第六章 静かに、青が滲む
第9話・見ないふりの代償
〈ごめん。みんな〉
〈今日ちょっとサークル行けなさそう〉
〈おやすみします〉
小晴、朱音、怜央、陽介の4人のグループチャットに、小晴はサークルを休む旨の連絡を入れた。すぐに既読が3つ付く。
〈了解~。こは体調悪い? 大丈夫?〉
〈無理すんなよ~!〉
〈そかそか、無理しないでね〉
ポンポンポンとリズムよく返ってきたLIMEにちょっと笑った。
〈ぜんぜん元気! レポート課題終わらなくて笑〉
〈頑張ります!!〉
嘘ではない。本当でもないけど。メッセージを送り終えたスマホの画面を暗くして、ポケットにしまう。昨日の今日で、拓也と悠真に会うのは流石に自分が気まずい。
(あれ、本当になんの冗談だったの)
悠真のせいで、紫陽花を見るたびに昨日の台詞を思い出してしまう。
(なんでこんなにドキドキしちゃうんだろう)
あと少しで完成するレポート課題を放置して、小晴は火照る顔を両手で覆った。
*
あれからどうにか冷静になってレポートを完成させた。教授の研究室前に置かれた課題BOXに提出し終えて、小晴はふっと一息つく。今からサークルに寄っても間に合う時間帯だが、小晴は当然即帰宅を選んだ。
それから電車に乗って自宅に帰り、母が作ってくれた夕食を終え、現在自室のベットの上で寛いでいた。柔らかな部屋着に着替えてうつ伏せになってスマホを弄っていた時、LIMEの通知がスマホの画面上部に表示された。LIMEを開くと通知で来ていた以外にも相当数のメッセージが溜まっていた。
どうやら、今日のサークルは大盛り上がりだったらしい。今日のサークルで撮られただろう写真が、次々とグループチャットに送られている。サークルのグループLIMEは、アルバムの更新を知らせる内容ばかりだった。
小晴は、ほんの僅かな興味でグループLIMEのアルバムを開いた。一枚一枚見る中に、朱音や怜央、陽介の姿を見つける。みんな楽しそうな顔をして写っている。
でも、小晴の手が探しているのは3人じゃない。
「あ…」
ひとつの写真で手が止まった。そこから何枚か連続して写る、拓也と悠真がいた。
(…、か、っこいい…)
手が止まって目も止まって、でも心臓は動き始めて。小晴は、数秒の沈黙のあとLIMEを閉じた。ごろん、と仰向けになって天井を見上げる。ブーッ、ブーッと手の中でスマホが震え、頭上に掲げた。
(そうだ。通知来てた)
メッセージを送ってきているのは、朱音だった。何気なしに朱音のチャットを開く。
〈レポート無事終わった?〉
〈こっちはさ、今日めちゃ大盛り上がりで。こはもいたら良かったのに~って思ってた!〉
〈あとね。朗報〉
〈拓也さんと悠真さん、こはがいなくて寂しがってたよ〉
〈拓也さんは、今日、小晴ちゃんいないんだ。残念って〉
〈悠真さんは、逃げたなあいつって言ってたwww 何があったのwww 詳しくそこんとこよろ!〉
〈これは確実に恋だね!!〉
〈頑張れこは! 私はこはの恋めちゃ応援してる!!!!〉
勢いたっぷりの何連続も送られたメッセージのあとに数枚の写真もあった。朱音、陽介、怜央、拓也、悠真で映った写真だ。
「っ~~~~!!」
スマホを持った手は胸の上に、空いた手は顔の上に乗っかる。言葉にならない悲鳴が、部屋中を埋め尽くした。
(ずるいってば)
拓也も悠真もずるすぎる。だって、こんなの追い打ちだ。死体蹴りみたいなものじゃないか。
小晴が二人の前で動揺を見せてしまったせいなのか。なんで急にこんなことになっているんだと、頭はまだ状況への理解を拒んでいる。
(だって、本当はわかってた)
知らないふり、分からないふりをしてただけ。自分の鼓動の理由なんて、とっくのとうに気が付いていた。何故って、誰だってあんなにカッコいい人に揶揄われたら意識してしまうに決まっているからだ。小晴だけ例外なわけがない。
でも、だからって何で二人から同じようなタイミングで揶揄われ始めたのかは理解できなかった。嫌な考えだって勝手に頭に浮かんでくる。
(恋なんて言われてもどっちがどっちなんて、わかんないってば)
だって、いつだって二人の本音がどこにあるのか小晴にはわからないから。
もしも、どちらか片方だけだったなら、何も気にせずに恋に落ちることもできたのに。
小晴は誰にも聞かれることのない心の中で呟いた。
*
「こは~~?」
次の日の学校で、もはや待ち構えていかのたように朱音がニヤついた笑みを浮かべていた。小晴が答えるよりも先に、猪の如く突進される。勢いのある抱擁に体が後方に傾いた。
「あ、朱音ちゃん。お、…おはよ」
何を言われるのだろうとやや萎縮しながら小晴は抱きついてきた朱音に挨拶を告げた。
「ねえねえねえ、どういうこと。ねえ、どういうこと? 私の知らないところでどこまで進んでるの!?」
「ちょ、ちょっと。朱音ちゃん。声、声~」
しーっ、しーっ、と一生懸命自分の口に指を当てて興奮気味の朱音をなだめる。朱音以外の誰かに聞かれるのは、嫌だった。身の程知らずな状況だということは、小晴が一番分かっているからだ。
「怜央と陽くんは一旦無視して恋バナしよ。女子だけの恋バナ!」
小晴の真意を分かってくれたのかどうか分からないまま、どんどん話が進む。とりあえず場所を移す気があることだけにホッと胸を撫で下ろした。
小晴は、朱音に手をがっしり掴まれ半ば強引に連行されたのだった。
*
一昨日も訪れたカフェに、今日は朱音と二人でやってきた。強引に引っ張って来られたが、ここなら人目を気にせずゆっくり話ができそうで小晴は少し安心した。
お互い飲み物を頼み、テラス席ではなく奥の落ち着いた席に腰掛ける。早くと促す瞳に根負けし、小晴が一昨日の出来事を話し終えると、朱音は握りこぶしを作って身を震わせた。
「くぅ……、なにそれ。かっこいいじゃん、悠真!」
どの角度で見ても完全に身悶えている。
「いや、さん。悠真さん!」
慌てて訂正する小晴だが、朱音はたぶん聞いていない。人が少ないとはいえ、誰が聞いているかも分からない場所での大きな声は、一緒に席についている身からして気が気でない。
「やる時はやる男。そりゃ、モテるわ。モテまくり人生だわ~」
ひとりで「キャ~~」っとジタバタと手足をばたつかせる朱音は、絶対に小晴より楽しんでいるし、騒いでいる。
「で、で? 拓也さんは? 拓也さんの方はどうなのよ」
さっきまで話していたのは、悠真の話だ。小晴は、まだ朱音に拓也とカフェテラスで会った話はしていなかった。
「拓也さんは…、その。最近やたらと私のことかわいいって言ってくれるの」
朱音に乗せられ自分で話し始めたはいいものの、やはり己の口から話すのは恥ずかしい。しかし朱音が話の途中で口を挟む様子はなく、ただ小さな呻き声を上げている。無言で次を促され、小晴は色付く頬を掻いてから躊躇いながら言葉を続けた。
「だから私、そういうこと言わない方がいいですよって言ったの」
「言ったら?」
「私は……。小晴ちゃんは、意識してくれないのって」
「っはああああ、やっっば」
また朱音、大爆発。前のめりになっていた上半身が後方へ勢いよく下がった。椅子の背もたれに体を預けて、力を失ったように天を仰いでいる。
「ちょ、だから声大きいってば!」
話してるだけでも恥ずかしいのに、朱音の興奮がさらに拍車をかける。しかし、大興奮中の朱音には関係ない。ゾンビの如く戻ってきた朱音は、目を爛々と輝かせ小晴に詰め寄った。
「で、で? こは、何て答えたの!?」
「それは…その。冗談やめてくださいって。勘違いしちゃいますよ…って」
質問に答えながらどんどん顔が赤くなっていく。最後はほとんど聞こえないくらい小さな声だった。だがまだ朱音は追求を止めようとはしなかった。刑事の如く、俯いた小晴を鋭い視線で射抜くと顔の前で両手を組んだ。
「それで? それだけで終わるわけないでしょ」
朱音の圧に晒されて、小晴は居心地悪そうに身じろいだ。視線を右へ左へ動かして逃れられないと分かると、観念した犯人のようにおずおずと口を開く。
「嬉しいけどって拓也さんが。私が……、勘違い、したら」
そこで、小晴は思わず顔を手で覆った。
(だめだ、恥ずかしすぎる…)
語るだけでむずむずして、この場から逃げ出したくなる。朱音に見せられる顔ではない。
「っ…~〜ああああ。こっちもモテ男。こっちも強敵すぎ。…なんなの。ハッ…、あいつら月9か、月9出身なのか!」
小晴の羞恥をよそに、朱音はひとり大好きなアイドルでも見てきたかのような興奮状態の中にいた。一人語りを始めている朱音は、楽しそうで何よりだ。しかし全く気にされていないのも詫びしかった。
「はあ…、いい話聞かせてもらったわ」
朱音の興奮が治るまで大人しくカフェラテを飲んで待っていたところ、やっと一段落ち着いたらしく朱音は目の前に置かれたアイスキャラメルラテを一口飲んだ。
「で、どっちの方が好きそうなの?」
朱音がグラスをテーブルに戻すのを何気なしに目で追いかけていたら、今まで興奮していた人物とは思えない端的な質問をされて固まった。
「なっ…、え?」
はっきりとした答えを求められるなんて考えてもいなかった小晴は、あからさまに狼狽えた。朱音を見ている目が動揺で揺れたように感じた。
「小晴と雰囲気近いのは拓也さんだけど、一緒にいて楽しそうなのは悠真さん、って感じ?」
「まってまって。飲み込み早すぎるってば!」
「でも、どっちみち答えは出すんでしょ?」
朱音の言葉は、さっきまでの騒ぎが嘘のように冷静だった。甘いキャラメルラテを楽しみながら、まるで先の展開を読んでいるような余裕すらある。
「まあ、どっちのこともタイプじゃなかったら振ってもいいけど」
小晴は、そこで初めて自分にも選択する権利があることを知った。どちらかと付き合うなんて、烏滸がましいにも程がある選択は見えていたのに、自分がどちらのことも断るという選択肢を持っているなんて考えたこともなかった。
「―――でも、それは違うんでしょ」
ある意味ショックを受けている小晴に、朱音はにやりと笑った。まるで恋愛マスターみたいな彼女の大人な顔にたじたじしてしまう。
何も答えられないまま、何度か朱音の言葉を頭の中で繰り返した小晴は、ふと目を伏せて今まで閉じていた口を開いた。
「……――ねえ。あのさ。これ、私が二人から遊ばれてる可能性って、ないの?」
何度も頭を過った嫌な考えだ。大切な友だちである陽介や玲央の幼馴染を貶すようなことをあまり言いたくはなかったが、ほぼ同時にやってきた揶揄いをそのまま受け取る方が怖かった。
「ええ、こっわ。なんで急に落としてくるの。やだ、こは。怖い」
朱音のぎょっとした反応に、今度こそ小晴は半べそをかいた。
でも、だって、冷静になって考えたらこの状況は異常としか思えない。裏があるのではないかと勘繰る自分の臆病さは、そこまで可笑しなことではないだろう。
「向こうはそのつもりじゃなかったなんて、普通にあり得るというか…、まだ怖いが勝ってるというか…。贅沢な悩みなのは! 大前提ね、大前提なんだけど」
いま、この気持ちを“恋”だと確定してしまうのが怖い。自分の中の何かが崩れそうで、大切な何かを壊してしまいそうで。
小晴は、頭の片隅で――踏み込んでしまったらもう今の心地よい関係に、戻れなくなりそうな――予感がしていた。
「まあね~。でもあの二人に限って、そんな悪趣味なことするとは思えないけど」
朱音が言いながら、妙案を思いついたように顔を上げた。
「心配なら、聞いてみたら?」
「誰に?」
「本人に?」
至極当然と言わんばかりの話ぶりに小晴は目を剥いた。
「~っ…、できるわけないでしょ!」
「だよねえ。こはのキャラだとそうだよね~」
小晴の食ってかかるような言い方にも予想できていたかのように一切驚きを見せず、朱音はなにかを考えるような顔をした。
「じゃあ、怜央と陽くんでも召喚しとく?」
それから今思い出したみたいに、ふたりの名前を出す。
「え?」
「ほら、あの二人なら拓也さんと悠真さんのこと、私たちよりよく知ってるし」
「いや、さすがにそれは…」
あの二人に話すことを想像して、やや気まずさを覚えた。そもそも恋バナとかに対しても興味が薄そうだ。特に自分の話など、一番興味を持たれないだろう。
朱音はそれ以上強く言うことはなく、自分のキャラメルラテを堪能している。それに安堵する自分の面倒臭さを感じながら、小晴もカフェラテを一口飲んだ。
「まあまあ。命短し恋せよ乙女、ってね。何かあったらまた話して。月9俳優との恋バナ楽しみにしてるから」
「もう朱音ちゃんってば。私は本当に困ってるの」
「――あのね。遊ばれてるって思うなら、今度は小晴がドキッとさせちゃえばいいんだよ」
まるでハンターのような目つきで、朱音は笑った。
「前にも怜央言ってたじゃん。“ミイラ取りミイラになる”って」
確かに、そんなような話をみんなといる時にしていたと思い出す。
「ほらほら、頑張れ頑張れ。それに、小晴は自分が思ってるより、めちゃくちゃ魅力的な女の子だから。自信持って。私の自慢の友だちなんだからね」
その言葉が、やけに優しくて、温かくて――。
ほんの少しだけ雲がかっていた小晴の顔に、晴れ間が戻った。
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