第一章 その遊びは、まだ罪を知らない

第2話・サークルと、飲み会の話

 はじまりは一体なんだったのだろうか。きっとそれは、ただの出来心だった。ささやな自惚れと、柔らかな隙間が、僕らを夢中にさせた。





「おーい。そっちグラス足りてる? まだの子いない?」

「大丈夫でーす」

「みんなグラス行き渡りました~」


 ガヤガヤとうるさい居酒屋の個室で、20人ほどの学生が肩がぶつかる距離でいくつもの円卓を囲んでいる。幹事をしているサークルの先輩が一人だけ立っていて、ぐるりと最終確認をするように部屋全体を見回した。


「よし。それじゃあ、みんなグラス持って~。今日はお疲れさまでした! 新入生が入ってきてまだまだ真新しさがあると思いますが、今年もみんなで張り切って良い作品作って行きましょう。かんぱーい!」


 乾杯の音頭。幹事の掛け声に続いて至る所で「乾杯」の言葉とグラス同士がぶつかるカチン、とした音が軽快に響く。

 あまり飲み会に顔を出さない小晴も今日ばかりは、朱音・陽介・怜央の3人に誘われて顔を出していた。そんな小晴を囲うように3人も同じテーブルに腰をおろしている。


「イェーイ。カンパーーイ」


 一際楽しそうな朱音の声が小晴たちのテーブルに響く。


「お酒飲めるようになったからって、あんまり調子乗るなよ」


 呆れを隠そうともせず怜央が、テンション上げ上げの朱音を窘める。


「わかってるって。私、そんなアホじゃないもーん」

「アホに見えるから言ってるんだろ」

「もう二人とも喧嘩しないの」


 陽介の仲裁で一旦は黙った二人。でもいつものことだから、またそのうち小競り合いをし始めるのだろう。


「はるちゃん何頼んだの?」

「ウーロン茶。陽ちゃんは?」

「僕はね、ジンジャーエール」


 ふわりと陽介が微笑む。


「誕生日向かえたら、私と一緒にお酒飲もうね。こは」

「うん」


 小晴が笑って返すと、朱音が嬉しい感情を駄々洩れさせたような笑顔を浮かべた。


「えへへ」


 まるで約束が心底嬉しいと言わんばかりの顔だ。


「気持ち悪いな」

「おい」


 すかさずツッコんだ怜央の頭に朱音の手刀が落ちる。


「いった」


 勢い良すぎだろと言いたげな怜央に思わずくすりと笑ってしまう。朱音と怜央はきっと気の合う漫才コンビなのだろう。


「いいなあ。僕がみんなと飲めるようになるのは、だいぶ先だよ」


 4人の中で最後に誕生日を迎える陽介が、羨ましげに嘆いた。


「でも楽しみが先にあるって、なんか嬉しいよ」


 小晴の言葉に、陽介はやや拗ねた顔をしていた顔を引っ込めた。


「じゃあ絶対みんなで僕のお酒解禁付き合ってね。破ったら泣くからね」

「なに言ってんの。そんなの当たり前でしょ」

「全員飲めるようになったら、4人でどっか行くのは?」

「いいねいいね。楽しそう!」


 朱音と玲央も前のめりに来年の話に乗っかり盛り上がる。仲良し4人組だけで囲うテーブルは、結局場所が変わってもいつもと同じだ。お酒が飲める組と数名の新入生がいる卓に仕切り役の先輩たちが世話を焼きに行っていて、余計な人間は誰もいない。小晴にとっても緊張せずにいられるただ楽しいだけの時間だった。そんな時間を打ち切るように、ガラリと前触れもなく個室の扉が開いた。


「お~。楽しんでんね~」


 たった一言。それだけで場の空気が変わる。


―え、今日悠真先輩来る予定だったの?

―悠真さんだ! やば。今日もビジュいい

―こっちのテーブル来てくれないかな


 ざわつく女子の声は、小声でも分かるほど浮足立っている。


「お、悠真。こっち来いよ。何飲む?」

「さっき頼んどいた」


 経済学部経営学科3年生の冴木悠真さえきゆうまは、サークルの代表の一員で所謂一軍と言われるような、特に女子から支持されている人気者だ。


「つうか、拓也とは一緒に来なかったんだな」

「誰が四六時中拓也と一緒だって~?」

「いやほぼ四六時中だろ」

「あいつが俺のストーカーなの」


 そこでドッと笑いが起きる。


「相変わらずだね。悠真くん」

「あれは生まれつきの格好つけなんだよ」

「ちょっと、二人とも流石にやめなって」


 そして何を隠そう、ここにいる陽介と怜央は超人気者の冴木悠真の昔馴染みなのだ。聞こえる距離で軽口を叩く二人に、流石に朱音も小晴もたじろいだ。


「おやおや。俺の噂してるやつはどーこだ?」

「うわ、ほら来ちゃったじゃん」


 朱音が心底嫌そうな顔を一瞬だけのぞかせた。


「あれ、珍し。小晴も来てんじゃん」

「こんにちは」


 一応挨拶を済ますと、悠真がニヤニヤと見つめてくる。


「何か心境の変化でもあったわけ?」

「陽ちゃんたちが誘ってくれて」


 当たり障りなく笑うと、「そっかー」という軽い返事が戻ってくる。


「んで? 朱音ちゃんはお酒?」

「20歳になったんで!」


 さっきの嫌な顔はどこへやら、朱音は爽快に笑ってお酒をちょっとだけ前に掲げた。


「あ、そうなの? じゃあ、お祝いじゃん。俺とも乾杯しよ」


 丁度良く運ばれてきたジョッキには、並々と生ビールが注がれている。


(大人だ)


 小晴は、自分とは縁遠い黄色と白のコントラストを少し遠くを見るように眺めた。


「いえーい。成人おめでとー。これから一緒にいっぱい飲もうぜ~」

「ありがとうございまーす」


 ノリの良い悠真と朱音のグラス同士がぶつかってカチンと鳴った。


「悠真~、こっちで飲もうよ~」


 直後、涼し気な音をかき消すかのように他の卓から女の人特有の甘さを含んだ高い声が通る。


「ごめーん。後でいくわ~」


 そちらを振り向いた悠真は、なんの気負いもなく答える。


「待ってるからね!」

「はいよ~」


 女の先輩が引き下がった返事にも軽く返して、目の前で陽介たちに混ざる姿はまさにザ・モテる男のそれだ。


「そういえば、さっき言ってたけど。たっくんも来るの?」

「うん。なんかレポート出したら来るってよ」


 いつも仲良くしてくれる陽介や怜央も、この時ばかりは住んでいる世界が真反対だと感じる。


「そうなんだ。二人が揃ってる飲み会だから、きっとこの後すっごく盛り上がるね」

「当たり前よ」

「はい、自信過剰~」


 小晴には、考えられない気安い応酬が目の前で飛び交う。


「モテる俺らに僻むなって。モテないからって」

「はあ? 俺だってモテるから!」

「いや。アンタは顔だけね。総合優勝悠真さん」

「良かったじゃん、顔はお前の方がかっこいいってよ」


 朱音も初めこそ渋りはするものの、なんだかんだ場に溶け込むのが早い。


(すごいなあ、みんな)


 小晴は、誰にも分からないくらい小さく息を吐いた。やっぱりこういう場はちょっとだけ苦手だ。賑やかになるほど、世界に一人取り残されたような気がしてしまう。小晴は、目の前で繰り広げられるテンポの良い会話をまるでテレビの中の映像を見るような気分で見つめていた。





 飲み会が始まってから1時間ほど経過したタイミングだっただろうか。


「悪い。遅くなった」


 ガラガラと引き戸を開け、本日二度目の途中参加者が顔を出した。


「きゃっ、拓也さん!」


 どこかの卓で興奮した女子の声が上がる。


「おっせーぞー」


 一番奥の卓からヤジが飛んだ。犯人はあの悠真だ。


「うっせ。間に合ったろ」


 ヤジを軽くあしらう様子は、様になっている。


「いーや。女の子たちから不満しかないね」

「それ俺のせいか?」


 片倉拓也かたくらたくやのなんでもない一言に、数名の女子から小さく悲鳴が上がる。まるでアイドルからファンサしてもらったような盛り上がりだ。

 同じ学部学科に通い悪友とも腐れ縁ともいえる拓也と悠真はいうなれば、このサークルの双璧のような存在だ。彼らは、大袈裟ではなく実際に女子の人気をほぼ二分している。


「拓也は何飲む?」


 無駄のない動きというのはこういうことかと納得させられるような同性の先輩の動きだった。声から感じ取れるのは、微かな優越感。


「とりあえずビールでいいかな」


 それを当然のように受け取る拓也は、普段から人に与えられることに慣れているのだろう。全く動じない姿から彼の余裕さを感じる。


(悠真さんと拓也さんが来てから、私の場違い感増してるなあ)


 初めにあった和やかな飲み会が一瞬で戦場に切り替わったかのように、この場には多くの誰かの欲が溢れている。


「はるちゃん」


 急に名前を呼ばれてちょっとだけびっくりした。どこか上の空だった小晴は、ゆっくりと呼ばれた方に視線を向けた。


「コップ空だよ。何飲む? ウーロン茶?」


 ごく自然とされた会話が、やっと小晴に呼吸をさせてくれた。


「あ、うん。同じのでいいかな」


 陽介の顔を見て、小晴はホッとしたように笑った。


「たっくーん。こっちウーロン茶2つ」

「おー。りょうかい」


 気安い会話。だけど、さっきよりテレビの中が自分に近づいてくれた気がした。


 まだこの時の私は、ふたりのことを交わらない境界線の向こう側の存在だと思っていた。

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