第五章 まだ、青にも赤にも染まらないで

第7話・恋じゃない、ばすだった

 本日の天気は曇り。朝のお天気アプリでは、一日中曇り予報だった。薄グレーがかった空を見上げる。太陽が雲に隠れているせいで、全体的に世界が寒色で染まっていた。


「雨、降りそうだけど降らないのかなあ」


 小晴は、空を見ながらぽつりと呟いた。木の葉や草はまだ新緑の色で、花壇の端で紫陽花が綺麗に咲いている。きっと雨が降れば葉っぱも紫陽花も喜ぶだろう。微かに遠くから香る雨の匂いがする。


(みんなは嫌がるだろうけど、雨が降ったら素敵なのに)


 季節は五月雨、梅雨を予感させる気まぐれな雨の季節。



 *



「ねえ、最近こはボーっとしすぎじゃない?」


 大学のフリースペースーいつも小晴たちのたまり場と化している場所―で、心理学のレポートに追われている最中に朱音が真正面に座る小晴をじっとりとした目つきで見つめてきた。


「え、へ? そう?」


 小晴は、朱音の追及に若干顔を引き攣らせながらも笑って首を傾げた。突然こんな話になったのは、十中八九朱音の集中力が切れたからにちがいない。


「あっやし~い。ぜったい私に何か隠し事でもしてるでしょ?」


 ぴんっと延ばされた人差し指は、まるで犯人を追い詰めている名探偵のようだ。


「や、やだなあ~。してないよ。そんなこと」


 あはは、と小晴はしらを切るために笑って誤魔化した。確かに朱音の指摘通りここ最近、ふとした時に上の空になっている自覚はある。急に考え事をしてしまうせいで、たまにみんなの話を聞いていないことが何度かあった。まさかこのタイミングで指摘されるなんて、思ってもいなかったから心臓がドキドキと早鐘を打っている。


 陽介と怜央は、ただ朱音が集中力を失っただけということを理解しているからか話には乗ってこない。今も黙々と自分の課題に取り組んでいる。そのため朱音と小晴、1対1の構図のままだ。どうやってこの話の終着点を見つけようか小晴は悩んだ。


「もしかして…、恋でもしちゃった?」


 が、すぐにそれは消し飛んだ。


「~~~は? や、してないしてない。全くもって、してません!!!」


 思わず身体が反射的に動いてガタンと椅子を蹴った。ちらりと、陽介と怜央からも一瞬視線が集まった。


「………―――ふーん。あっそ」


 長い沈黙のあと何かもの言いたげな視線だけ残して、朱音はそっぽを向いてしまった。


「あーあ。朱音が拗ねちゃった」


 いままで課題に取り組んでいて、一切の無言を貫いていた怜央が口を挟んだ。頬杖をついて遠くを睨んでいる朱音から二人に視線を変える。心なしか二人が自分を見る目は、被害妄想でなければ非難めいているように見えた。まるで、私が浮気でもしたかのような目だ。


「違う違う。本当に違うの! これは、そう! 憧れ的な? 羨ましさゆえの? そう、そういうやつです!」


 小晴は慌てて口を開いた。なんの弁解時間なのかも分かっていないまま、ただ場の空気に乗せられてつい口を滑らせる。


「恋してんじゃん」

「してない!」


 小晴の焦りが何かを確定するように、いつの間にか正面に顔を戻していた朱音が断言した。

 1秒前まで拗ねていた人間は、すっかりどこかへと消えている。身のかわりの速さに小晴は、一瞬呆気に取られたがすぐさま否定した。


「で、その好きな人って誰なの? もう白状しなって!」


 キャ~と一人盛り上がり始めた朱音は、すでに人の話を聞く耳を持っていなかった。最近の上の空の原因が恋だなんて確定されたら溜まったものではない。小晴は焦って、前のめりに朱音に詰め寄った。


「だから、本当にそういうんじゃないから!」


 テーブルを挟んでいるとはいえ、朱音の視界いっぱいに入っているはずだが、まるで見えていないみたいに目を瞬かせた。そして突然、前触れもなく声を上げる。その後に、弾けるように「わかった」と言った。


「ねえ、私わかっちゃったんだけど!」

「もう朱音ちゃん!!」


 なぜそんなに楽しそうなのか。目の中にお星さまでも落ちてきたみたいに朱音の瞳はきらきらと輝いていた。


「あのふたりのどっちかでしょ?」


 ふいに瞳の輝きの中に閉じ込められ、小晴は息を止めた。否定も肯定も出来ずに固まる。それからボボボボっ、と顔が火の玉みたいに真っ赤に染まった。


「あ、図星だ」

「はるちゃんは、分かりやすいな~…」


 沈黙を守っていた怜央と陽介が、やや呆れた様子で小晴を見た。生温かい視線がより小晴の羞恥を掻き立てる。


「ちーがーいーまーすーーー!!」


 すぐに全力で否定したが、すでに勝負は決まっていた。

 結果は、惨敗である。朱音、怜央、陽介の三方向から同じ温度の視線を向けられた。


「誰も、誰かとは言ってないのになあ」


 ニヤニヤと笑う怜央。


「ほんと。こはってば、わかりやすい」


 キャッキャッし始める朱音。


「そっか~。恋しちゃったか~」


 何とも感慨深げな陽介。


「あ、ちょ、ま、間違えた! 焦りすぎて否定の仕方間違えたの!」


 会話のバッターボックスで粘ってみたがすでに空振り三振している小晴は、全員に「はいはい」と受け流される。たった今ゲームセットのホイッスルが吹かれた。ゲームオーバーの文字が頭上に浮かび上がる。


「だ、や、え、もうほんとにやめてってば。私はいまこの混乱と戦ってるところなの!!」


 結局、全てを白状しなきゃいけない羽目になった小晴は、うわーんと机に広げていたレポートの資料に額を埋めた。


「あ、やっぱり混乱はしてたんだ」

「最近あのふたり。やけにこはに構いに来るもんね」

「気づいてて逆にホッとしたかも、俺」

「え、? なにそれ」


 寝耳に水だった。埋めたはずの額をあげて、今しがた聞いた聞き逃せない言葉に目を丸くする。


「え?」「あれ?」「ん?」


「もしかして、はるちゃん。やっぱり気づいてなかった?」


 陽介の言葉をうまく処理できなくて、頭にクエスチョンマークがいっぱい浮かぶ。


「…………、あの、どういうこと?」


 急に今までの認識していた世界と異なる話をされて、困惑する。「「「そっかあ。そっちかあ…」」」と、三人は困ったような呆れたような顔で溜息を吐いて下を向いた。


「…まあ、つまり。今の小晴はさ、不可抗力というか、致し方ないところは、ちょっとある。うん。あると思う」


 誰もが口を開かない時間が流れた後、わりとズバズバとものを言う玲央が一番に口を開いた。彼の言葉を探しながら話す様は、なんとも気まずそうで、歯切れの悪さは小晴の中の不安を煽る。


「…、あの人たちの真意は知らないけど、最近はちょっと冗談きつかったからね」


 陽介は陽介で、なぜか申し訳なさそうな、自分が悪いみたいな顔だ。こちらもここ数日感じていた言葉にできない不安感をさらに大きく成長させた。


「でもこはは、たぶん本当にどっちか好きだと思うよ。そういう顔してるもん」

「え?」

「だって、恋ってそういうもんでしょ?」


 笑った朱音ちゃんは、私よりもずっと大人びていて、不覚にも見惚れてしまった。

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