福祉のひととわたし
雪待ハル
福祉のひととわたし
「おまえなんか産まなければよかった」
母は私にそう言った。
だから私は家を出た。母はもう変わらない。私は彼女と物理的に距離を取るしかないのだ。
私は障害者グループホームに入居した。一軒家タイプで、他の利用者と同じ屋根の下で暮らす事になる。
そこで私は二年間過ごした訳だが、まあひどかった。
利用者同士の陰口、いじめ、それをサービス管理責任者へ相談してもサビ管は長年そこにいるその場で権力を持ったいじめっ子側の味方で、てんで話にならない。
サビ管は私に言った。
「雪待さんはどうしたいですか?退去しますか?」
「雪待さんが可哀想で、どうにかしてあげたくて」
なるほどサビ管は私にいなくなって欲しいのか。そう理解した私はそのグループホームを出た。
相談支援専門員の力を借りて、私は新しいグループホームを見つけ、入居した。アパートタイプで、他の利用者との接点は一軒家タイプに比べて大きく減る為ほっとした。
そこで私は今、入居してから四年目を迎えようとしている。
管理者が精神疾患について知識がなく、無神経な発言や行動が多く、その為にメンタルを大きく削られる事が何度もあったが、それでも自分一人になれる居場所がある事は大きかった。削られても、一人になって静かに音楽を聴いたり小説を読んだりして心を休ませる事ができた。だから管理者には恨みがあるが、それはそれとしてこの居場所をくれた事には感謝している。それはそれ、これはこれ、である。
相談支援専門員の話をしよう。
私は今までに三人の相談支援専門員にお世話になっている。今、私を担当してくださっているのは三人目の方だ。
一人目の相談支援専門員のAさんは始めのグループホームの利用者のほぼ全員を担当していた会社から来てくれた方だった。
Aさんは相談に乗ってくれて、悩みを打ち明けたら真剣に助言をしてくれる方で、彼女がついていてくれる事が私にはとても心強かった。
今のグループホームを探してくれたのもAさんである。
始めのグループホームを出る事をためらっていた私に対して、
「誰の人生なの?」
と説得してくれて、おかげで引っ越す決心がついたのだ。感謝してもしきれない。
私が
「色々助けてくださって、ありがとうございます」
とお礼を言ったら、
「これが私の仕事だから」
と彼女は言った。かっこいいと思った。
しかし、今のグループホームに引っ越してから管理者に振り回される度にAさんに相談していたら、だんだんAさんの態度がいい加減になってきた。
おそらく、次から次へとやって来る楽しくない話に、辟易してきたのだと思う。
当然だ。私が彼女の立場だったら、とても疲れてしまうと思う。
しかし私の立場からすると、グループホームの管理者のセクハラ発言や自分の部屋を勝手に探られたりなど、困りごとが次から次へと自分の身に降りかかってくる訳で、Aさんがやる気をなくしてしまうと孤立してしまうのである。
不安を感じていたが、ある日とうとうAさんは私に電話で言った。
「私、バーンアウトするかも」
「バーンアウト?」
「燃え尽き症候群」
それを聞いた私は思った。彼女はいつも真面目に誠実に利用者に向き合ってきたのだろう。だからこそ、力尽きてしまうのではないかと。
けれど私は、そしてきっと他の利用者も、彼女のそういう姿勢にこそ救われてきたのだと思うのだ。その姿勢が彼女を苦しめているのだと知って、悲しくなった。
そうして彼女は相談支援専門員を辞めてしまった。
Aさんが退職する前に別の相談支援専門員のBさんと私を引き合わせてくれた。このBさんが二人目の方である。
だがしかし、Bさんとの契約は二か月弱で切る事になる。
Bさんはだらしのない方だった。月末の朝に唐突に電話をかけてきて、
「今日、雪待さんのお宅に行ってもいいですか?」
「すみません、今日は病院に行く予定で……」
「えっ、困ります。今日中にサインしてもらわないといけない書類があるんです」
「今日中に?」
「役所への提出期限が今日までなんです」
それを聞いた私は愕然とした。何だこの人は。
結局その日は病院に行く予定をやめて、自宅でBさんを待たなければならなかった。
彼女は一事が万事そんな感じだった。利用者の立場や都合を一切考えない言動に、とうとう腹に据えかねて私が一言言ったら、彼女は怒り出して、
「あなたが書類にサインをしない事でもらえなかった報酬は、私たち家族の食費なんです‼」
と私に言った。
それを利用者に言える神経がすごいなと思った。彼女はどこまでも自分の事しか頭になかった。どうして相談支援専門員という仕事をわざわざ選んだのだろうか。私には分からなかった。
そうして私は「あなたとの契約を切りたいです」と伝え、Bさんとの契約は切れた。
Bさんは「他の相談支援専門員に雪待さんの事を紹介したくありません‼」と言ったので、私は誰にも引き継がれず、一度セルフプラン(相談支援専門員不在の状態の事)になった。
その数か月後、訪問看護ステーションに所属している精神保健福祉士の方が相談支援専門員のCさんを紹介してくださった。このCさんが今お世話になっている相談支援専門員の方である。
ちなみに私がその時点で訪問看護ステーションと繋がっていたのは、相談支援専門員のAさんが、まだ彼女が元気な頃に、
「グループホームに精神疾患についての知識を持ったプロがほとんどいないなら、あなたはプロと繋がっていた方がいい。訪問看護っていうのがあって……」
と訪問看護の存在を私に教えてくれたからである。Aさん、ありがとう。
就労継続支援事業所の話をしよう。
就労継続支援事業所にはA型とB型がある。
A型は病気の症状が比較的安定していて、週5で働ける利用者が雇用契約を結んで働く場所である。
対してB型は病気の症状が不安定で、自分のペースで働きたいという利用者が雇用契約は結ばずに働く場所である。
私はB型の就労継続支援事業所──いわゆる作業所で働いている。
私は今まで三つの作業所で働いてきた。
一つ目の作業所では二年ほど働いていた。
ここでは利用者のアート作品をグッズにして販売するという仕事内容である。
私の特性に色々と配慮してくださって、働きやすい職場だった。その事には感謝している。
しかし、工賃(雇用契約を結んでいない為、給料ではなく工賃という呼び方になる)がとにかく安かった。なんと日給三百円である。
始めはそれでも良かった。ここには自分の居場所がある。自分の描いた絵がお客様に喜んでもらえる。だからいいのだと。
しかし、だんだんと状況は変化していった。
管理者は私に言った。
「お客さんが雪待さんの絵を買ってくれたよ!嬉しいよね?」
「お客さんがこの絵が自分も欲しいって言ってて……もう一度この絵、描ける?」
「これ、お客さんが飼ってる猫ちゃんの写真。この絵を描いて欲しいの」
「雪待さんの絵が年賀状の絵に選ばれました!」
「雪待さんはうちの稼ぎ頭だよ!」
その頃には私は何のためにこんなに頑張って絵を描いているのか分からなくなっていた。
仕事が休みの時にも、描く絵のアイディアをずっと頭の中で考えたり、探したりしていた。少しでも良いものを描きたいと、期待に応えたいと思った。
でも、それで私は報われるの?
私はだんだんと作業所を休みがちになった。
ある日私は勇気を出して管理者に聞いた。
「私が稼ぎ頭だというのなら、その売れた分、工賃を上げてもらえませんか?」
そうしたら管理者は言った。
「ごめんね。それはできないんだ」
私は失望した。
その後管理者が言い出した「絵本を作る」という目標の為に私は絵本の物語を執筆して、挿絵を描いて、数か月かけて完成させてからそれらを管理者に提出した。
しかしその後一か月経っても、三か月経っても、絵本のレイアウト作業が進んでいるという話は管理者から出てこない。
私はその事についてサビ管に聞いた。すると、
「ごめんね、管理者さんも慣れない作業だから……」
と彼は笑って言った。
私はその後、
「では、皆さんはいつ位までに完成させる想定をしているのですか?せめてそれを教えてください」
とメールで聞いた。
すると、
「雪待さんは絵本のレイアウト作業を手伝いたい気持ちはありますか?」
と返ってきたので私は愕然とした。
私は私の仕事をした。後は管理者の仕事だと思っていた。絵本の話は彼女が言い出した事なのだ、それを今になって全部私にさせようとしている。
管理者がするべき仕事を日給三百円の利用者にさせようとしている。
だから私はその作業所を辞めた。
その後、相談支援専門員のCさんと共に様々な作業所を見学させてもらい、そうして二つ目の作業所と契約を交わした。
在宅ワークで、パソコンのデータ入力作業のお仕事である。
気持ちを新たに頑張ろうと思った。しかしここも四か月程で辞めてしまう事になる。
理由は、パソコンのカメラとマイクからこちらの状況を盗撮・盗聴されているのではないかと思ったからである。
そこの作業所では、毎週一度、三十分程電話で管理者とモニタリングの為に対話する時間がある。
その時の管理者の話す内容がどうにも、こちらの自宅の中の様子を、そして私の様子を常に把握しているのではないか?と思われるような発言が多かったのである。
しかし私の被害妄想かもしれない。その可能性はぬぐえない。
なので私は試しに作業しながらふんふん小さな声で口ずさんでみた。
すると、
「作業用BGMを聴いてるの?」
と管理者は聞いてきた。
なるほどなと私は思った。
しかしまだ偶然もしれない。なので私は、チャットで「もうしばらくお待ちください(モニタリングの時間を過ぎていたが管理者から電話がかかってこない)」とスタッフから返信をもらった後に、
「ちっ、おっせーな」
とわざとガラ悪くはっきりと呟いてみた。
すると、すぐにスマホに電話がかかってきて、
「お待たせして大変申し訳ありません……‼」
と管理者が怯えたような声で謝ってきた。
ちなみにモニタリングの時間から遅れていた時間はおよそ三分程である。
客観的に見て、たかだが三分遅れた程度でそんなに申し訳なさそうに謝るか?作業所の管理者が利用者に対して?
なるほどなと私は思った。
その後私は一か月ほど様子を見てから相談支援専門員のCさんにその事を相談したが、「証拠もなしにそんな事を言うものじゃない」とたしなめられた。道理である。
それでもCさんは「雪待さんが盗撮されてるんじゃないかって言ってます」と私の代わりに作業所に聞いてくれた。
作業所からの回答は「そんな事はしていません」だった。まあ認めるはずがないと分かってはいたが、世の中そんなものだよな……と遠い目になった事は否めない。
そうして私はその作業所を辞めた。
その後紆余曲折あって、私は三つ目の作業所で今、働いている。
訪問看護師の話をしよう。
結論から言うと、家に来た訪問看護師は計十人いたのだが、
Aさん……信頼できる
Bさん……信頼できる
Cさん……信頼できる
Dさん……苦手
Eさん……苦手
Fさん……気持ち悪い、怖い
Gさん……学生気分なのか?と呆れた
Hさん……大嫌い
Iさん……信頼できる
Jさん……私が訪問看護を辞めると決めた最後の一押しをした人
といった感じで、十人中信頼できると思えた看護師は四人しかいなかった。
自宅の部屋の中というプライベートな空間を見られる・入って来られる為、できれば信頼できる相手だけに来て欲しかったが、訪問看護ステーションのシステムとしてそれは不可能らしい。
それでも一人一人が精神疾患についての知識を持ったプロであれば、苦手な相手でも来てもらう意味はあったのだが、そうではなかった。
「度々動悸がするのですが、そういう時は窓を開けて換気をしながら深呼吸するようにしています」
「窓を開けて深呼吸、いいですね!」
と、話を傾聴されて終わるのである。
私としては深呼吸するのは「自分なりにできる事を模索しています」という意味合いで言っており、本当はプロの看護師ならではの解決策を教えてもらえる事を期待していた。
だけど、大抵の看護師は具体的な解決方法は知らないらしく、私の言った事をおうむ返しして話を終わらせていた。私はその度にがっかりした。
そして人によっては無神経で失礼な発言をしたり、私をわざと怒らせようとしたりして、そういう看護師の様子をずっと見ていたら、私はだんだん(この時間、意味あるのか?)と思うようになってしまった。
だから、Jさんが私の部屋の床に自分のバインダーを縦に落としてから、謝りもせず、私の顔を無言でじっと見つめてきた時、(あ、私が怒るのを待ってるんだな)と察して、何もかもに嫌気がさしてしまった。
その次の日、私は訪問看護を辞めた。
ここまで私が体験してきた福祉について語ってきたが、振り返ってみて、ひとつ言えるのは、「いざという時に利用者の味方になって戦ってくれる支援者はまれ」という事である。だいだいは福祉の人は福祉の人の味方である。
それでも、人間は完璧ではない。それは私も同じだ。皆それぞれに欠点があって当たり前で、神でも仏でもない以上、人間関係で嫌な事は起こり得る。それはお互いに。
だから、私は今ここで、こうして生きている事、生活できている事を、今私を支えてくれている福祉の人たちに感謝したい。
これからも福祉の人たちとは何やかんやあるだろう。私が困らせる事もあるだろう。その度に向き合って話し合って、問題をひとつひとつ解決して、この生活を続けていけたならいいなと思う。
福祉のひととわたし 雪待ハル @yukito_tatibana
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