1-4
「カナリ、交換日記って知ってる?」
「知ってる。だがやらない」
「そう言わず」
「面倒くさい」
「交換するのは月にたったの一度だ。私だって毎日書けるとは限らないし……執筆の息抜き程度でいいんだ」
カナリが黙り込む。
彼と出会ったばかりの私なら多少の遠慮はしたかもしれないが、今の私は「こうなればもう一押し」だと知っていた。
「私は初心者だから、たったひとりで書き始めるのは不安なんだよ。ものを書く先輩として、私を助けると思って」
「――わかった」
渋い顔で了承したカナリは、私の顔を見てさらに眉間の皺を深くした。彼の目にはきっと、満面の笑みを浮かべた私が映っていたことだろう。
初心者だから不安だという言葉に嘘はないが、素晴らしい物語を書くカナリの日記がどんなものなのか、気にならなかったと言えば嘘になる。もし彼がブログでも運営していたら、きっと私はいそいそと、毎日のようにそのWEBページを覗いていたことだろう。
聞けばカナリはこれまで、ただの一度も、書いたものを誰かに読ませたことがなかったのだという。こんなにも豊かにあふれていく物語たちを、どこかの出版社の賞に投稿したこともなければ、WEBサイトに掲載したことすらない。
彼の物語たちはあくまでも、カナリの脳内にある他愛ない想像を書き起こしたものであって、わざわざ他の人間に見せるほど価値があるものではない。そんなものをあえて「読みたい」と言ってくるような、奇矯な男が現れでもしない限りは――というのが、カナリの弁。
そんな彼であるから、無論、ブログもSNSもやっていない。
それはとても勿体ないことなんじゃないかと、ただの読者である私はひそかに思っていたのだが、
「ありがとう、カナリ。交換日記は初めてだけれど、頑張るよ」
「俺だって初めてだ、交換日記なんてもの」
このたび私は晴れて、彼の物語のみならず、日記においても初めての読者になれるらしい。その喜びにふくふくと浸っていると、ソファの背もたれに寄りかかっていたカナリが、ふと身を起こした。
「お前、仕事以外でものを書くことはほとんどないと言ってただろう。書くものはあるのか」
「ボールペンくらいなら、たぶん」
恐らくだが、ガスだか電気だかの会社からもらった粗品が、家のどこかに転がっているはずだ。私がそう伝えると、カナリは筆箱から黒いものを一本抜き取った。
「俺の使っていたもので悪いが、いつぞやのノートの礼だ」
「え――」
渡されたものを検めると、それは、つやつやと光る万年筆だった。
私がカナリと初めて出会った日、彼が素っ気ないボールペンを使っていたのはこの万年筆のインクを切らしていたからで、普段のカナリは何を書くにしてもこれを使っている。二度目に会ったとき、カナリ自身からそう聞かされていた。
そんなものを、私に?
「待ってくれ。いつも使っている、大切なものなんじゃないのか?」
「馴染みがあるから使い続けてるだけだ。ただ、書きやすさは保証する」
「だとしても、万年筆なんて高価なもの貰えないよ」
筆記具に詳しくはないが、粗品のボールペン感覚で貰っていいものではないことくらいはわかる。うっかり受け取ってしまったこの万年筆だって、なめらかな黒いボディに銀の金具が控えめに光っていて、いかにも高級そうだ。
「私のノートとこんな立派な万年筆じゃ、それこそ釣り合いが――」
「そうでもない。少なくとも、俺にとっては」
私の言葉を最後まで聞かず、カナリはコーヒーのお代を置いて席を立った。喫茶店のいつもの席に、私と黒い万年筆だけが残される。
カナリが店の戸を押し開け、ドアベルの音を残していなくなって暫し。握りしめていた手をそっと緩めて、恐る恐る万年筆のキャップを外す。ここに来る前に買ったばかりの真新しいノートに、見よう見まねでペン先を滑らせると、ブルーブラックのインクがたっぷりと流れ出した。
くる、くる、くるり。と、空飛ぶツバメを思い浮かべながら、幾度かの旋回。
自分で買ったノートに何かを記したのは、これが初めてのことだった。
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