第七章 赤色に惑わされて

第12話・逃げ場のない、誘い

〈今度の休み遊びいかない?〉

〈俺とふたりで〉


 突然落とされた爆弾は、拓也からのLIMEだった。日常の何気ないやりとりを何度かするようになって、まだ1週間も経っていない。


「ふ、ふたりって…」


 そんなのどう言い訳しようが、デートだ。デートでしかない。正真正銘、これはデートの誘いだ。小晴は動揺のあまり、スマホを床に落としかけた。


(ペ、ペースが鬼の速さ…)


 返信のために、拓也のLIMEを開くかどうか迷って、迷って、迷って…―――。結局開けずに、小晴の指先が迷子状態のままになる。


「ど、どうしよう。なんて返そう…」

「こは? もう先生来たよ?」


 背中から朱音の声がして、思わずビクッと肩が跳ねた。慌てたせいで手元が狂い開かない予定だったLIMEを間違えて開いてしまう。


(あ、うわあーーっ!!?)


 見事な顔面蒼白が出来上がる。


「どうかしたの? 顔、真っ青だよ?」


 朱音が心配そうに小晴の顔を覗いた。


「え、ううん」


 さっとスマホを握って、「なんでもない」と笑う。怪訝な顔をされたが、小晴の頭はいまそれどころじゃない。


(どうしようどうしよう)


 既読を付けてしまった。はやく返さなければならないが、何も思いつかない。返信…、返信…と念仏のようにぶつぶつと小声で呟く。しかし一向になんて返すべきなのか、一文字すら思い浮かばない。


「スマホ鞄にしまえ~」


 壇上に辿り着いた教授からマイクでアナウンスをされた。時間切れだ。教授からの最終通達に小晴は、青い顔のままどうにかスマホを鞄の中にしまった。その日の講義は頭の中が拓也のLIMEのことでいっぱいで、何も頭に入らなかった。







 講義が終わったが、小晴のHPはすでに限界に近い。教授の講義終了の合図と同時に、鞄からスマホを取り出す。LIMEは――、来ていない。


(気づいてない、かな)


 どこかホッとする自分がいる。でも焦りは消えない。しかも1コマ90分もあったのに、返信の最初の文字でさえなにも思いついていない。すでに既読をつけて1時間半以上は経過している。早く返さないといけない。そればかりが頭を先行して、結局スマホの前で手は自然と止まってしまっていた。


「はるちゃん? 大丈夫?」


 スマホの画面を凝視して固まる小晴に陽介が声をかけた。朱音以外にも心配される始末だ。もはや情けなくなってきた。


「ダイジョーブ。ウン。ゼンゼンダイジョーブ」

「大丈夫ではなさそうだけど」


 大丈夫なわけがない。陽介の言う通りである。


「イマハチョット、ソットシテオイテホシイ」


 小晴の口から出た音は、まるでロボットが発したかのようにぎこちなかった。刻々と過ぎていく時間が完全に小晴の焦りをブーストしていた。


「うん? いいけど、なにかあったら僕でも朱音ちゃんでもいいから相談してね」


 なにかを察した顔。朱音も同様だ。


「アリガトウ…、」


 詮索しすぎることなく、見守ってくれる二人に小晴はちょっとだけ泣きそうになった。







 返信ができないまま、時間は進みお昼時。1限が始まる前に届いたLIMEは、2限を無事終えた今も拓也からのメッセージで終わっている。


「はあ…」


 既読をつけて3時間経った。小晴はスマホの画面に視線を落として、重たい溜息を吐いた。


「小晴。さっきからどうしたの?」


 昼休みから合流した怜央は、1限目からの小晴を知らないため隣の陽介に耳打ちする。


「うん。なんかね、悩んでるみたいだよ」

「あれ。絶っ~対、拓也さんか悠真さんからのLIMEだと思う。わたし」


 小晴をよそに、コソコソと三人で話す。LIMEのことでいっぱいの小晴には、三人の声は聞こえていない。


「いや、ちょっと待って。俺、悠真の件は聞いてないけど」

「え、言ってなかったっけ?」

「聞いてないわ」


 不意に出た新たな情報に怜央が、精巧に作られた目を見開かせた。朱音のきょとんとした顔に、怜央のツッコみが炸裂する。


「え、あ。ちょ。ふたりとも待って」


 そこで、普段であれば黙って見ているだけの陽介から「いったん中止しろ」の横やりが入った。


「んだよ、陽。今俺は、部外者にされてた悲しみが」

「いや。そんなことより、前、前」


 慌てる陽介の声が、二人をせっつく。


「前? …!?」

「…、っ、!!」


 急かされて視線を切り替えた二人は大げさなほど息をのんだ。明らかに自分たちのほうへ近づいてくる人物が三人の瞳にくっきりと映る。陽介は動揺、怜央は驚き、朱音は興奮。


 でも、誰も何も言わない。


 言えない。


 だって、ちょっとオーラが怖い。いまこの時、小晴だけが気が付いていない。自分たちのもとへ迫りくる人間について…―――。


 固まる三人を他所に、その人物は真っすぐ小晴の方へ向かった。そしてまるでバックハグでもするかのように小晴が座る椅子の背もたれとテーブルに手を置く。至近距離。その動作にひとつのぎこちなさもない。必然的に近づいた距離から、男は小晴の耳元に顔を寄せた。



「――――俺と遊びにいくの嫌だった?」



 拓也の声が、小晴の鼓膜を揺らす。


「ひゃっ、!」


 やっと気が付いた小晴が、反射的に耳を抑えて振り返る。瞳は驚愕の色に染まっていた。手の隙間から見える耳は誰が見ても赤い。

 小晴は、相手が拓也だと知ると、その赤をより一層赤く染めた。拓也は、意地悪に瞳を細めて笑っている。まるで、仕返しと言っているみたいだ。


「、…たくやさん」


 ちらりと拓也が小晴のスマホに目を落とす。


「ずっとその画面で固まってたんだ?」

「え? あ…」


 拓也の視線に気が付いて、小晴は慌ててスマホの画面を隠した。すでに何もかもが遅いが、反射的に拓也とのLIME画面を隠す。


「いや。ちが、違います! これは、その」


 上手い言い訳は、ひとつも思いつかない。


「そう、いま! いま返そうとしててっ!」

「…、ふーん」


 全てを見透かしている顔で、拓也が相槌を打つ。それだけで小晴の心臓は、ものすごい鼓動を刻んでいる。バックン、バックンと今にも破裂してしまいそう―――。


「それ、なんて返すつもりだったの?」


 一呼吸置いて、拓也は尋ねた。小晴が答えられないと分かっている質問を、わざと。


「へ?」


 案の定、小晴は呆気に取られ瞳を瞬いた。


「目の前にいるし、LIMEじゃなくてもいいでしょ?」


 いつになく意地悪な瞳。優しさよりも甘さと毒を含んだ視線は、暴力的だった。追及を緩める気がないことだけは、さすがの小晴にも分かる。


「これ以上、意地悪しないでほしいな?」


 どっちが、と言いたくなったが言えるわけもない。


「どうする? 俺と一緒に遊びいく? ふたりだけで」


 ぜったいわざと。わざと以外あり得ない。


「~ッ、」


 小晴の体内を駆け巡る血液が全て瞬間沸騰する。返事ができない。でも、しないとこの甘い地獄から抜け出すこともできない。頭が熱に浮かされて正常に作動しない。小晴は、回らない頭でどうにか、この場を収める正解を見つけた。拓也から視線を逸らし自分の足に落とす。それから勇気を絞りだして、コクンと小さく頷く。


「良かった」


 小晴の返事に拓也は満足気に笑った。そして適切な距離にスッと何事もなかったみたいに戻る。


「じゃあ、また連絡するね」


 さっきまでの意地悪さが消えて、普段の穏やかで優しい片倉拓也がいる。ちょっとホッとして、小晴の肩から少し力が抜けた。


 しかしそれもどうやら油断だったらしい。「あ、でも」と拓也はまるで思い出したかのように、踵を返しかけた足を止めた。まだなにか用事があったのかと、声につられてまだ赤みが残る顔で拓也の顔を見上げる。


「今度は既読付けたらすぐ返信してほしいかな。小晴ちゃんに嫌われてるのかって不安になるから」


 とっても意地悪な顔だった。一度は引っ込めたはずの、特上に意地悪な顔をしていた。引いてきたはずの赤がまた波となって押し寄せる。小晴のHP、残存ゼロ。全撃命中、撃沈…――――。


 小晴の敗北である。



 *



 拓也が去った直後――――


「ちょちょっ、今の何!? あれ何!? 恋愛ドラマ!? 実写!? 私観客!? なんか知らんけど拍手しそうだったんだけど!」


 4人の間に落ちていた沈黙を朱音の爆裂音がかっ飛ばした。当事者だった小晴は、顔を真っ赤にしたまま項垂れている。いつの間に席を外していたのか、陽介はさりげなく小晴に水を差し出してくれた。何も言いはしないが、若干顔は引き攣り気味、…――いや完全に引いている。怜央は、何を考えているのか今のところわからない。


「てか、耳元、耳元! やばすぎ! やばすぎてアドレナリンどっばどばなんだけど! 関係ない私がどっばどばなんだけど! 恋ってすごい!」


 隣に座る怜央の肩を朱音は、容赦なくバシバシ叩いている。朱音はいまだ、一人舞台登壇中だ。たぶんまだまだ降りてこないだろう。好き勝手やられていた怜央が、朱音から少し距離を取った。きっととても痛かったんだと思う。すごく骨に響く音をしていた。

 きゃああ、と悶える朱音を他所に、少し離れた位置で怜央が口を開いた。


「ていうか俺、あの人があんなキャラだって思ってなかったんだけど……。え、怖くね? フツーに」


 相変わらず、怜央の顔は国宝級に輝いている。


「うん。なんかさ、思ってた100倍くらい怖かったよね。いや、知ってた。知ってはいたけど。……あれ、常習犯だよね?」


 陽介もいつも通りの天使と言われるほんわかさを身に纏っている。


―さっきの行動全部、何回かやってるやつのそれだよな。

―うん。あれは、絶対初めてじゃない。


 ただ話している表情は完全にドン引いた顔をしているし、話す内容も昔から知っていたはずの知られざる拓也についてだ。朱音と違って、一応小声でコソコソと二人で話す配慮だけはある。


「ちょっとそこ、黙って! これはもう奇跡、そう歴史的なラブロマンスの瞬間なの!」


 一人騒いでいたはずの朱音が、聞こえていないはずの怜央と陽介の話に口をはさんだ。ついでにお叱りモードである。


「いや、あれはどう見ても奇跡じゃなくて、ホラーだろ。ホラーサスペンスの始まりだろ!」


「はあ、これだから男って何にもわかってない! モッテモテの男が一人の女の子に夢中になっちゃう! これこそ恋愛シチュで最も尊いシチュだって、なんでわっかんないかな!?」


 三人とも当事者を置いて、三様の盛り上がりだ。


「でも…――、女の子ってあれされて、嬉しくなっちゃうんでしょ?」


 陽介は飲みかけのペットボトルにキャップをしながら、ぼそりと呟いた。男子からしてみれば、はっきり言って普通に出来る行動ではない。

 朱音の興奮が一旦落ち着いたかと思いきや、彼女の視線が小晴に向けられる。


「で! で、で、で、どこ行くの!? なに着てく!? メイクどうする!? カフェ!? 水族館!? いやいっそ遊園地!? スカート? パンツ? 清楚? あざと? どうする小晴!?」


 朱音は興奮のあまり、普段呼ばない「小晴」と呼んだ。対して小晴のHPは回復どころか、ステータスバーごと砂と塵に変化しているところだ。


「………、しらない…」


 机に頭から突っ伏したまま、小晴は答えた。声は死んでいる。だが、そんなことで鎮火される興奮ではない。朱音と怜央で、ああでもないこうでもないとデートに行くはずもない二人が真剣議論をし始めた。







 なんだこのテーブルは、カオスすぎる。

 この場で一番第三者の陽介は“仮想デートプラン大会”をし始めた二人と、屍と化している小晴を見比べた。


 一応、言っておこうと勝手に白熱するふたりに「ふたりで遊びに行ったって、すぐ告白されるわけじゃないよね?」とやんわりと釘を刺してみる。けれどこれも焼け石に水だった。


「わかってる! けどこれは重大イベントだから! スチル必須の特大イベント! ここで好感度が大いに変わんの! 恋は過程が命なの!」

「うわ、でた~…、朱音の恋愛シチュヲタ」

「大興奮だね」


 力拳を入れて力説する朱音に、怜央と陽介は苦く笑った。今の朱音に何を言っても、絶対聞く耳を持たないだろう。だが、ここで朱音の熱に圧されているばかりではいられない。だって、一人撃沈している友人が目の前にいるのだから。


「つうか、ヲタク語で語るのやめろって。そろそろ本題入ろ」


 怜央が、一旦冷静な言葉で場を制す。


「なによ~。ここから楽しい時間がくるところなのに」


 つまらなそうに朱音が口をとがらせる。


「小晴を置いてくな~」

「まあ、それもそう。一旦冷静になるわ」


 怜央の正論に、やっと朱音は全面開放していた興奮を後ろに取り下げた。一息つくためのお茶を一口飲む。やっとカオスだったテーブルに冷静さが生まれた。


「てかさ、そもそもだけど…拓也って、悠真のこと、どう思ってんのかな。さっきの話じゃ、悠真も……、なんだろ?」


 小晴の状態を気にしながらも玲央は、早速一番気になる点を口にした。


「うん。そう、そこなの。私もそこはずっと気になってる」


 朱音もちょっとだけ顔を曇らせた。そして、怜央・朱音・陽介の視線がうつ伏せの小晴に突き刺さる。


「お願い。聞かないで」


 今の小晴には、この前の悠真とのやり取りを話す元気もない。もう一度言うが、終始小晴の声は死んでいる。


「まあ、まずは。あのたっくんに、返事ちゃんとしたね。はるちゃん、偉かったね」


 陽介の言葉に、一同、深く頷く。小晴は少しだけ顔をのぞかせて「みんなあ~…」と眉を下げた。

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