第3話(後編) 探偵七つ道具その2。『全自動土下座マシーン』の実力。

「……き、貴様は……まさか!」


それまで勢いづいていた隊長クマが、裏返った声を上げた。 サングラスの奥のつぶらな瞳が、恐怖で見開かれている。


「知っているのかクマ吉!?」


「間違いない……。かつて素手でヒグマを投げ飛ばし、北海道の鮭漁権を独占した伝説のフィクサー……『熊殺しの剛三ごうぞう』だクマッ!!」


(熊殺し!? この親父さん、経済界の重鎮じゃなくて武闘家なのかよ!)


西園寺剛三は、恐怖するクマたちを一瞥もしなかった。 彼の燃えるような視線は、まだアリスと密着状態で床に転がっている俺だけに注がれている。


「害虫が……。私の天使アリスに触れるとは、いい度胸だ」


「ち、違いますお父様! これは事故で!」


俺が弁明しようとした瞬間、剛三の手が動いた。


「五月蝿い」


デコピン。 いや、動作としてはデコピンだった。 だが、その指先から放たれたのは、スイス土産の『高級ミルクチョコレート(一口サイズ)』だった。


ヒュンッ!!


風切り音と共に射出されたチョコは、俺の頬をかすめ――背後にいた隊長クマの額に直撃した。


バチィィィンッ!!


「ぐべらっ!?」


隊長クマが、まるでトラックに撥ねられたかのように後方へ吹き飛び、壁にめり込んだ。


「「「「隊長ォォォォォッ!!」」」」


(チョコで!? あの人、チョコで熊(着ぐるみ)を撃墜したぞ!?)


「甘いな」


剛三はフンと鼻を鳴らした。


「スイスのチョコは密度が高い。音速で投げれば岩をも砕く」


(物理法則を無視するな!)


剛三は再び袋に手を突っ込み、残弾チョコを補充した。


「さあ、私の屋敷を土足で荒らす獣たちよ。……『おやつタイム』だ」


その言葉は、死刑宣告に等しかった。


「ひ、ひぃぃぃっ! 逃げろクマァ! 糖尿病になる前に撤退だァァァ!」


「覚えてろよ西園寺家! 次は鮭缶にしてやるクマァ!」


クマの軍団は、我先にと窓から飛び出し、蜘蛛の子を散らすように逃走していった。 後に残されたのは、半壊した屋敷と、壁にめり込んだ隊長クマ(気絶中)と、チョコの甘い香りだけだった。


   ◇


静寂が戻ったホール。 だが、俺にとってはここからが本番だった。


「さて……」


剛三がゆっくりと振り返る。 その背後には、不動明王のようなオーラが見える気がした。


「アリス。その男は誰だ? まさか、恋人ではあるまいな?」


「ち、違いますわお父様!」


アリスが慌てて俺から離れ、ドレスの裾を払う。


「彼は……その、私の『新しいおもちゃ』ですわ!」


(言い方ァ!!)


「おもちゃ……?」


剛三の眉がピクリと動く。


「ええ! とっても頑丈で、いくら粗末に扱っても壊れないんですの! ね、カケル?」


「否定したいけど事実だから困る!」


俺は涙目で立ち上がり、剛三に向かって最敬礼(直立不動)をした。


「は、初めまして! アリスお嬢様に拾われた、助手の赤城カケルです! 決して怪しい者ではありません! ただの借金まみれの大学生です!」


「借金まみれ……。つまり金目当てか」


「うっ」


剛三の眼光が鋭くなる。


「まあよい。アリスが選んだ『道具』ならば、私が口を出すことではない。……だが」


剛三は懐中時計を取り出し、時刻を確認した。


「予定より早く戻ったのは、虫の知らせがあったからだ。……アリス、私の『鮭』は無事だろうな?」


ギクリ。 その場の全員(俺、アリス、そして柱の陰に隠れていた使用人たち)の体が硬直した。


「も、ももも、もちろん無事ですわお父様! あの子なら、金庫室で元気に泳いで……いえ、輝いていますわ!」


アリスの声が裏返っている。 泳いでどうする。置物だろ。


「そうか。ならば一目見て、旅の疲れを癒やすとしよう」


剛三はスタスタと金庫室の方へ歩き出した。


「お、お待ちください! 今、部屋が散らかっていて!」


「金庫室が散らかるわけがなかろう」


「わ、ワックスがけの最中でして! 床がツルツルで危ないのです!」


「私はスパイクシューズを履いているから問題ない」


(なんで家の中でスパイク履いてるんだよ!)


止まらない。 この親父、ブルドーザーのように進んでいく。


「やばいぞアリス! バレる!」


「ど、どうしましょうカケル! お父様が空っぽのケースを見たら、ショックで心臓が……いえ、怒りで屋敷が消し飛びますわ!」


「俺が消し飛ぶんだよ!」


俺たちは必死に剛三の後を追った。 だが、時すでに遅し。


剛三は慣れた手付きで生体認証をパスし、重厚な扉を開け放った。


「おお、愛しのサーモンよ。パパが帰ったぞ……」


剛三が満面の笑みで入室する。 そして。


「…………ん?」


時が止まった。


剛三の視線の先。 ガラスケースの中には、相変わらず『半額シール付きの切り身』と『バナナの皮』が鎮座していた。


「…………」


剛三が無言で近づく。 震える手で、ガラスケースに触れる。


「アリス……?」


地獄の底から響くような声。


「は、はいっ!」


「私の黄金の鮭が、なぜ『スーパー激安王』の切り身(98円)に進化したのかね?」


「そ、それは……! えっと……脱皮? そうです、脱皮ですわ!」


「鮭は甲殻類ではない!!」


ドォォォォォン!!


剛三が拳を壁に叩きつけると、屋敷全体が震度4くらい揺れた。


「盗まれた……。私の、西園寺家の象徴が……」


剛三はその場に崩れ落ちるかと思いきや、ギリギリと歯を食いしばり、俺の方を睨んだ。


「貴様か」


「へ?」


「貴様が手引きしたのか!? この金目当ての借金男がァァァ!」


「ち、違います! 俺が来た時にはもう無かったんです!」


「問答無用! セバスチャン! この男を東京湾に沈めろ! コンクリートで固めて魚礁ぎょしょうにしてやる!」


「御意」


「御意じゃねえよ! 止めてくれよ!」


セバスチャンが容赦なく俺の腕を捻り上げる。 痛い痛い!


「お、お待ちくださいお父様!」


アリスが俺と剛三の間に割って入った。


「カケルは犯人ではありません! 彼には私が、犯人探しの依頼をしているのです!」


「依頼だと?」


「ええ! それに……その鮭には、例の『マイクロチップ』が入っていたのでしょう? 警察に届けたら、そのことも明るみに出てしまいますわ!」


アリスの言葉に、剛三の動きがピタリと止まった。


「……ほう。お前、知っていたのか」


「なんとなく、ですけれど」


剛三は深くため息をつき、セバスチャンに目配せをした。 俺の腕が解放される。


「……いいだろう。警察には言えん事情があるのは事実だ」


剛三は俺の胸ぐらを掴み、顔を近づけた。 チョコの甘い匂いと、猛獣の殺気が混ざり合っている。


「いいか、小僧。チャンスをやろう」


「チャ、チャンス……?」


「明日の夜。西園寺家主催の晩餐会がある。そこには政財界のVIPが集まる」


剛三は血走った目で言った。


「その席で、私は『黄金の鮭』をお披露目せねばならん。もしそれができなければ、私のメンツは丸潰れ……西園寺家は終わりだ」


「つまり……?」


「明日の夜19時までに鮭を取り戻せ。さもなくば――」


剛三はニッコリと、アリスそっくりの(しかし百倍怖い)笑顔で告げた。


「貴様の実家を買い取って、『ワニ園』にしてやる」


「ニワトリを食べさせないでぇぇぇっ!!」


「行け! 一刻の猶予もないぞ!」


剛三の一喝と共に、俺とアリスは金庫室から弾き出された。


廊下に出た俺たちは、顔を見合わせ、同時に叫んだ。


「「詰んだァァァァッ!!」」


タイムリミットは、明日の正午からさらに短縮され、「明日の19時」……ってあれ? 少し伸びた?


「カケル! 伸びましたわ! あと24時間あります!」


「ポジティブか! でもハードルは上がってるんだよ!」


こうして、最強の父親という爆弾を抱えながら、俺たちの本格的な捜査がようやく再開されることになった。 まずはあの、逃げ遅れた気絶クマを締め上げるしかない。





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