第2話 最悪の班編成

 二班の集合場所は、演習場の端にある木製の掲示板前だった。

 私はそこへ向かう途中、何度も深呼吸した。息を吸って、吐く。吸って、吐く。――足が震えないように。

 それなのに、掲示板の前に立った瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。

 レオンがいる。

 当たり前のようにそこにいて、当たり前のように私を見ない。

 彼は杖を肩に担ぎ、背中を壁にもたせていた。髪に風がかかり、日差しがまつ毛の影を落とす。

 前世の彼を思い出してしまう。戦場の風の中でも、彼はこんな顔をしていた。

 「二班の皆さん、集まってくださいね!」

 軽い声で割って入ったのはリディアだった。

 彼女は制服の襟を整えながら、私とカイルを見て、それからレオンに視線を戻す。目がきらきらしていて、怖い。

 「遠征試験、楽しみですね。レオン様と同じ班なんて、運が良すぎて……!」

 レオンは「ああ」と短く返しただけだった。

 それが返事として成立してしまうのが、彼のずるいところだと思う。冷たくても、無愛想でも、“レオン様”には似合ってしまう。

 リディアはそれでも全くへこたれず、ぱっと笑って続ける。

 「作戦会議、今しません? 遠征試験って、準備が勝負って聞きますし」

 私は言葉を挟むタイミングを失ってしまい、カイルの方を見た。

 カイルは小さく頷く。彼がいるだけで、背筋が戻る。

 「じゃあ、まず役割決めよう」

 カイルが言うと、リディアがすぐに手を挙げた。

 「私、補助要員ですけど治癒魔法、得意です! それと結界も少し……」

 「助かる」

 カイルは淡々と返す。

 褒めるでもなく、機械みたいでもなく、ただ必要なものを必要として受け取る声。リディアが少しだけ口を尖らせた。

 次に、カイルが私を見る。

 「アリアは?」

 私は杖を握り直した。

 自分の得意を言うのは嫌いじゃない。問題は、その“得意”が、前世の私の傷を一緒に引きずってくることだ。

 「……攻撃系の火魔法と、索敵。あと、足場の構築が少し」

 「森で役立つ」

 カイルは短く頷いた。

 レオンがそこでようやくこちらを見た。

 視線が合う。

 前世みたいに胸が熱くなるのを期待してしまって、裏切られて、痛む――いつもの流れが来ると思った。

 でも、レオンの目が、私の指先に留まった。

 私の杖を握る手。

 そこに、薄い白い線が走っている。前世の最期の戦いで負った傷が、今世では理由のない痕として残っている。

 レオンの眉がほんの少しだけ寄った。

 「……その手」

 たった三文字。

 私は息を止める。

 「え?」

 期待が勝手に膨らむ。

 “思い出した?”

 “覚えてる?”

 私の中の声が喉元まで押し上がってくる。

 でも彼は、淡々と続けた。

 「無理するな。杖の握り、力入りすぎてる」

 ……それだけ。

 私は、自分がどれだけみっともなく膨らんだ期待を抱いたかを知って、顔が熱くなるのを感じた。

 恥ずかしくて、悔しくて、情けなくて。

 「大丈夫。癖だから」

 なるべく平らな声で返す。

 レオンは「ああ」とまた短く言い、視線を外した。

 リディアが笑う。

 「レオン様、優しい。そういうところ、素敵です」

 違う。

 優しさじゃない。

 それはただの“正しさ”とか、“効率”とか、そういう類のものだ。

 私は胸の中で反論した。

 でも声には出せなかった。出したところで、何になる。

 教授の声が演習場に響いた。

 「二班! こちらへ! 模擬遠征の前哨として、連携訓練をする!」

 私たちは指定された区画に移動した。

 演習用の結界が張られ、土の中から魔力で作られた影の魔獣――“疑似獣”が湧き上がる。

 目は赤い。牙は白い。

 本物より弱いが、動きは似ている。連携が崩れると、普通に攻撃を受けけがをすることも。

 「配置はどうする?」

 カイルが言う。

 私はいつもの癖で、レオンの隣に立ちたくなった。前世ではそうだったから。背中合わせが自然だったから。

 でも今は違う。

 違うんだ、と自分に言い聞かせる。

 「私が前。火で牽制する。カイルは後ろから補助……でいい?」

 「いい」

 カイルは即答した。

 レオンは少し遅れて「好きにしろ」と言う。

 その言い方が、胸に刺さる。

 リディアが一歩、レオンの隣へ寄った。

 「私、レオン様の近くにいますね。治癒もすぐできますし!」

 レオンは否定しない。

 否定しないというだけで、肯定されたみたいに彼女の頬がまた赤くなる。

 私は杖を前に構えた。

 疑似獣が四体、地面を蹴って迫る。

 「――火走り(カサネ)」

 短い詠唱。

 地面に火の線が走り、疑似獣の足元を焼く。痛覚があるのか、影の体が歪んで動きが鈍った。

 「今!」

 私は声を上げる。

 カイルの風の刃が、疑似獣の首筋を正確に切る。影が霧散する。

 連携は悪くない。

 カイルとは息が合う。私が火で動きを止め、カイルが確実に仕留める。

 問題は――レオンとリディアだ。

 レオンは強い。単体なら圧倒的だ。

 彼が雷撃を落とすたび、疑似獣は派手に散る。だけど、その動きが“班”ではなく“個人”のものになっている。

 彼は私の火の線を踏み越え、私の前に割り込むように雷を落とした。

 光が弾け、熱風が頬を撫でる。

 「っ……!」

 私は思わず目を閉じ、咄嗟に防御結界を張った。

 火の線が乱れ、疑似獣が一体、私の死角から跳ぶ。

 「アリア!」

 カイルが叫ぶ。

 私は杖を振り上げる。遅い。

 ――噛まれる。

 そう思った瞬間、影が弾けた。

 レオンの雷が、疑似獣を真上から貫いていた。

 私のすぐ横で。

 胸が冷える。

 助かったのに、震えが止まらない。

 前世の私は、彼の雷を信じて背中を預けた。今の私は、その雷が怖い。

 「……悪い。そっちに行くとは思わなかった」

 レオンが淡々と言う。

 謝っているのかどうか分からない。反省しているのかどうかも。

 「連携訓練なんだから、前に出すぎないで」

 私の声は、自分でも驚くほど尖っていた。

 言ってしまった、と一瞬思う。でも、止められなかった。

 レオンの目が細くなる。

 怒った? 不機嫌? ――違う。彼は困惑している。

 「……分かった」

 それだけ言って、彼は少し距離を取った。

 リディアが慌てて口を挟む。

 「でも、レオン様が前に出るのって、頼もしいです! アリアさんも、そんな言い方しなくても……」

 私はリディアを見ないようにした。

 見たら、余計な言葉が出てしまう。

 訓練は続く。

 私は火の線を丁寧に引き直し、カイルとの連携に集中した。

 レオンは少しだけ動き方を変えた。

 班の中心に戻る。私の火の線を避ける。カイルの風の刃の軌道を読む。

 それだけで戦いやすくなるのが、悔しい。

 “本当はできる”のに、最初は私を見なかった。最初からそうしてくれたら、私はここまで気に病まずに済んだかもしれないのに。

 訓練が終わり、教授が近づいてくる。

 「二班。悪くない。だが――」

 教授の視線がレオンに向く。

 「力がある者ほど、班を壊す。自覚しろ」

 レオンは「はい」とだけ答えた。

 解散の声が出て、学生たちが散っていく。

 私は杖をしまいながら、指先の震えを隠そうとした。

 「……さっきの、怖かった?」

 カイルが小声で言った。

 私は笑うふりをして、首を振る。

 「怖くない。……ちょっと、びっくりしただけ」

 嘘だ。

 びっくりだけじゃない。

 私はレオンの雷が怖かった。――そして、レオンに“前世の信頼”を向けてしまいそうになる自分も怖かった。

 「嘘」

 カイルは短く言って、私の手首を取った。

 温かい指が、脈の跳ねを押さえるように触れる。

 「震えてる」

 私は目を伏せた。

 そんなふうに見抜かれたら、崩れてしまう。

 「……大丈夫。カイルがいるから」

 言ってから気づく。

 それは、私が誰かに言われたかった言葉だ。

 レオンから、前世で。今世で。

 カイルは一瞬だけ目を見開き、それから、珍しく困ったみたいに笑った。

 「……それ、ずるいな」

 「え?」

 「いや。なんでもない」

 その会話のすぐ後ろで、軽い足音が止まった。

 レオンだと分かったのは、風の匂いが変わったから。

 「……次、作戦会議。いつする」

 彼は私ではなく、カイルに向けて言った。

 わざと? 無意識? 分からない。分からないことばかりで、胸が疲れる。

 カイルが答える。

 「今夜。図書室の奥の閲覧室。地図と素材一覧を確認したい」

 「了解」

 レオンはそれだけ言い、踵を返す。

 リディアが追いかけていく。

 私は背中を見送ってしまった。

 追わないと決めたのに、目が勝手に追う。

 そのとき、レオンが歩きながら、また自分の手首を撫でた。

 癖みたいに。

 その仕草が、前世の“彼”の癖と、重なる。

 心臓が嫌な音を立てる。

 希望が、また生まれてしまう。

 やめて。

 期待させないで。

 私は視線を落とし、息を吐いた。

 足元の土に、誰かが小さな紙片を落としているのが見えた。

 拾い上げると、薄い紙に、細い字で呪文式が書かれていた。

 魔法学園では珍しくない。誰かのメモだろう――そう思ったのに、背筋が凍る。

 そこにあったのは、一般的な呪文式じゃない。

 見たことがある。

 “忘却紋”。

 記憶に触れる術式。

 前世の私は、戦場で、敵の術師が使うのを見た。

 どうして学園の演習場に?

 どうして、こんなところに落ちている?

 私は思わず紙片を握りしめた。

 紙が手の中でくしゃりと音を立てる。

 「アリア?」

 カイルが私の顔色を見て眉を寄せた。

 「……これ」

 私は小声で紙片を見せた。

 カイルの瞳が、一瞬だけ鋭くなる。いつもの穏やかさが消える。

 「……どこで拾った」

 「今。足元に」

 カイルは紙片を受け取り、字面を見たまま、短く息を吐いた。

 「捨てるな。俺が持っておく」

 「……知ってるの? これ」

 カイルは答えない。

 その沈黙が、逆に答えだった。

 私の胸がざわつく。

 カイルが何かを知っている。レオンの記憶がないことに関係する“何か”を。

 「カイル」

 名前を呼んだとき、彼の指がほんの少しだけ震えた。

 「今は言えない」

 やっぱり。

 私は唇を噛んだ。

 カイルが言えないなら、私が無理に聞けばいい? でも――その顔は、私を守ろうとする顔だ。

 守るための秘密。

 守られることに慣れてしまったら、私はきっと弱くなる。



 夜。

 図書室の奥の閲覧室は、灯りが少なく、空気が冷たい。

 古い紙の匂いがして、胸のざわめきだけがやけに大きい。

 テーブルに地図を広げ、素材一覧を並べる。

 遠征先は“黒樹の森”。魔獣の出現が多い区域だ。

 私が地図を指で辿っていると、扉が開いた。

 レオン。

 リディアも一緒――かと思ったら、彼だけだった。

 珍しい。

 レオンは椅子を引き、無造作に座った。

 カイルが淡々と資料を押しやる。

 「罠は多い。班の動きはこう」

 カイルが指で線を引きながら説明する。私は頷き、メモを取る。

 レオンは途中まで無関心そうに見えたのに、ある地点で指が止まった。

 「……ここ」

 彼が指したのは、森の中心に近い谷筋。

 “魔力の淀み”と記された場所。

 「ここ、嫌な感じする」

 カイルが目を細める。

 「……そこに何かあるのか」

 レオンは少し顔をしかめた。

 言葉を探すみたいに。

 「分からない。けど、胸の奥が――引っ張られる」

 その表現に、私の喉がひゅっと縮む。

 引っ張られる。

 前世で、私は同じ場所で同じ感覚を覚えたことがある。

 ――忘却紋の術師がいた場所。

 私は思わず口を開きかけ、止めた。

 今言えば、私が“覚えている”ことが露呈する。

 レオンは記憶がない。私だけが知っている前世の話を、私は彼に押し付けたくない。

 押し付けても、傷つくのは私だけだから。

 レオンがふいに私を見る。

 今夜は不思議と視線が真っ直ぐだ。

 「……お前、さっきから顔色悪い」

 心臓が跳ねる。

 優しさじゃない。正しさだ。そう言い聞かせても、心が反応してしまう。

 「平気。……寝不足」

 私は短く答えた。

 レオンは「そうか」と言い、視線を地図に戻す。

 それなのに。

 彼の指先が、また自分の手首を撫でた。

 無意識に。

 まるで、そこに何かがあるみたいに。

 私は堪えきれずに、目を逸らした。

 期待しない。しない。しない。

 ――でも、もし。

 もし彼が本当に、少しずつ思い出していくなら。

 私の心は、また同じ場所で、同じふうに壊れる。

 会議が終わり、閲覧室を出ようとしたときだった。

 レオンが立ち上がりざま、ふらりとよろけた。

 机の角に手をつき、眉間を押さえる。

 「……っ」

 「レオン?」

 カイルがすぐに動く。私も反射的に近づいた。

 レオンの顔色が、さっと白くなる。

 息が荒い。

 「……何でもない」

 そう言いながら、彼の瞳は焦点が合っていない。

 まるで、遠くの何かを見ているみたいに。

 次の瞬間。

 レオンが、かすれた声で呟いた。

 「……アリア?」

 呼ばれた。

 名前を。

 前世の、あの声にそっくりな響きで。

 世界が止まる。

 私の血が冷えて、熱くなる。呼吸ができない。

 「……え」

 レオンは目を見開き、自分の口元に手を当てた。

 何を言ったのか分からない、という顔だ。

 「今……俺、何て言った」

 カイルが一歩、私の前に出る。

 レオンの視線を遮るように。

 「疲れだ。今日は解散」

 カイルの声は硬い。

 私はその背中に守られながら、レオンを見た。

 レオンは混乱している。

 でも混乱の奥に、確かに“何か”がある。

 私は、握りしめた指先が痛むほど、強く拳を作った。

 今夜の空は、やけに静かだった。

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