第2話 3秒の代償

神崎大河は、最近よく立ち止まる。


廊下で。

階段で。

教室のドアの前で。


「……あれ?」


自分が今、どこへ向かっていたのか、一瞬わからなくなるのだ。


(……気のせい…だよな)


そう思いたかった。


三秒ズレの能力は便利だった。

殴られそうになればズレる。

転びそうになればズレる。


「……万能じゃん」


そう調子に乗り始めた頃だった。


放課後、誰もいない教室。

大河は机に突っ伏していた。


「……頭…おもっ…」


目の奥がじんわり痛む。

まるで、思い出し忘れた夢が頭に詰まっている感覚。


(昨日、何回ズレたっけ……?)


指を折って数えようとして、やめた。


「……数えられないのって…やばくね?」



その夜。


風呂場で、鏡を見た瞬間、大河は凍りついた。


「……え?」


鏡の中の自分が、ほんの少し老けて見えた。


目の下のクマ。

疲れたような瞼の重み。


「いやいやいや、気のせい……」


笑おうとしたが、頬が引きつった。


(現役高校生だぞ、俺)



翌日。


授業中、ノートを取っていると、突然ペンが止まる。


「……あれ?」


黒板に書かれている数式が、見覚えがない。


(今の説明……聞いてたよな?)


隣の席の女子が、ちらりとこちらを見る。


「神崎、大丈夫?」


「……あ、うん」


答えたが、胸の奥が冷えた。

寒気にも似た感覚。


(聞いてた“はず”なんだけど…な…)



昼休み。


屋上の階段で、大河はうずくまった。


「……おかしい」


三秒ズレるたびに、

その三秒間の“自分の記憶”が、曖昧になる。


(戻った瞬間の記憶だけが、削れてる感じ……)


試しに、わざと使ってみた。


階段を一段踏み外す。


フラッシュバック。


「――っ!」


戻った。


……が。


「……俺、今なに考えてた?思い出せ!思い出せ!」


心臓が出してくれと言わんばかりにノックする。


(思い出せないんじゃない…ない…消えてる)


ズレた三秒分の思考、感情、覚悟。

全部、抜け落ちているのだった。


「三秒、命を守る代わりに……」


大河は、乾いた笑いを漏らす。


「三秒ずつ、俺が削れるのか」


さらに気づく。


ズレた回数が増えるほど、

“今”が薄くなる。


笑った理由を忘れる。

怒った理由を忘れる。

忘れた事実と恐怖、不安が遅れて残る。


(これ……使い続けたら)


考えが、そこまで行って止まる。


(……最後、俺はどうなる?)



その日の帰り道。


自転車に乗ったおばちゃんが突っ込んできた。


「……」


一瞬、迷う。


(使わなくても避けられる)

(使えば何かがわかるかも)

(でも、使えば削れる)


拳を握り、歯を食いしばる。


「……三秒くらい」


フラッシュバック。


三秒飛んだ。


だが、胸の奥が、ひどく空っぽだった。


「……今、何を考えてたんだっけ」


理由は思い出せない。

ただ、何かが怖かったことだけは残っている。


彼は、三秒生き延びる代わりに、

少しずつ「自分」を置き去りにしていく。


「……便利な能力って、だいたい高いんだよな」


その呟きだけが、やけに現実的だった。

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