第6話(後編) 盲目のシェフは、時速200キロで逃走する。

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬゥゥゥッ!!」


俺は絶叫していた。 時速200キロで爆走するキッチンカーの屋根。 そこに指だけでしがみついている現状は、もはやスタントマンを超えて、ただの『飛来物』である。


「カケル! 右です! 右からアームが来ますわ!」


インカム(さっきサーモンに渡された)からアリスの悲鳴が聞こえる。 横を見ると、巨大な回転ノコギリが火花を散らしながら迫っていた。


「調理モード・薄切りッ!」


運転席から源三の怒号が響く。


「誰がハムになるかァァァッ!」


俺は屋根の上を転がって回避した。 ギャギャギャギャッ! さっきまで俺がいた場所が、ノコギリによって切り裂かれる。


(くそっ、このままじゃジリ貧だ! 近づいて破壊するしかない!)


俺は風圧に耐えながら、四つん這いでアームの基部へと匍匐前進した。 普通の人間なら振り落とされるGだが、1400万の借金という重力が俺を車体に繋ぎ止めている。


「見えた! 油圧パイプだ!」


アームの関節部分。そこに露出した黒いチューブ。 あそこが弱点だ。


「空手歴15年! 板割りで培った拳の硬さをナメるなよ!」


俺は息を吸い込み、正拳を構えた。


「必殺! 借金返済パァァァンチッ!!」


ドゴォォォォォンッ!!


俺の拳が油圧パイプを直撃する。 プシューッ! 激しい音と共にオイルが噴き出し、回転ノコギリがダラリと力を失った。


「な、なにぃ!? 装甲キッチンカーのアームを生身で破壊しただと!?」


源三の驚愕の声。 今だ!


俺は停止したアームを足場にして、運転席のサイドウィンドウを蹴破った。


パリーン!


「お邪魔しますッ!!」


「貴様ァ! 土足で厨房に入るとは!」


俺は車内に滑り込み、助手席に着地した。 そこは、コックピットというより『厨房』だった。 ハンドルの横にはコンロがあり、シフトレバーは巨大なペッパーミルになっている。


「源三! 年貢の納め時だ! チップを返せ!」


俺が詰め寄ると、源三はハンドルを固定し、懐から二本の柳刃包丁を取り出した。


「おのれ、若造が……。ここが神聖な厨房だと知っての狼藉か!」


「時速200キロで走ってる厨房がどこにあるんだよ!」


「問答無用! 拙者の『二刀流・魚河岸うおがし無双』のサビにしてくれる!」


ヒュンッ! 狭い車内で、白刃が閃く。 速い!


俺はダッシュボードに背中を預け、ギリギリで回避する。 シートのヘッドレストがスパッと切断された。


「おい危ねぇだろ! 運転中に包丁振り回すな!」


「安心めされ! 拙者は心眼で『道路』と『敵』を同時に見ている!」


「器用すぎるだろ!」


源三の猛攻は止まらない。 包丁、フライパン、熱した油。 ありとあらゆる調理器具が俺を襲う。


「なぜだ! 源三、あんたほどの料理人が、なんでこんな真似をした!」


俺は攻撃を捌きながら叫んだ。 源三の料理への愛は本物だったはずだ。 魚恐怖症というハンデを背負ってまで、寿司を握り続けた男じゃなかったのか。


「金か!? 産業スパイに雇われたのか!?」


「金だと……? 愚かな!」


源三が動きを止め、激昂した。


「金などいらぬ! 拙者が欲しいのは……『夢』だ!」


「夢?」


「そのチップにはな……西園寺家が極秘に研究していた、伝説の食材のDNAデータが入っているのだ!」


源三は恍惚とした表情で叫んだ。


「七色に輝く身! トロのような脂! そして食べた者を天国へ誘う禁断の味! ……幻の古代魚、『レインボー・サーモン』の蘇生データだ!」


「……は?」


俺は耳を疑った。


「レインボー……サーモン?」


「そうだ! 拙者はそれを蘇らせ、究極の寿司を握りたいのだ! その為なら、屋敷の一つや二つ、裏切ってやるわ!」


(こいつもかよ……!)


親父(剛三)は『全人類鮭化計画』。 料理長(源三)は『レインボー・サーモン』。 どいつもこいつも、鮭への情熱のベクトルが明後日の方向に向かっている。


「狂ってる……。たかが魚一匹のために!」


「たかが魚だとォォォッ!?」


源三がブチ切れた。 全身から湯気のようなオーラが立ち上る。


「料理人にとって、食材は命! その命を愚弄する者は……三枚におろして『あら汁』にしてやるッ!」


源三が包丁をクロスさせ、突進してきた。 殺気。 本気の殺気だ。狭い車内では避けきれない。


「くっ……!」


その時、インカムからアリスの声が響いた。


『カケル! 足元を見て!』


「え?」


『そこにある赤いペダル! それは緊急用の『シャリ排出レバー』ですわ!』


「なんだその機能!?」


『いいから踏みなさい!』


考える時間はない。 俺は言われるがまま、足元の赤いペダルを思い切り踏み込んだ。


「うおおおおッ! 食らえ、シャリ地獄ッ!」


ガコンッ!!


運転席の天井にあるハッチが開き、そこから大量の『酢飯』が投下された。


ドサササササッ!!


「ぬおおおおっ!? シャ、シャリがァァァッ!?」


源三の頭上に、数十キロの酢飯が降り注ぐ。 視界を奪われ、足を取られ、源三の動きが止まる。


「今だッ!」


俺はその隙を見逃さなかった。 酢飯まみれになった源三の懐に飛び込む。


「これで終わりだ! 空手チョップ・改め……」


俺の手刀が、源三の首元(手刀打ち)に炸裂する。


「『骨断ち』ィィィッ!!」


バチィィィンッ!!


「ぐ、ぐぼァッ……! み、見事な……包丁捌き……」


源三はガクリと膝をつき、そのまま酢飯の山に顔面からダイブした。


「……勝った……のか?」


俺は荒い息を吐きながら、気絶した源三を見下ろした。 車は自動運転モードなのか、直線を走り続けている。


俺は源三の手からこぼれ落ちた『ダイヤの目玉』を拾い上げた。 間違いない。 これが全ての元凶、マイクロチップだ。


『カケル! 無事ですか!?』


「ああ……なんとかな。源三は酢飯の中で夢を見てるよ」


俺はへたり込みながら答えた。


「チップも確保した。これで……これでやっと終わる」


そう思った瞬間だった。


プスン……プスン……。


キッチンカーのエンジン音が、不自然に途切れた。


「ん?」


ガタガタガタッ!


車体が激しく揺れ始める。 スピードメーターが急降下していく。


『あ、言い忘れましたわ』


アリスの能天気な声が聞こえる。


『そのキッチンカー、燃費が最悪なんですの。そろそろガス欠で爆発するかもしれませんわ』


「早く言えよォォォッ!!」


「しかもブレーキも壊れてますの」


「殺す気か!!」


俺は慌てて源三(気絶中)を担ぎ上げ、助手席のドアを蹴り開けた。 外には、並走するリムジンが見える。 サンルーフからポーラが身を乗り出し、手を伸ばしていた。


「カケル! 飛べ! 私が受け止めてやる!」


「マジか! 信じるぞゴリラ女!」


「誰がゴリラだ!」


俺は最後の力を振り絞り、源三を抱えてキッチンカーからダイブした。


「とうッ!!」


宙を舞う俺と料理長。 その背後で、キッチンカーがガードレールに衝突し、派手に爆発炎上した。


ドチュゥゥゥンッ!!


爆風に背中を押され、俺たちはリムジンの屋根に見事着地――


「ぐべらっ!?」


――することはできず、ポーラごと車内に転がり落ちた。


「痛ってぇ……」


「重いぞカケル! どけ!」


「あ、あらあら……。みなさん、随分と情熱的な重なり方ですわね」


アリスが呆れたように俺たちを見下ろしていた。


俺の手には、しっかりと『チップ』が握られている。 源三も確保した。 車も破壊した(これは弁償か?)。


「……終わった……」


俺は泥のように脱力した。 東の空が白んでくる。 長い長い夜が、ようやく明けようとしていた。


だが。 俺たちはまだ知らなかった。 このチップに入っているデータが、『レインボー・サーモン』なんて可愛いものではなく、もっと恐ろしい『世界の終わり』に関わるものだということを。

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借金1400万の俺、マグロ漁船に乗る直前に『サーモン狂いの天才令嬢』に拾われました。 〜ミステリーは彼女が解く。俺は物理で死なないように頑張る〜 角煮カイザー小屋 @gamakoyarima

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