第6話 それでも守りたい

その日は、最初から嫌な予感がしていた。


頭が重い。

視界が、わずかに遅れる。

ラグい。


(……かつてないラグ…ズレ過ぎだ)


神崎大河は、自分の中で何かが限界に近づいているのを感じていた。



放課後。


佐藤たちが玄関で待っていた。


「なあ神崎」


佐藤の声が、やけに低い。


「お前さ、最近調子乗ってんだよ」

「調子狂うっていうかさぁ」

「何かの実、食ったんじゃねーの?」


中嶋と山村が、無言で左右を塞ぐ。


(……使うな、飛ぶな…)


そう思った瞬間。


山村の後ろから、誰かが駆けてくる。


「神崎くん!」


その声を聞いた瞬間、胸が締めつけられる。


(来るな――!)


佐藤が振り返り、舌打ちする。


「チッ、またかよあの男みてぇな女!」


(……名前)


必死に探す。


(あの人の……名前は……)


見つからない。


佐藤が腕を振り上げた、その瞬間。


フラッシュバック。


「――っ!」


最大のズレが起きた。


大河は、三秒前に戻った……はずだった。


だが。


「……ここ、どこだ?」


位置が、二歩分、ズレている。


本来戻るはずの地点から、さらに後ろ。


(……ズレ幅が、広がってる?)


思考が追いつく前に、体が動いた。


(危ない)


理由も、名前も、関係ない。


大河は、前に飛び出した。


「――っ!」


肩に、衝撃。


佐藤の拳が、自分の背中をかすめる。


だが、その先。


彼女は、無事だった。


「……え?」


彼女が、目を見開く。


「神崎……くん?」


その呼び方だけで、心臓が跳ねる。


(……誰だ…っけ)


わからない。


顔は知っている。

声も、仕草も、好きだという感情も。


でも――名前だけが、ない。


「大丈夫?」


口が、勝手に動く。


(……守れた)


それだけで、胸が満たされる。


佐藤たちが、気味悪そうに後ずさる。


「……なんだよ、今の」

「位置、変じゃなかったか?」


「やっぱりおかしい……帰るぞ」


三人は逃げるように去っていった。


校舎裏に、二人きり。


沈黙。


彼女が、静かに口を開く。


「……覚悟は、してたんだ」


「……え?」


「名前、もう危ないって」


彼女は、微笑んだ。


「ついに、来たんだね…」


胸が痛む。


(……謝らなきゃ)


でも、何を?


「……ごめん」


それしか言えなかった。


彼女は、一歩前に出る。


「ねえ」


「……」


「今の私、誰かわからないよね」


頷くしかない。


「でもさ」


彼女は、胸に手を当てて言った。


「それでも、体が先に私を守ってくれた」


大河は、ハッとする。


(……確かに)


考える前に、動いていた。


「それってさ」


彼女は、少し照れた笑顔で続ける。


「もう、好きとか名前とか、超えてない?」


「どゆこと??」


理屈が、完全に追いつかない。


でも。


(……そうかもしれない)


彼女は、深呼吸して、言った。


「忘れられてもいい」


その言葉に、心臓が強く打つ。


「名前も、思い出も、理由も」


一歩、近づく。


「それでも」


真っ直ぐ、見つめてくる。


「私が、あなたを好きな事実だけは、消えない」


嬉しいのに悲しい、そして喉の奥が熱くなる。


(……名前)


必死に探す。


(言いたい)


(呼びたい)


でも、見つからない。


彼女は、少し笑って言った。


「今は、呼ばなくていいよ」


「……」


「代わりに」


そっと、胸に手を置く。


「ここが覚えてるでしょ」


確かに、胸がうるさい。


「……うん」


それだけで、精一杯だった。


神崎大河――あだ名はタイガー。

強そうに呼ばれるけれど、何一つ守れない。


三秒ズレる力は、

ついに「彼女の名前」というアンカーを奪った。


それでも。


守る体。

惹かれる心。


「……俺さ」


声が、震える。


「誰かわからなくても」


一歩、踏み出す。


「……一緒にいたい」


彼女は、泣きそうな笑顔で頷いた。


「それで十分だよ」


ラブコメは、

記憶を超えた場所まで、来てしまった。

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