第7話 3秒の代わりに
夜の校舎は、昼とは別の顔をしていた。
人気のない体育館裏。
コンクリートの壁に、彼女は追い詰められていた。
呼び出された大河が駆けつける。
「彼女を離せよ」
強がった声。
だが、佐藤の手は離れない。
「なあ、タイガー」
佐藤が笑う。
「お前さ、ズルいんだよ」
中嶋と山村が、後ろで見ている。
「殴られても当たらねぇ」
「捕まえようとしても、消えたみたいになる」
「いたぁい!」
佐藤は彼女を突き飛ばし、前に出た。
「だからよ」
パキパキと拳を鳴らす。
「今日は、使わせねぇ」
少し離れた場所で、神崎大河は立ち尽くしていた。
(……使えば、助けられる)
三秒ズレれば、
位置を変えて、殴られずに、彼女を連れて逃げられる。
でも。
(……もう、限界だ)
名前が、思い出せない。
呼び出されたけど正直誰を人質にしたのかわからなかった。
でも、きっと自分の大切な人なんだと思って走った。
思い出も、理由も、削れきっている。
ここへ来て彼女がわかった。
でも名前がわからない。
それでも。
大河は、一歩踏み出した。
「来いよ、タイガー」
佐藤がニヤつく。
「ちゃんと一人で来たのか?パパやママは一緒じゃないのか?」
「彼女を……離せ」
声は震えている。
「能力みたいの使わねぇのか?」
挑発。
(……使ったら)
三秒ズレる。
助かる。
でも――
(また、削れる)
彼女の名前だけじゃない、存在すら消える気がする。
「……使わない」
そもそも任意発動じゃないから言い切れないが、
その言葉に、佐藤が吹き出した。
「ははっ! じゃあただの雑魚じゃん!」
佐藤が殴りかかる。
あれ?当たる…凄く痛い…
佐藤の拳は重い。
顔に、腹に、容赦なく入る。
「どうしたよ!」
「ズレろよ!」
「消えろよ!」
倒れそうになるたび、頭の奥が光る。
フラッシュバック。
(……くる…)
だが。
大河は、脳内で強く叫んで耐えた。
『使うな!!!!!!!』
血が口に滲む。
『……俺が、俺でいられるのは』
視界の端に、彼女が見える。
怯えながら、でも――
必死にこちらを見ている。
『……あの人の名前を、忘れないためだ』
佐藤の拳が、振り上げられる。
「終わりだ、タイガー!」
その瞬間。
彼女が叫んだ。
『神崎くん!!』
胸が、強く打たれる。
(……名前)
違う。
(……俺の名前か?)
(……彼女は…)
頭の奥で、何かが弾けた。
『そうだ』
『俺は』
『この人を――』
『……
声が、自然に出た。
世界が、止まったように感じた。
(……思い出した)
声。
笑い方。
名前を呼ばせてくれたこと。
忘れてもいいと言ってくれた覚悟。
全部、一気に戻ってきた。
(……戻った)
佐藤の拳が、迫る。
だが今度は、ズレない。
大河は、正面から受け止めた。
拳が顔面にぶつかる。
衝撃が走る。
「……っ!」
それでも、立っていた。
「……俺は」
息を吐く。
『ズレない!』
次の瞬間。
大河の拳が、佐藤の顎に入った。
鈍い音。
佐藤が、崩れ落ちる。
中嶋と山村は、何も言わずに逃げた。
静寂。
大河は、膝をついた。
「……終わった」
澪が、駆け寄る。
「神崎くん!」
抱きつかれる。
その温度で、確信する。
(……もう、ズレない)
頭の奥は、静かだった。
三秒前に戻る感覚は、ない。
不思議と、後悔はなかった。
「……西園寺…」
ちゃんと、名前を呼べた。
澪の目から、涙が溢れる。
「さっき澪って呼んでくれたね……思い出してくれたの?」
「……うん」
「能力は?」
「……たぶん、もうない」
澪は、一瞬驚いた顔をして――
次に、泣き笑いになった。
「……それでいい」
「え?」
「ズレなくていい」
ぎゅっと、抱きしめられる。
『三秒前じゃなくて、今、ここにいて』
胸が、熱くなる。
神崎大河――あだ名はタイガー。
彼は、もう三秒前を振り返らない。
代わりに。
名前を取り戻した。
痛みを選んだ。
そして――
「……おれ…澪が大好き」
初めて、理由ごと、全部込めて言えた。
澪は、涙を拭って笑う。
「うん」
「私はずっと好きだったよ」
二人は、ズレない世界で、並んで立っていた。
未来は、見えない。
三秒前なんか、どうでもいい。
今、この瞬間だけは、確かだった。
――この物語は3秒前に完了しています。
3秒ズレても、彼女はズレない 如月 睦月 @kisaragi0125
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