第2話 3秒の代償
神崎大河は、最近よく立ち止まる。
廊下で。
階段で。
教室のドアの前で。
「……あれ?」
自分が今、どこへ向かっていたのか、一瞬わからなくなるのだ。
(……気のせい…だよな)
そう思いたかった。
三秒ズレの能力は便利だった。
殴られそうになればズレる。
転びそうになればズレる。
「……万能じゃん」
そう調子に乗り始めた頃だった。
放課後、誰もいない教室。
大河は机に突っ伏していた。
「……頭…おもっ…」
目の奥がじんわり痛む。
まるで、思い出し忘れた夢が頭に詰まっている感覚。
(昨日、何回ズレたっけ……?)
指を折って数えようとして、やめた。
「……数えられないのって…やばくね?」
◇
その夜。
風呂場で、鏡を見た瞬間、大河は凍りついた。
「……え?」
鏡の中の自分が、ほんの少し老けて見えた。
目の下のクマ。
疲れたような瞼の重み。
「いやいやいや、気のせい……」
笑おうとしたが、頬が引きつった。
(現役高校生だぞ、俺)
◇
翌日。
授業中、ノートを取っていると、突然ペンが止まる。
「……あれ?」
黒板に書かれている数式が、見覚えがない。
(今の説明……聞いてたよな?)
隣の席の女子が、ちらりとこちらを見る。
「神崎、大丈夫?」
「……あ、うん」
答えたが、胸の奥が冷えた。
寒気にも似た感覚。
(聞いてた“はず”なんだけど…な…)
◇
昼休み。
屋上の階段で、大河はうずくまった。
「……おかしい」
三秒ズレるたびに、
その三秒間の“自分の記憶”が、曖昧になる。
(戻った瞬間の記憶だけが、削れてる感じ……)
試しに、わざと使ってみた。
階段を一段踏み外す。
フラッシュバック。
「――っ!」
戻った。
……が。
「……俺、今なに考えてた?思い出せ!思い出せ!」
心臓が出してくれと言わんばかりにノックする。
(思い出せないんじゃない…ない…消えてる)
ズレた三秒分の思考、感情、覚悟。
全部、抜け落ちているのだった。
「三秒、命を守る代わりに……」
大河は、乾いた笑いを漏らす。
「三秒ずつ、俺が削れるのか」
さらに気づく。
ズレた回数が増えるほど、
“今”が薄くなる。
笑った理由を忘れる。
怒った理由を忘れる。
忘れた事実と恐怖、不安が遅れて残る。
(これ……使い続けたら)
考えが、そこまで行って止まる。
(……最後、俺はどうなる?)
◇
その日の帰り道。
自転車に乗ったおばちゃんが突っ込んできた。
「……」
一瞬、迷う。
(使わなくても避けられる)
(使えば何かがわかるかも)
(でも、使えば削れる)
拳を握り、歯を食いしばる。
「……三秒くらい」
フラッシュバック。
三秒飛んだ。
だが、胸の奥が、ひどく空っぽだった。
「……今、何を考えてたんだっけ」
理由は思い出せない。
ただ、何かが怖かったことだけは残っている。
彼は、三秒生き延びる代わりに、
少しずつ「自分」を置き去りにしていく。
「……便利な能力って、だいたい高いんだよな」
その呟きだけが、やけに現実的だった。
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