第2話 逃げ場の空き教室と、電子の首輪
「……和馬くん、おはよ」
翌朝。玄関を開けると、そこには当然のように愛良が立っていた。
手には、昨日約束した「完璧なオムレツ」が詰まったお弁当箱。
それと、見慣れない黒いチョーカーが握られている。
「……愛良、おはよう。その、手に持っている不穏なベルトは何かな?」
「これ? 最近流行りの『健康管理デバイス』だよ。心拍数とか、血中酸素濃度とか、和馬くんが今どこで誰と話しているかが私のスマホにリアルタイムで届く優れものなの」
「それを世間では『発信機』って呼ぶんだよ」
結局、彼女が泣き落としの構え(瞳を1.5倍に潤ませる特技)を見せたため、僕はその黒いベルトを「腕」に巻くことで妥協させられた。……首じゃなくて本当に良かった。
◇◇◇
昼休み。僕は愛良の包囲網をかいくぐり、親友の武田と屋上の隅でパンを食べていた。
「なあ和馬、お前……それ、マズくないか?」
「何が?」
「腕のそれ。さっきから、お前が一口食べるたびに『咀嚼を確認しました』って電子音が鳴ってるぞ」
「……聞こえないふりをしてくれ」
その時だった。
「見つけた……」
背後から、凍てつくような声が響く。
振り返ると、そこにはお弁当箱を抱えた愛良が、般若のような、あるいは聖母のような、形容しがたい微笑みを浮かべて立っていた。
「和馬くん。私のオムレツより先に、そんな……どこの誰が焼いたかもわからないパンを口にするなんて」
「いや、これは購買の……」
「そのパン工場、買い取って潰してくるね」
「過激派すぎるだろ! 座れよ、今すぐ一緒に食べるから!」
◇◇◇
放課後。愛良の追跡から逃れるため、僕はあえて「開かずの旧校舎」にある資料室へ身を隠した。
少し一人になって、今後の「鍵の増殖」をどう止めるか作戦を練りたかったのだ。
だが、部屋の扉を閉めた瞬間、カチリ、と背後で音がした。
「……え?」
振り返ると、ドアノブに最新式の電子ロックが取り付けられている。……今、この瞬間に。
「ふふ、捕まえた」
資料棚の影から、愛良がゆっくりと姿を現した。
彼女の瞳は、夕日に照らされて妖しく光っている。
「和馬くん、私から隠れようなんて、あと百年早いよ? 腕のデバイスが『和馬くんが不安を感じている』って教えてくれたんだから」
「それは君に追いかけられてるからだよ……!」
「ねえ、和馬くん。昨日、隣にいてくれるって言ったよね? なのに逃げるなんて……やっぱり、言葉だけじゃ足りないのかな?」
愛良は僕を壁際に追い詰めると、両手を壁についた。いわゆる、逆壁ドンだ。
至近距離で見つめる彼女の顔は、悔しいほどに整っている。
「……物理的に繋がっておく? それとも、一生この部屋で二人きりで暮らす?」
「どっちも極端なんだよ!」
僕は必死に彼女の肩を掴み、真っ直ぐに見つめ返した。
「愛良、落ち着け。僕は逃げない。ただ、たまには深呼吸したくなるだけだ。……ほら、今日は一緒に帰って、そのオムレツの作り方、僕にも教えてくれよ」
「……」
愛良は一瞬、きょとんとした。
そして、顔を林檎のように真っ赤にして、僕の胸に頭を埋めた。
「和馬くんのバカ。……そんなこと言われたら、今夜は和馬くんの家の周り、二周しか見回りできなくなるじゃない」
「いや、一周もしなくていいから。寝てくれ」
結局、その日は二人でキッチンに並んだ。
愛良が僕の指先を執拗に(というか、ほぼ絡めるように)指導するので、オムレツが出来上がるまでには、通常の三倍の時間がかかったのだった。
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