調査は中断だ」

「全員、位置を詰めろ」


彼の視線は、光を失った石へと一瞬だけ落ちる。


先ほどまで確かにあった光は、今はない。


ただの、少し冷たい鉱石の欠片のように沈黙している。


(……まだ、あの力を使えるのか?)


そう考えた、その瞬間だった。


――パチッ


乾いた音が、森の奥で弾けた。


次いで、ぼっ、と低く押し殺したような炎が立ち上る。


「……え?」


セリナの声が震えた。


一本、また一本と、木の根元に火が灯る。


松明を置いたわけでもない。


火打石を使った様子もない。


ただ、囲むように、正確に。


「囲まれてるな」


ダリウスが双眼鏡を構えたまま呟く。


声は冷静だが、額に汗が滲んでいた。


「風だけじゃ、なかったか…」


カイエが低く舌打ちする。


炎は勢いを増さない。


だが消えもしない。


逃げ道を塞ぐためだけに存在する、意思を持った火だった。


リオラは一歩、前に出る。


燃え上がる木々の向こう、揺らめく熱の壁の奥に、何かがいる。


視線が、確実にこちらを捉えている感覚。


リオラは、炎の揺らぎを見つめていた。


否――見ている、という感覚ではない。


(……来る)


理由は分からない。


だが確信だけが、胸の奥に落ちてくる。


空気が、わずかに歪む。


熱が集まり、流れが生まれる“起点”。


「――ッ!」


反射的に、双剣を構えた。


次の瞬間、炎が飛んだ。


弾丸のような速度。

だがリオラの身体は、先に動いていた。


「はああっ!」


双剣を交差させ、炎の軌道を――斬る。


刃が空を裂き、熱を断つ。


……はずだった。


「ぐっ――!?」


炎は、切れなかった。


刃が触れた瞬間、弾かれるように熱が暴れ、火勢が跳ね返る。


同時に、焼けつく痛みが腕を襲った。


「リオラ!」


セリナの叫び。


リオラは歯を食いしばり、数歩よろめいて後退する。


右腕の袖が焦げ、皮膚が赤黒く爛れていた。


(……違う)


あの時とは、決定的に違う。


胸元を探る視線。


光る石は――沈黙したままだ。


(さっきは、確かに……“応えて”いた)


だが今は、ただの石。

風は起きず、刃を包む何かもない。


「力は、常に使えるわけじゃないってことか…!」


は、再び集まり始めている。

さきほどよりも、はっきりとした“起こり”がある。


――分かる。


来る位置。

来る角度。

来る、ほんの一瞬前。


(見える……いや、感じるだけか)


リオラは痛む腕を無理やり引き上げ、双剣を構え直した。


「……石の力は使えなくても」


低く、息を整えながら呟く。


「感覚だけは、残ってるらしい」


炎が、再び放たれる。


今度は――避ける。


焼けた腕が悲鳴を上げる中、リオラの目だけは静かだった。


炎が弾け、火の粉が木々を焦がす。


リオラは前に立ち、他の隊員たちは指示通り離れたところから援護していた


カイエの巨大なライフルが低く唸り、ダリウスの狙撃が間を縫う。


だが――弾丸は、見えない壁に阻まれるように逸れていく。


「くそっ、当たらねえ……!」


援護の声が背後で上がる中、リオラは一歩、また一歩と距離を詰めていた。


(……同じだ)


ダリウスは木陰に身を伏せ、双眼鏡をゆっくりと覗く


火の化け物の全身は赤く揺らめき、皮膚の下を火が流れているように見える。


だが、常に燃えているわけじゃない。


「……今だ」


双眼鏡越しに、化け物の背中を見る。

脊髄に沿った部分が、わずかに赤く発光する


その瞬間――

炎が弾け、衝撃とともに火球が飛び出した。


「やっぱり」


ダリウスは即座に双眼鏡を下ろし、地面にメモを走らせる。


「発光が“起こり”。さっきの風の化け物と、仕組みは同じかもしれない」


視線を再び上げる。

今度は脚部。


火の化け物が踏み込む直前、足元の炎が渦を巻いた。


「移動の前にも、溜めがある……」


(観察し。考え。分析する……)


それでも、勝利への道筋は見えてこない


リオラの双剣は火の化け物全て弾かれ、傷一つ付けれていない


なんで?どうして?


わからない わからない


(結局、俺は何も役に立ってない…)


衝撃が走り、地面が抉れる。


リオラは横に転がり、土を蹴って立ち上がった。


その瞬間、脳裏をよぎったのは――

倒れた、あの風の化け物の死体。


発光した脊髄。


そして、光る石に“応えた”あの感触。


(……今、俺にしかできないことがある)


リオラは一瞬、戦線を下げると、木陰に向かって叫んだ。


「ダリウス! セリナ!」


二人が顔を上げる。


「俺に時間をくれ。あの風の化け物の死体を、もう一度調べさせてほしい」


「今、死体を!?」

セリナが声を震わせる。


「わからないまま突っ込んでも、同じことの繰り返しだ」


リオラは、燃え残る腕を押さえながら続けた。


「さっきの戦いで分かった気になってた。だが、実際は何も掴めてない。……でも、あれは確実に“何か”を残しているはずだ」


一拍置いて、低く言う。


「それを見抜けるのは――あの場に立っていた僕だけだ」


カイエが歯を食いしばり、前に出る。


「……わかった。俺とセリナは前で引きつける。お前は調べろ」


「……私も行きます」


「セリナ?」


彼女は胸元で医療器具を握りしめ、少しだけ唇を噛んだあと、顔を上げる。


「解剖なら、任せてください。

傷の入り方、焼け方、内臓の状態……私はそれを見るためにここにいるんです」


声は震えていたが、逃げてはいなかった。


「さっきの戦いでも、私は……ほとんど何もできなかった。怖がって、隠れて……」


一瞬だけ視線を伏せ、それからカイエを見る。


「でも、前に立つ人がいるなら。私は、後ろで支えます。カイエさんなら、信じられます」


カイエは一瞬、目を見開き――

次の瞬間、苦笑した。


「……ずるいこと言うなよ」


そして肩をすくめる。


「俺もだ。正直言って、頭を使う役は向いてねぇ。

だが――背中を預ける相手なら、迷わねぇ」


ライフルを担ぎ直し、セリナに視線を送る。


「俺が前に立つ。お前らは俺を信じろ」


「はい。でも――」


セリナは一歩踏み出し、はっきり言った。


「無茶はしないでください。それが条件です」


一瞬の沈黙。


そして二人は、ほぼ同時に言った。


「――頼むぞ」

「――お願いします」


その様子を見て、ダリウスが鼻で笑った。


「はは……参ったな。

じゃあ俺は“調査役”を全力でやらせてもらうよ」


リオラは、そのやり取りを黙って見ていたが、

やがて小さく息を吐いた。


「……決まりだな」


視線を全員に向け、短く告げる。


「ダリウス、セリナ時間が惜しい今すぐ始めろ」


「任せろ!」

「了解です」


二人は炎の届かない木陰を縫い、

倒れ伏した風の化け物の死体へと一直線に走っていく。


背後では、再び轟音。


カイエのライフルが火を噴き、リオラが前に出る。


――だが、ダリウスとセリナは振り返らない。


それぞれが、自分にしかできない役目を胸に刻み、走り続ける

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る