なにもなかったようで、なにかあった夏休み~先生の瞳が、わたしを知らない スピンオフストーリー~

長谷 美雨

第1話 「忘れられない人ごと、愛する」(美友希Side)

『――まもなく、二戸です。いわて銀河鉄道線は、お乗り換えです』


新幹線のアナウンスが流れる。


東京から新幹線で約三時間。

お母さんの故郷で、わたしの大好きな場所――二戸。


胸の奥がそわそわして落ち着かない。

わたしは急いで荷物を持ち、乗降口へ向かった。


プシューッと音を立てて扉が開く。

新幹線を降りると、わたしはそのまま改札へ向かった。


改札のあたりは、帰省してきた人や迎えにきた人で普段より賑わっていた。

それだけで本格的な夏休みの訪れを感じる。


美友希「ついたぁ〜!」


思わず声が漏れて、改札を抜けたところで思いきり背伸びをした。


――空気が違う。


ほんの少し呼吸をしただけですぐにわかる。

東京とはぜんぜん違う。


ちょっと感動して、腕に鳥肌が立っていた。

今はこの空気を体いっぱいに取り込みたい。


わたしは大きく何度か深呼吸をする。


駅までは伯父さんが迎えにきてくれることになっている。

着いたことを連絡しようとスマホを取り出すと、画面には鈴音からのメッセージが届いていた。


鈴音『おつかれ!もう岩手ついた?うちはさっき出雲ついたで!土産買うてくからな!あ、もし座敷わらしに会ったら写メ撮ってきてや!夜、時間あったら電話しよなっ!』


思わず画面から飛び出してきそうな鈴音のテンションに顔が自然と綻ぶ。

どこにいても鈴音は変わらず鈴音らしい。

わたしも岩手に着いたことと、夜の電話を楽しみにしていることを伝えた。


そのとき、タイミングよくスマホが震えた。

伯父からの着信だった。


伯父「おう、美友希か。今、駐車場入ったところだ」


美友希「ありがとうっ。今降りるね!」


通話を切ってスマホをバッグにしまう。

少しだけ胸の奥がふわっとする。


久しぶりの空気。

懐かしい匂い。


わたしは駐車場までの道を、少し早足で進んだ。


―――――


美友希「おばあちゃん!久しぶりっ!」


車が祖母の家に着くと、家の前では祖母が落ち着かない様子でうろうろしながらわたしを待っていてくれた。

車を降りた瞬間、わたしは荷物のことを忘れて祖母に飛びついた。


祖母「久しぶり、元気そうでよかったねぇ!」


少しよろけながらも、祖母はしっかりとわたしを抱き留めてくれる。

その腕の感触に、一年ぶりの時間が一気に埋まった気がした。


小学校のころから夏休みになると、わたしはこの家で過ごすことが多かった。

仕事で忙しい両親のかわりに、祖母たちがいつもわたしを受け入れてくれていた。


だからなのか、岩手のこの家に来ると遊びに来たというよりも自然と「帰ってきた」と感じてしまう。


去年と変わらない様子の祖母を見て、胸が深い安堵感に包まれる。


わたしはそっと祖母の腕から体を離した。


美友希「おばあちゃんも元気そうで、本当によかった!」


祖母「足腰はガタきてるけどねぇ。それでも、まだまだ元気いっぱいだべ!」


そう言って笑う顔はいつも通り。

なのに、次の瞬間ふっと表情が曇った。


祖母「あんたのお母さんは、また今年も来ねぇのかい?」


美友希「あ、うん。海外出張から帰ってきたら、今度は九州に行くことになって……」


指先を絡ませながら、わたしは視線を落とした。

この話題になると、どうしても言葉の置き場に困ってしまう。


両親は同じ製薬会社に勤めている。

責任のある立場になってからは、国内だけじゃなく海外に行くことも増えた。

特に母は、わたしが中学に上がってからさらに忙しくなった気がする。


祖母は大きく息を吐いて、少しだけ困ったような悲しいような顔でわたしを見上げた。


祖母「あんたには迷惑かけてばっかで、ほんと申し訳ないねぇ……。寂しくしてねぇかい?もっと大事にするように、お母さんに言っておくから」


美友希「い、いいよいいよっ!忙しいの、ちゃんとわかってるし!」


慌てて首を振る。


両親が不在がちで寂しくないと言ったら嘘になる。

それでも、わたしなりにだけど――

両親がわたしのことを大切にしてくれていることは、ちゃんとわかっているつもりだ。


祖母「あんたがなんでもできるからって、あの子も甘えすぎだべ。ほんと、困ったもんだねぇ……」


ぶつぶつと祖母の愚痴が始まる。

その背中に向かって、わたしと伯父は目を合わせて小さく苦笑いをした。


そのとき――


ポローン♪


澄んだ音が、空気をやさしく切った。

反射的に音のしたほうを見る。

一階の和室の窓が、半分ほど開いていた。


美友希「もしかして――ひいおばあちゃん?」


風に乗って、音色が流れてくる。

聞き間違えるはずがない。

曾祖母の、あの琴の音だ。


美友希「あいかわらず、綺麗な音だね……」


規則正しくて、でもどこかあたたかい。

気づけばわたしは立ったまま聞き入っていた。


すると、隣で伯父がふっと笑った。


伯父「今でもコミュニティサロンで琴の教室やってんだよ。もう96歳だってのにさ。元気だよ、うちのばあさん」


その声が少しだけ誇らしげで。

わたしも嬉しくなって、大きく頷いた。


祖母「美友希、あんた昼まだだべ?おいなりさんと素麺、作ってあげっから。先にひいばあちゃんに挨拶してきなさい」


美友希「うん、そうするっ!」


車から荷物を取り出して、わたしは玄関に向かいながら声を張る。


美友希「ただいまぁ!」


返事はないかわりに、家の中から懐かしい気配が返ってきた。


―――――


鈴音との電話を終え、画面を見ると、時刻はもう23時を過ぎていた。


美友希「喉、乾いたな……」


鈴音と散々盛り上がったせいか、通話が終わった途端喉が一気にカラカラになる。

わたしはキッチンへ向かうため、部屋を出た。


美友希(――あれ?)


一階に降りると、斜め前の部屋の隙間からほのかな光が漏れている。


その部屋は曾祖母の部屋だった。


美友希(ひいおばあちゃん……まだ起きてるのかな?)


足音を立てないように、そっと近づく。

そして襖を静かに開けた。


小さなデスクライトの灯り。

年季の入った箪笥。

外から吹き込む夜風に、かすかに揺れる風鈴。


曾祖母は木製の椅子に腰をかけていた。


美友希「ひいおばあちゃん、まだ起きてるの?」


曾祖母「おや、美友希かい。あんたも、まだ起きてたんだねぇ」


美友希「うん……」


小さく頷いて部屋に入り、わたしは曾祖母の前にそっと腰を下ろした。

曾祖母は膝の上に錆びた小さな缶と、古い一冊の文庫本を広げている。


美友希「……その本、ひいおばあちゃんの大切なものなの?」


昔、小学生のときに一度だけ見たことがある。

錆びた缶の中に、白いレースに包まれ丁寧に入れられていた古い文庫本。


あのときはあまり気にならなかったけど、今回はなぜかどうしても気になってしまった。


わたしの問いに、曾祖母は少し驚いたように目を見開いた。

けれどすぐに優しい笑顔を浮かべ、文庫本を愛おしそうに撫でた。


曾祖母「そうだよ。これはねぇ、初恋の人にもらった本なんだ。最近は終戦記念日の前になると、こうして眺めてるんだよ」


美友希「……え」


思いがけない言葉に、胸の奥がすっと冷える。

視線を落とすと、文庫本のページの間から色褪せた写真が覗いているのに気づいた。


そこに写っていたのは、学ラン姿のまだ幼さの残る青年だった。

曾祖母はゆっくりとした手つきで写真を取り出す。


曾祖母「この人はねぇ……鹿児島にある基地から飛び立って、そのまま……帰ってこなかった」


少しの沈黙。

風鈴が、かすかに鳴った。


曾祖母「終戦の、10日前だったそうだよ」


美友希「……」


わたしは何も言えずに、そっと本の表紙に触れた。

すると曾祖母の手が、わたしの手の上に静かに重なる。


曾祖母「わたしが、今のあんたと同じくらいの歳のころだった。あの人に、生きて帰ってきてほしかったよ。……でもね、あの人に出会えたから今のわたしがいるんだ」


そう言って、曾祖母は窓の外へ視線を向けた。


曾祖母「あのころは生きるだけで必死だったんだぁ。……それでも好きな人を想えた時間は、わたしにとって人生の宝物なんだよ」


少し照れたように笑い、それからふっと視線を机の上へ落とした。


曾祖母「……それでね」


机の上には、曾祖父と肩を並べて微笑む若い頃の曾祖母の写真が飾られている。


曾祖母「あの人を忘れられずに落ち込んでいたわたしを、じいさんはそのまま受け止めてくれたんだ」


曾祖母の指先に、わずかに力が込められる。


曾祖母「“その人を忘れられない君ごと、愛するって決めたんだ”ってねぇ。じいさんは変わった人だったけど……ほんとに、優しい人だった」


その言葉に、視界がじんわりと滲んだ。


曾祖母「わたしはね、じいさんと一緒になれて、本当に幸せだったよ」


曾祖母は、わたしの手を包み込むようにぎゅっと握った。


曾祖母「美友希。もし好きな人がいるなら、その人とすごせる時間を大切にしなさい。……そしてな、自分の気持ちも、ちゃんと大切にするんだよ」


美友希「……うん……」


ただ頷くことしかできなかった。

曾祖母はただ優しく微笑んで、わたしを見つめている。


外では虫の声が静かに響いていた――


―――――


曾祖母の部屋を出て水を飲み、わたしは自分の部屋に戻った。

窓の外に広がる星空に、そっと手を伸ばす。


そして浮かんできたのは――

氷瀬先生の、横顔だった。


美友希「……同じ時間を生きられるって、本当はとっても奇跡的なことなんだね」


好きな人とすごせる時間は、永遠じゃない。

いつか訪れる先生との別れを思うと、胸がきつく締めつけられた。


美友希(それでも……)


こうして同じ場所ですごせる今の時間を、もっと大切にしたい――

心から、そう思った。


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