第11話・遅れてきた独占欲

 一方その頃、――時間は13時ちょうど過ぎ――3限が始まる直前だ。経済学部経済学科3年が多く集まる教室で、拓也・悠真らのグループがワイワイと賑やかな様子で固まっていた。前列に悠真、後列に拓也でそれぞれで話は盛り上がっている。


 そんな中、ブブーっと拓也のスマホが机の上で震える。机上にタブレットと一緒に置いていたスマホを手に取った拓也は、画面を見て思わず表情を和らげた。


「え~、やだ~。なんでスマホ見てにやついてんの? もしかして彼女できた?」


 すかさず隣にいた同じ学部の同級生が声を上げる。


「んー、なに。気になる?」


 拓也は動揺した素振りも見せず、今来た通知を開くこともなく、スマホを机の上に戻した。さりげなく画面は伏せて、視線を同級生の女子に向けた。


「え~…、さすがに気になる、かも?」


 視線を向けられた女子は、拓也を少し上目づかいで見上げた。しかし、拓也はノーダメージと言わんばかりに涼やかに笑う。


「内緒」

「…、えー拓也ひど~! 教えてくれてもいいじゃん」

「無理無理、教えないって」


 甘いようにも聞こえる声に一瞬反応が遅れた彼女も、取り繕うように言葉を返す。わざとらしく突き出された唇を無視して、今度は軽く笑った。


 拓也のいるグループが盛り上がる中、そのやりとりをこっそり耳に入れていた悠真は、笑いながら話していた手をふと止めた。まるで一瞬だけ、世界から音が遠のいたような――そんな間だった。彼の視線がふと、伏せられたスマホへと落ちる。


「…―――ふーん?」


 ほんの、ほんの一瞬だけ、悠真の瞳に映った感情はすぐに奥へと隠れてしまう。しかし彼の細められた目は、目の前の誰かをみているようで、まるで別の誰かに向けられたものに見えた。






 16時半ごろの大学は、ちょうど4限を終えたくらいの時間だった。3-4限連続の講義が終わり、ぞろぞろと心理学部学科の2年生たちが教室から出てくる。その学生たちの中に、小晴たちの姿もあった。


「流石に疲れたね」

「みんなお疲れさま」

「この後、どうする?」


 小晴、朱音、陽介ののんびりとした会話が、さざめく学生たちの間に混じる。三人だけの会話は、怜央がいないとはまたテンポが違ったが、居心地の良さは変わらない。


「そういえば、悠真くんがこっちくる、…かも?」


 陽介が思い出したように言いながら、途中から自信なさげに首を傾げた。


「それ、結局どっちなの?」


 朱音も怪訝気な顔で、陽介を見た。


「んー、僕もよくわかんなくて。さっきLIMEで場所聞かれたんだけど…――、結局、くるのかな?」


 どうやら既読はついているらしい。終わったら連絡してというメッセージに返信してから、音沙汰がないようだ。


「なにか陽ちゃんに用事かな?」


 小晴が尋ねる。


「さあ、そんなこと滅多にないと思うんだけど」


 教室の外に出られた三人は、一応悠真が来ていないか周囲を見回した。しかし姿は見えない。


「ま、いっか。どうせ連絡来るだろうし」


 陽介のさっぱりとした決断で、3人は階段を降りる。良いのだろうかと疑問が過ったが、自分が関与する話でもないかと二人の後に続いた。ちょうど小晴たちが下のフロアに出たタイミングだった。


「よお。お疲れ~」

「わあ、悠真くん」


 偶然なのか待ち伏せていたのか、タイミングよく悠真と鉢合わせる。片手をあげた悠真に陽介も同じく手を振り返す。本当に、陽介も怜央も悠真や拓也に気安い。先輩後輩とは違う雰囲気の二人を、一歩半ほど離れた距離で小晴は眺めていた。


 いつの間にか、小晴は陽介の背中越しに悠真を見ていた。笑うと少年のような無邪気さが滲むところ、白Tシャツの上から羽織った黒のカーディガン、のぞく筋肉質な腕、光る時計…――。そんなこと、いつもなら気にも留めなかったはずなのに、なぜか今日は目に止まった。


「なにか用でもあった?」


 陽介が尋ねると、悠真の視線が後ろにいた小晴へ移る。悠真に見られ、ドキッと小晴の胸が跳ねた。その視線が、自分だけに向けられていると思ったら、呼吸の仕方すら忘れそうになる。


「悪いけど、ちょっと小晴借りれる?」


 悠真に名前を呼ばれ、小晴はビックリした。大きな瞳がさらに大きく丸くなる。名前を呼ばれるなんて思いもしなかった。


「え~なにそれ。今日やたらキメてるじゃん」

「キメてねーよ。普通だわ」


 陽介の茶々なのかツッコミなのか微妙なラインの言葉に、悠真が少しだけ不愉快そうな顔をする。


「小晴、ちょっといい?」


 けれど視線は小晴から外れぬまま、悠真の手がこっちにこいと手招きをした。


「え、あ、はい」


 頷きながら、心臓がバクバクと音を刻み出す。なんだろうと疑問が浮かぶが答えは出ない。だって、悠真に呼ばれる用事なんて小晴には一つも思いつかないからだ。


「さんきゅー。じゃ、ちょっと借りるわ。行こうぜ」


(顔、赤くないかな。大丈夫かな)


 小晴はちらりと二人を見た。陽介は少し心配そうで、朱音はにこにこ笑っている。「が、ん、ば、れ」と朱音が大きく口を動かす。それから小晴に見えるように胸の前で拳を握った。たぶんこっちも”がんばれ”の意味だ。

 小晴はほんのり色づいた頬で小さく頷いた





 連れてこられたのは、さっきのところから一番近くにある自販機の前だった。


「何飲む?」

「え、あ。じゃあ……、これ」


 当たり前のように聞かれて、ひとつの飲み物を指さす。


「ココアね。ふ、かわい~ね~」


 ちょっと揶揄われている気もしなくもないが、ガコンと落ちてきたアイスココアの缶を「はい、どーぞ」と手渡される。それだけなのに、すごくドキドキしてしまっている自分がいる。


「ありがとう…ございます…」


 ぼそぼそとお礼をいう小晴を、悠真はただ目だけで笑う。


「そこ、座る?」


 自販機の前にあるちょっとしたフリースペースにベンチテーブルが二つ、そのうちのひとつに悠真と机をはさんで向かい合うように座る。いや、恥ずかしいからちょっと斜め横だ。


「あの……、私になにか用でも?」


 もらったココアを両手で包み込みながら、小晴は悠真をじっと見た。小晴の緊張感は、きっと悠真に伝わっているのだろう。


「とりあえず、飲めば?」


 笑いながら質問を受け流される。


「…じゃあ。いただきます」


 プシュッと缶の蓋が開く音が、小晴たち以外いないこの場に響く。コク、コクと喉に流れ込む甘い液体。でも、なぜか小晴の緊張はほぐれない。ココアの甘さがかえって喉に突っかかって咽せそうになった。缶を口から離して軽く喉を整えてからテーブルに置いた。無駄な音を立てたそこはかとない羞恥心が、さらに肩を強張らせた。


 一部始終を黙って見ていた悠真が、耐えられないと言った様子で笑った。視線は、子供を相手にしているような温度をしている。


「小晴、ガッチガチじゃん。そんなに緊張する? 俺とふたりだけって」

「っ、え、な、なにがっ、ですか?」


 思わず声が裏返る。あからさま過ぎる己に尚更狼狽えた。


(わああ、バカ。こんなの緊張してるってバレバレじゃん)


 しかし、小晴がここまで緊張するのも全ては悠真が原因だ。だからこの状況も全て悠真が悪い。

 だって…、だって。


「この前言ったこと、気にしてんだ?」


 ニィっと悠真が笑った。途端に、小晴の顔が真っ赤に染まる。


「っく、くく。ほんとそういうところ。小晴って何考えてるかすぐわかる。流石に悠真さんもちょっと照れるわ」


 見れば、悠真の頬がちょっとだけ色づいているのが見えた。頬を少し掻く指先が、所在なさげにも見えた。


「あのさ。ひとつ確認したいんだけど、いい?」


 ふいに視線が絡む。


「拓也にLIME教えた?」


 いつものお調子者の悠真はそこにいなくて、彼の目に吸いこまれるような感覚に陥いった。


「……、え?」


 一呼吸置いてからこぼれた声は、まだ状況を掴めていないことを顕著に表している。


「あ~。ビンゴね」


 小晴の反応でさっきまでの悠真が立ち消え、すぐに揶揄うような色が悠真の表情に乗った。「そっかそっか。教えたか~」と呟く悠真に、小晴はなぜか焦った。「な、え。いや。それは…、」と言葉にならない音が口から紡がれる。


「テンパりすぎだろ」


 悠真はただ笑った。


「そ、悠真さんに、関係、あるんですか?」


 どうにも悠真の手のひらの上で転がされているような気分になって、小晴はやっと言葉を絞りだした。


「うん。LIME。拓也に教えたんならさ、俺にも教えるべきじゃねえ?」


 即行で投げ返され、またすぐに思考停止。たぶん最初から悠真と対等にやり合おうとしたのが間違いだった。


「ほら、スマホ」


 子どもにものを教えるみたいな優しい声色に誘われる。ポケットから悠真もスマホを取り出して、次の小晴の行動を促した。


「な、なんで?」


 どもりながらも聞いてしまった。そんなこと聞かなきゃよかったのに、と後悔しても後の祭りだ。


「ん? 嫌なの?」


 意地悪で優しい顔が言う。


「…、い、嫌じゃ」

「――うん。嫌じゃないよな。知ってる」


 少年のようにも見えるはにかんだ笑顔が小晴の体にぼんっ、と火を付けた。真っ赤に染まって、手が震える。悠真に先導されて、画面はすでに”冴木悠真”を追加するボタンが表示されていた。永遠にも、一瞬にも思えた時間だった。ぽちっと自分の指がそれを押した。追加された、新しい友だち。

 悠真は画面を一瞥して、満足そうに目を細めた。


「“つばきこはる”ってかわいーじゃん、小晴っぽいわ」


 おかしい。

 ぜったいおかしい。


「じゃあ、用済んだし。俺帰るわ。小晴一人で帰れる?」

 黙ったままの小晴に焦点を当てる。

「それか、俺と一緒に帰る?」


 意地悪な顔だ。


「っ~~、さようなら!」


 小晴にとって渾身の仕返し。でも、悠真はものすごく楽しそうに笑った。何がそんなに嬉しいのか、終始踊り出しそうな軽やかな空気が悠真から発せられている。


「じゃ、またな。気を付けて帰れよ」


 小晴のLIMEには、本日追加された二人の“お友だち”。最後の抵抗のように、小晴はぜったいに悠真の方を見ようとはしなかった。

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