可愛こちゃんと河の神様
わたしは昔から可愛かった。
絶世の美人とかではなかったけど、庇護欲を唆るような目を惹く可憐さがあった。男爵家の次女という貴族としては微妙なところだけど平民ではないというのも、上手く狙いさえ定めたならちょうどいいことこの上ない。王都から数時間先の領地というのも悪くない。それもこれも、祖先を辿れば伯爵家令嬢が嫁いできたことに由来する。この地がわたしのものにならないのは気に入らなかったが、それにしたってなかなかにツキを持っているのがわたしだった。
領地には大きな河があって、神様が住んでいる。いつも独特な水の匂いがして、澄んだ匂いだと思うのに馴染まない。領民は皆、子が生まれると神様にご挨拶に行き、その後、成人するまで毎年連れて行く。神様は「可愛いねえ、大きくおなり」と毎回言う。
嗄(しゃが)れた声、萎(しな)びた腕、顔は見たことなかったけど、わたしはそれが嫌いだった。
「わたしの婚約者が決まったわ」
ある日、姉がそう言った。顔立ちこそまあ似ているが華やかさのない姉の婚約者は、将来男爵として立つ姉の補佐に相応しい能力のある、穏やかな顔をした普通の人だった。
「おめでとう、姉様」
可憐な顔がより可憐に見えるよう、笑顔を浮かべてそう言った。彼は頬を染め、そして、わたしに殊更優しくするようになった。弁えた姉は決して何も言わず、また、弁えたわたしも何も言わなかった。そしてほんの細波(さざなみ)程度の違和感と確執をもって、二人は結婚した。わたしはただ「おめでとう」と言った。今、二人は上手くいっていない。
しかしそれが何だっていうんだろう。人生は選択の連続で、いつだって最後に決めるのは自分だ。姉と婚約者は、自分達で選んだのだ。わたしの知ったことじゃない。
特別裕福ではないけど別に時化(しけ)こんでいるわけでもない我が家には、娘二人を王都の貴族学校に通わせる程度の額はある。姉はすでに卒業し、わたしは二年生になった。
跡取りでないので結婚相手を探す必要があったのだけど、両親が見繕ってくるのはただ金があるだけの耄碌爺いばかり。まあ、金があるのはいいことだけど……とにかく、そんなわけで自分で見つける必要があった。
「なかなかピンと来る出会いってないのね」
「やあね、あなたならきっと伯爵家だって狙えるわ」
「ふふふ、あなたこそ」
何て友人達と言い合う日々。それはそれで楽しかったが、燻った焦りが消えることはなかった。
そしてある日、騎士科の訓練に本職の騎士様がやって来た。中でも一際キラキラと輝く彼。彼が噂になるほどモテるのは知っていた。あれだけの美しさがあれば納得もするしかない。それでもわたし達は、出会うべくして出会ったんだと確信があった。
「可愛いね、とても可愛い。食べてしまいたいくらい。ねえ……食べちゃっても、いい?」
何度かのデートを経て、彼は蕩(とろ)けそうな顔で言った。正直とても迷った。だってわたしはこれでも貴族の娘、絶対によくはない。でも、でも……!
「……責任を、取ってくれますか?」
「もちろん」
あのときの顔は忘れない。きっと、絶対に、忘れない。
年一回の河の神様へのご挨拶の日、ぎりぎり成人間際のわたしは、両親に連れられてそこへやって来ていた。
「河の神様、河の神様。お陰様で、娘ももうすぐ成人となります。最後のご挨拶にやってまいりました」
父親が感慨深げにそう言えば、ゆらりと広がった波紋の中心から、萎びた腕がス…と現れる。わたしはいつも、悟られないように顔を顰めてそれを見ていた。
毎年毎年、河の神様が何だっていうの。何をしてくれたっていうのよ。持って生まれたものを磨き上げたのだって、扱いや遇(あし)らいを覚えたのだって、騎士様を射止めたのだって、みんなみんな、わたしが頑張ったからじゃない。
仮にも相手は神様、まかり間違っても口にはしない。ただ、いつもそう思うだけ。
心底、昔からこの神様だけは嫌いだった。
「……可愛い、可愛いねえ。大きくなったねえ」
嗄れた声は初めて違った言葉を投げかけてきて、両親は「ありがとうございます、ありがとうございます」と嬉し涙を流していたけど、わたしはただ、ぞっとした。
「待っているからねえ」
……何を?
数日もすれば、忙しい日々にそんなことは埋もれてしまう。嫌なことは楽しいことで上書き、これもまたわたしが生きるうえで大事にしていることだ。
「騎士様!お待たせしました」
「やあ。はは、そんなに待ってないから大丈夫だよ」
王都の中央広場。様々な人が行き交うここで、今日は彼とデートだ。まだまだ彼の噂は耳に入ってくるけれど、どうやらわたしに決めたみたい。
一代限りの騎士爵だと彼は言うけど、実家は伯爵家だし、とにかく美しい顔と涼やかで甘い声。
「ふふ、そんな急いで可愛いね」
「もう、騎士様ったら」
「……ベッドでも可愛いしね」
かあっと顔が熱くなる。ああ、もう、どうしよう…!わたし、彼に……でも、でも、責任取ってくれるって言ったよね?こんなに甘い顔してそんなこと言うなんて、もう、決まったようなものだよね……?
するりと腰を撫でられて、ほんの少し、肩が跳ねる。ああ、また、どうしよう。わたし、きっと、また断れない。
デートは夜まで続いて、さりげないエスコートで気づけばいつもの、少し立派な一軒家。中央から少し外れた場所にあるここは、彼のご両親の持ち家の一つだとか言っていた。
「大丈夫だよ、清掃は行き届いてる。今夜も誰もいないから……」
「それはようございました」
ふいにかけられた見知らぬ声に驚く。え、誰……?
あっという間に抑え込まれて、猿轡を咬まされた上に麻袋を顔にかけられ、価値のない荷物みたいに担がれる。恐怖で何も考えられない中「んがあああぁあ!」と悲鳴じみた呻きが聞こえた。あの声は、あの声は……っ!
それからのことは覚えていない。気づくと暗闇の中にいて、服は全て脱がされていた。体に力は入らない、ただ、だらんと冷たい壁にもたれ掛かるのが精一杯。ガチャリとドアが開く音がしたけれど、そこもただ暗闇だった。
「そんなに怯えずとも、尋問は禁止されましたので大丈夫ですよ」
尋問……禁止されたってことは、最初はするつもりだった?何で?わたしが?人違いじゃない?
「あのお方はお優しいけれど、かのお方は大層お怒りです。あなたはとんでもないことをしましたねえ。本来ならば礎にでもなるべくですが、とあるお方からご連絡をいただきまして」
何を言ってるのか、全然わからない。
「寝ている間に隅々まで調べましたが、ご要望通りにある程度開発も済んでいるようで。素晴らしい」
誰の、何の、要望?
「金だけの耄碌爺いに好きにされるより、よほどいい思い出が出来ましたね。何よりです」
力の入らない体でも、カッとなったのがわかった。そして、だんだんと見えない話の本筋だけが浮かび上がって総毛立つ。まさか、そういう、意味の……?
「さあ、行きましょう。とあるお方はずっと待っておりましたよ」
さらりと冷たい、それでいて上質な布に包まれ、目隠しをされて、そっと、宝物みたいに抱き上げられる。
そこに、希望を見た。たぶん相手は騎士様じゃないだろうけど、もしかして、もしかすると、わたしを見初めた誰かが、思い余ってこんなことを?騎士様といるところを見て、焦ってしまったのかしら?
話からすると、少し経験があるくらいの方がいいようだし、それでもと望んでくださったのかしら?出来てはいないと感覚で思うけれど、結婚は少し先になるのかな。しかも、何だか地位も高そう。耄碌爺いでもなさそう。ああ騎士様。騎士様のことは好きだったけど、わたしはようやく、わたしのための場所へ行くようです。どうか、お元気で。
見えはしなかったけど乗り心地のいい馬車にそっと座らされ、隣に座ったどうやら女性らしき人に支えられながら、滑るようにどこかへと走り出す。
「そんなに遠くはないので大丈夫ですよ」
隣の人はやはり女性で、優しくそう言った。
何日、とかは言わなかったので数時間かと予想したなら、ほんとうにそれくらいだった。あっという間に降ろされて、抱えられながらどこかへと運ばれていく。
少しして、鼻を掠める水の匂い。あれ、わたし、この匂いを……
「お久しぶりでございます。あのお方の使いでございます。大変お待たせいたしました」
ほんの僅かなせせらぎ、遠くの囀り、独特の、澄んだはずの水の、馴染まない匂い。
「……よい、よい。もっと待つつもりであった」
嗄れた、声。
あ、あ、あ、ああ、あああああああああああああああああ!あああああああああああ嘘うそうそ嘘なんで何で何でええぇえあああああああああああああああああああああああああ!
「緊張しているのですか、大丈夫ですよ。このお方はあなたの全てが可愛いと仰ってくださっています。このように素晴らしい縁はなかなかございません。あなたはほんに幸運です」
「……ああ、可愛い、可愛いねえ。おいで、儂の可愛い子。大丈夫だ」
わたしを抱いた誰かが少し歩いて、しゃがむ。やめて、やめてやめて離さないでお願いお願いその手を離さないでお願いお願いお願いお願い、
「……ああ、可愛い。誰ぞに可愛がられたおまえは、もっと可愛いねえ。もっともっと、可愛がってやろうねえ」
いやいやいやいやああああああやめて、やめてええぇおあああああああああああ、ああああああああたし、あた、し、どう、なっ
「ご結婚、おめでとうございます」
聖女と神様 鈴木せのお @senoo_s
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。聖女と神様の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます