二日目

20○○年7月16日、この日は――

昨日よりも、妙に静かだった。

施設の通路は相変わらず白く、無機質で、足音だけが響く。

いつもと同じ。

なのに、胸の奥がざわつく。

「……気のせいだな」

そう言い聞かせ、例の部屋の前に立つ。

二重扉。

ロックを解除する。

中を覗くと、少女はすでに起きていた。

鉄格子の向こう、床に座り、こちらを見ている。

「よう」

声をかけると、少女は一瞬遅れて小さく頷いた。

「……よう」

真似をするような発音。

それでも、昨日よりははっきりしている。

「ほらよ、飯だ」

トレーを差し込むと、少女はゆっくりと立ち上がり、受け取った。

床に座り込み、しばらく料理を見つめてから食べ始める。

がつがつ、というより――

慎重に、確かめるように。

「……昨日より、ゆっくりだな」

「……ゆっくり」

言葉をなぞりながら、噛む回数を増やす。

「そうそう。それでいい」

少女は一度だけ俺を見て、また皿に視線を落とした。

その横顔を見ていて、違和感に気づく。

「……おい」

少女の手が止まる。

「……なに」

その言葉に、一瞬だけ息が詰まった。

質問として成立している。

「……こっち向け」

首を傾げながら、少女が顔を上げる。

右目。

白目の端から、細く――

ヒビが入ったような赤黒い傷。

「……それ、どうした」

「……?」

「目だ。そこ」

俺が自分の目元を指すと、少女も同じように触る。

「……きず?」

「……ああ。痛ぇのか」

少女は少し考え、首を横に振った。

「……いたく、ない」

「違和感は」

「……わからない」

その答え方が、やけに大人びて聞こえた。

「昨日は、なかった」

俺がそう言うと、少女は視線を落とす。

「……ごめん」

思わず眉をひそめた。

「謝ることじゃねぇ」

「……でも、こわい?」

その言葉に、喉が詰まる。

「……少しな」

正直に答えると、少女はしばらく黙り込んだ。

「……じゃあ」

「ん?」

「……みない、ほうが、いい?」

その問いは、

自分の存在ごと隠そうとするみたいで――

胸の奥が痛んだ。

「いや」

即答だった。

「ちゃんと見てる。だから言ってんだ」

少女はきょとんとし、しばらく俺を見つめたあと、

小さく頷いた。

「……みる」

その一言が、妙に重かった。

食事を終え、トレーを片付ける。

俺は記録用紙を取り出す。

――《様子:大人しい少女》

――《言語能力:低め》

ペン先が止まり、少しだけ迷ってから書き足す。

――《身体状態:右眼部に微細な損傷あり》

書き終えると、少女がこちらを見ていた。

「……かく?」

「ああ。忘れねぇようにな」

「……わすれる?」

「……人は、すぐ忘れる」

そう言うと、少女は少し考え込み――

ぽつりと呟いた。

「……やだ」

胸の奥が、きしんだ。

「……忘れねぇよ」

それが約束になると分かっていても、

俺はそう言ってしまった。

扉に手をかけ、振り返る。

「今日はここまでだ」

少女は立ち上がり、鉄格子の前まで来る。

「……あした」

「ああ」

少し間があって、

少女はゆっくり、確かめるように口を開いた。

「……またな」

その声は、小さいが、はっきりしていた。

俺は一瞬だけ目を閉じ、

それから頷く。

「ああ。またな」

鉄の扉が閉まり、

金属音が、やけに長く響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る