第10話・壁の向こう側
和やかな昼時、小晴はいつもの仲良し4人組でお昼を囲んでいた。今日は天気が良いから、食堂前のベンチテーブルで集合していた。木陰にあるおかげで非常に過ごしやすい。そよそよと吹く風に髪を撫でられながら、小晴たちはお弁当を広げた。
いつも通り朱音の喋りから始まったトークは、サークルの動画データの話に移り変わった。以前、朱音が間違えてデータを削除してしまったという話題に小晴は気の毒そうな顔を浮かべる。
朱音もかなり印象深いエピソードだったのだろう。ものすごく苦々しい顔で、お弁当箱に入った卵焼きを口に運んでいた。
「いやいや。どう考えても、朱音の確認不足だったろ。あれ」
そんなことなど意に介さず、怜央は容赦なく言葉のナイフで朱音をぐさりと刺した。
「うっわ……。ここに敵いたわ。サイアク」
正面に座る怜央を朱音が虫けらを見るような目で見つめた。
「はあ? そっちが泣きついてきたんじゃん。手伝ってやったの“俺”だから。敵認定される覚えはないだろ」
「あー、はいはい。その節はお世話になりましたー」
たぶんだけどデリカシーに若干かけたのが、問題なんだと思う。反論する怜央と、棒読みの朱音を外側で見ながら小晴は、微苦笑を浮かべた。
「うっざ。まじうざ。……朱音、お前今度はぜったい助けてやらないから!」
「いいよ。私には陽くんという、最強の味方がいるから!」
「陽、朱音にヘルプされても、ぜったい断れ!」
そして、嫌味の応酬はしているが相変わらず仲がいい。ここまで言い合いできる関係があるのは、見ていて羨ましい限りだ。
「もう、二人ともヒートアップしないでよ」
陽介も二人のやりとりに慣れているからか、朱音の隣で朗らかに笑う。そうやって4人は、いつもの調子でお昼を食べながらテンポのいいやり取りをしていた。
「相変わらず、楽しそうだな」
声をかけられ、リズムよかった会話がぴたりと止まった。全員の視線が、斜め上に移動する。
「え、たっくんじゃん。めずらし。どうしたの?」
まず第一声を上げたのは陽介だった。小晴たちのいるテーブルにふらりと立ち寄ったのは、サークルの代表である三年生の拓也だった。
片手にカフェラテを持って、白シャツにストレートパンツというシンプルな格好をしていた。シルエットからこなれ感が滲んだ様は、存在だけで嫌味にもなりそうな出立ちである。
アクセサリーの使い方も洒落ていて、その分だけ嫌味たらしさが増して見えた。まさにモテ男の名に相応しい一寸の狂いもない完璧なコーディネートだ。
(今日もかっこいいんですけど…)
小晴は、無意識にじっと拓也を見てしまった。
「一緒にいい?」
それに気づいているのかいないのか、拓也は相変わらず何を考えているのか分からない態度で相席を申し出た。
一番に反応したのは、朱音だった。
「どうぞどうぞ。好きなところ座ってください」
普段であれば、悠真や拓也に近づかれると嫌な顔をするのにどういう風の吹き回しだろうか。朱音が積極的に拓也を受け入れたことに一様にして驚く。
「ありがとう、朱音ちゃん」
にこりと微笑んだ拓也は、朱音、陽介が座るベンチに腰を下ろした。二人が席を詰めるから、拓也が小晴のほぼ正面に座ったことになる。
(ちょ…え。顔見れないって)
一人で勝手にテンパる小晴は、きっとあからさまだっただろう。
「いえいえ、ぜ〜んぜん! むしろ拓也さんとお昼食べられるなんて超光栄~」
対して、やっぱり今日の朱音は一瞬の嫌な雰囲気さえおくびにもださない。陽介を挟んで、朱音が拓也ににこにこ愛想良く笑う。
「ね! こは」
突然、同意を求められ小晴の肩が驚きで跳ねた。
「え!? あ、うん。…、はい」
まるで朱音に言わされたみたいな言い方をしてしまった。だけど、拓也はそれも意に介さない。気づいていないというより、気づいていて無視してるように見えた。
「そっか、なら良かった。俺も小晴ちゃんとお昼食べたかったんだよね」
拓也の代名詞のような柔らかな笑みが小晴へと向けられる。サークル内では、「必殺女子落とし」なんてふざけて言われるほどの破壊力満点の笑顔だ。不覚にも一瞬で、ちょっとときめいた。
「っ…、っく」
朱音が座る方面から人が呻くような小さな音がした。なぜ今日の朱音が異様に愛想がいいのか――彼女の魂胆が分かって、小晴はボっと頬に火をつけた。
(朱音ちゃん、ぜったい私の話聞いたからじゃん)
恋を応援するって言ってたけど、言ってたけどさあ、と内側の小晴が大声で叫んだ。
(これは、ぜったい楽しんでるだけでしょ!)
テーブルの下で見え隠れする彼女の握りこぶしがすべてを物語っている。小晴の心は、朱音のおかげで絶賛台風に直面中といった具合だった。
「みんなで、なんの話してたの?」
女子同士のひそかなやり取りは横に置いて、男子たちはそのまま会話を広げ始める。彼らは空気を読むのがうまい。また、何か朱音が企んでいると呆れつつ玲央も陽介も不用意にツッコんだりはしなかった。
「あ、この前ね。朱音ちゃんが―――」
拓也の質問を陽介が答えることで上手にバトンを繋がる。みんなのお陰で、小晴に少々回復するための時間が用意された。
「へ~。怜央がねえ。ズケズケそこまで言うの、なんか珍しいな」
意外と書かれた顔で拓也は怜央を見た。
「あ、わかる? そうそう。怜央、朱音ちゃんと夫婦漫才するの好きなんだよね」
陽介が兄に告げ口でもするように楽しそうに笑う。
「ちがう!」
「夫婦じゃない!」
待ってましたと言わんばかりに怜央と朱音のツッコミが同じタイミングで入った。
「ほらね。息ぴったり」
「っ、ふふ」
小晴も、思わず吹き出す。拓也が来たときは心臓が騒いだが、いつの間にか4人の空気は元に戻っていて、いつの間にか心の台風も過ぎ去っていた。
(なんか、身構えすぎてたかも)
やっと緊張が取れ、自然体で笑えることにどこかホッとする。
「もう、ほんとに二人仲良しなんだから」
きっと陽介の変わらない態度と怜央と朱音の漫才じみたやりとりが、小晴の緊張をどこかへ飛ばしてくれたのだ。小晴の変化を――いつもの柔らかい雰囲気に戻った――さりげなく見ていた拓也が、おもむろに口を開いた。
「小晴ちゃんって、俺のことちょっと警戒してるよね」
「え?」
突然の投下された爆弾に身が固まった。本人は何気なく言ったつもりかもしれないが、小晴にとってこれは完全なる爆撃だった。小晴以外も、驚いたように拓也を見る。
「いつも俺、小晴ちゃんからちょっと壁感じる」
すっと細められた視線は、やや不満さを訴えている。けれど小晴から目を逸らすことなく真っ直ぐ見つめる目は、異様な力を持っていて心臓の音をどんどん大きくさせていった。
目を逸らしたいのに逸らせない。
助けを求めたいのに、求められない。
「そ、そんなこと」
しどろもどろになりながら、小晴は拓也の言葉を否定した。
「そう? なら俺とLIME、交換しよ」
小晴の否定をまるで待っていたかのように、拓也は続きの言葉を口にした。
「へ?」
小晴の口から間抜けな音が出た。思考のブレーカーを一旦落ちた。すぐに復旧するも脳内に混乱が駆け抜ける。
(え、ちょっと…、ちょっと待って。
………、どういうこと?)
頭の中が一向に現実に追いつかない。
「やっぱだめ? したくない? 俺とLIME交換」
だけど、目の前の拓也は容赦がない。言葉の追加射撃を受け、正面からダメージを食らう。
「だ、ダメとかじゃなくて。その、びっくりしただけで」
どうにか言葉を紡ぐが、これが正解なのか小晴にはわからない。
「そっか、よかった。じゃあ、……はい、これ俺の。追加して?」
目の前で手際よくスマホを操作した拓也は、友だち追加のQRコードを表示して小晴に向ける。差し出されたスマホの画面を見て、小晴は少し固まった。
(なんかすごく流れが、なんか流れが…)
もはや氾濫した濁流に流されているような気分だ。
小晴は、自分の中に小さな抵抗を感じながらスマホを手に取った。ぎこちない手つきで拓也のQRコードを読み込む。追加するのボタンを前にやや指先が震えた。ゴクリと唾を飲み込んで、意を決す。追加してしまえ、という気持ちで一思いにボタンを押した。画面が切り替わった瞬間、小晴は息の仕方を忘れた。
(つ、追加しちゃった…)
自分で追加したにも関わらず、目の前の画面が現実だとは受け止められずにしばし放心状態で見つめる。LIMEの友だちリストにまさか、あの“片倉拓也”が入るなんて誰が想像するだろう。
「スタンプなんでもいいから送って」
す、スタンプ…!?
(でも、そっか。そうだよね。スタンプ、なに送ろう)
迷いすぎても変な間を作ってしまう。それは避けたい。
小晴は自分がよく使うスタンプの中でわりと礼儀正しそうに見える「よろしくお願いします」と文字が入ったスタンプをひとつ送った。すぐに既読の文字が付く。
「ねこ…。ふっ、かわいいね」
拓也の口からまた『かわいい』がこぼれた。しかもこぼれるような笑顔付きだ。
(っ~~、)
ずるすぎる男がいる。ここに。目の前に。もう意味がわからない。
「じゃあ、俺このあと講義あるからもう行くわ」
拓也はスマホをポケットにしまい、最初より中身が減ったカフェラテを持って立ち上がる。まるで話しかけにきた目的が、最初から小晴の連絡先をゲットするためだったと言っているみたいだ。拓也は全員を順番に見た後、最後に小晴に視線を止めた。
「小晴ちゃん、あとで連絡するね」
トドメの一撃。小晴は、ひゅっと息を止めた。
「またね」
スマートだ。最初から最後までスマート、無駄が一切ない。それなのに拓也は、スマートさに比例しないほど小晴にとんでもないものを置いていった。
拓也が去って見えなくなった頃―――。
「……っ~、はっ、私生きてる!? 私死んでない!?」
すぅうっと大きく吸った呼吸音と、その後に爆裂した朱音の叫びが轟いた。
「息、息するの忘れてた! 拓也さんやっば、まじやば。なにあれ。あんなにストレートパンチでスマートな男存在するんだ! 衝撃。やっば、目の当たりにして初めて実感するけど、破壊力えっっぐ!」
この間のカフェテラスの再来とばかりに、朱音が大いに興奮している。
「こは。あんたすごいわ! あれ食らってまだ正気保ってんの、もはや歴戦の剣士すぎるって! あんなの食らったら一瞬で恋に落ちるわ! 話だけ聞いてちょっと舐めてた私」
なぜか意味不明な褒めまで頂いた。
「ちょっと、おい。どういうことだよ! 俺聞いてないけど!」
「ふ、二人とも落ち着いて。え、なに。たっくんマジ狙いだったの?」
朱音と怜央に落ち着けという割に陽介本人も動揺している。こんなにテンパるみんなを見るのは初めてかもしれない。
「はるちゃん、まさか狙われてる? マジな方で……、大丈夫?」
陽介が心配そうに小晴の顔色を伺った。
「大丈夫かと聞かれると…、その。なんとも…?」
小晴は、どう返したらいいものが悩んで困った顔で笑った。
「あー…。そうだよな、うん。そりゃあ、そうだわ」
怜央もやや興奮から冷めて、小晴に同情的な視線を送った。
「つうか。そうか。LIME…」
「ね。LIME、ね…」
怜央と陽介が示し合わせたように視線を合わせる。
「え、なに。なにその反応」
二人の意味深な反応に、小晴の顔に不安の色が差した。
「いや~。なんていうか、丸め込まれるなよ?」
「うん。たっくん、あれで結構怖いところあるからさ。さっきもそうだけど、あれが24時間体制ってなると、はるちゃんには手強い相手かも……、な~んて?」
二人もまだ拓也の真意が掴めていないからか、とにかく歯切れが悪い。
「ま、一応ね。一応言っただけだから。そんなに心配しないで。こっちでも一回釘刺しとくから、はるちゃんはそのままで大丈夫だよ」
「だな。小晴は何かあったら俺らに頼れよ。ぜったいみんなで協力するから」
最後には、いつもの安心する笑顔を浮かべてくれた二人だったが、小晴の不安はただ膨れただけだった――手の中に収まるスマホが、異様な重たさを持っているように感じた。
そんなこんなで拓也とLIMEを交換してすぐ――、1時間も経たぬうちに送られてきたメッセージに小晴の手が震えた。
〈さっきは強引にLIME聞いてごめんね〉
〈小晴ちゃん、教えてくれなさそうだなって思って強行突破しちゃった〉
〈交換してくれてありがとう〉
最後に面白かわいいスタンプの「ごめんね」が貼られていて、思わず笑ってしまう。
〈ぜんぜん!〉
〈さっきはいきなりで、ちょっとビックリしちゃっただけです笑〉
〈拓也さんのスタンプかわいい〉
思っていたよりも親しみのあるメッセージに少しだけ肩の力が抜けた。対面しているよりも気楽に感じて、小晴も気軽に文字を打てて、そのまま送信する。対面だとあんなに距離があるように感じるのに、スマホを挟んだ途端雲の上の拓也がやや身近に感じて不思議な気分だ。
返信を終えたスマホをバッグにしまって、小晴は講義で使うルーズリーフやペンケースを机の上に並べた。
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