【第三章:名前の違う、同じ横顔】

「……朝比奈さん?」


結城の声で、

朝比奈は我に返った。


「あ、すみません。ちょっと考え事を」


咄嗟に笑顔を作るが、

頬が引きつっているのが自分でも分かる。


結城は、

不思議そうに首を傾げた。


その仕草。


——澪だ。


脳裏に、

白いワンピースがよぎる。


《ねえ、朝比奈くん。海、見えるよ》


胸が、

きゅっと締め付けられる。


「……どうかしました?」


「いえ」


嘘が、

あまりにも自然に出たことに、

自分で驚いた。


グラスを口に運ぶ。

アルコールの刺激が、

少しだけ現実に引き戻す。


「結城さんは、こういう集まり、よく来るんですか?」


「たまにですね。

 仕事と家の往復だけだと、

 世界が狭くなる気がして」


その言葉に、

妙な既視感を覚える。


《生きてる実感、なくなりそうだもん》


——澪も、

同じことを言っていた。


(やめろ)


心の中で、

強くブレーキをかける。


結城は澪じゃない。

同じ考えを持つ人間なんて、

世の中にいくらでもいる。


「朝比奈さんは?」


「……僕は」


一瞬、

言葉に詰まる。


「誘われたので」


それだけしか、

言えなかった。


結城は、

少し寂しそうに笑った。


「無理に来てるなら、

 ごめんなさい」


その“申し訳なさそうな笑顔”。


——それも、

澪がよく見せた表情だった。


胸の奥で、

何かが、

確実に崩れていく。


重ねてしまう瞬間


結城が髪を耳にかける。


その指先の動きに、

呼吸が、

一拍遅れた。


《朝比奈くん、どう?似合う?》


——病室で、

髪を切った澪。


《邪魔にならなくなったでしょ》


笑っていた。

弱っているはずなのに、

いつもこちらを気遣っていた。


(違う)


今目の前にいるのは、

結城だ。


なのに、

名前を呼びそうになる。


「……み」


喉で止める。


結城は、

気づいていないふりをした。


その優しさが、

余計に刺さる。


澪の記憶(フラッシュバック)


夜の海。


車椅子のきしむ音。

砂浜に残る、

二本の足跡と、

一つの車輪の跡。


《ねえ、約束ね》


澪は、

少し照れたように言った。


《私がいなくなっても、

 ちゃんと幸せになること》


——そんな約束、

守れるわけがなかった。


幸せになるには、

澪が必要だったから。


会話は続く


「朝比奈さん、海、好きなんですか?」


突然の問い。


胸が、

痛む。


「……昔は」


「今は?」


「……分かりません」


正直な答えだった。


結城は、

少し考えてから言う。


「じゃあ、

 また好きになればいい」


簡単に言う。

あまりにも。


澪も、

よくそう言った。


《未来は、今よりずっと簡単だよ》


「……簡単じゃないですよ」


朝比奈は、

思わず本音を漏らした。


結城は、

否定しなかった。


「そうですね。

 簡単じゃない人も、いますよね」


その“理解しようとする間”。


——澪だ。


また、

重ねてしまった。

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