第二章 紫陽花はまだ、誰の色にも染まらない

第3話・出来心の輪郭

時は少し遡って1ヶ月前ーー。


「ミイラ取りミイラになる」


 突然、なんの前触れもなく怜央の声が4人で囲んでいたテーブルに落とされた。


「え、なに? 急にどうしたの? 勉強しすぎて流石のイケメンも干からびた?」


 スマホを操作していた朱音が訝し気な目で怜央を見た。


「いや。この判例って、珍しいくらいに言葉通りってかピッタリすぎてさ。てか、干からびるってなんだよ。干からびるか」

「なになに。どんな事件なの?」


 陽介が覗き込んだソレは、怜央の前に置かれた持ち運びに便利なサイズのPC。目に飛び込むのは、液晶画面にいくつも広がる資料の窓、窓、窓。赤いマーカーが引かれたものや、彼の見た目通り清廉とした字体の文字で追加されたメモたち。同じ大学生として、関心に値する生真面目さだ。


「ホストが客にしようとしたキャバ嬢に入れ込んで、最終的に地獄見たって話。最初から最後まで地獄。ま、そんなんばっかだけど。これはだいぶライトな方だよ」

「うっわ。それだいぶキてんね。超ドロドロじゃん。勉強内容ハードコアかよ」


 朱音が嫌なものを聞いたと言わんばかりに表情を歪める。


「結局、どんな事件も誰かさんのちょっとした利己的な考えからくるものなのよね~」


 嫌になっちゃう、とぼやく朱音に陽介が苦笑を漏らした。


「うん。まあ、でも。きっかけがどうあれさ。通じ合えたら幸せだったのにね」


 そうであってほしかったというニュアンスを含んだ小晴の意見に、全員の目からわずかに鋭さが溶け空気がふんわり柔らかさを取り戻す。

 生温かい空気に包まれたことに気がついた小晴は、目を丸くさせ三人を見回した。


「え、なに。私、変なこと言った?」


 急に全員の注目が集まり、照れから頬が赤く染まる。


「言ってない言ってない」

「はるちゃんらしいなって思って」

「みんながみんな、それで収まったら平和だろうな」

「確かに」


 再開した会話を聞きながら、小晴が仄かに染まった赤を誤魔化すように眉を下げて笑った。



 *



 4月も終わり、これまで大学全体を覆っていた浮ついた雰囲気は少し鳴りを潜めていた。


「もう5月かあ」


 隣で朱音がぼやく。


「私たちの中で一番先にお姉さんだね。どう? 実感湧いてる?」

「ううん。もうすぐで20歳はたち迎えるとか全然実感湧かないの、これが。そもそもさ、10代終わっちゃうってのがしっくりこないっていうか。10代って終わりあるんだ的な?」

「終わりは来るだろ」


 阿呆を見る目で怜央が朱音を見る。


「だ、か、ら~。そんなの私だってわかってるって。そうじゃなくてさあ。こう、あるじゃん。なんか、こう!」

「語彙力な」

「うっさ。笑うなバカ」


 二人のやり取りを小晴と一緒に笑っていた陽介は「でもわかるなあ」と朱音の気持ちに同調した。


「ほら、僕はこの前19になったばっかりだし。余計不思議な気持ち。はるちゃんも6月で20歳でしょ? みんなが少しずつ僕の知らないところで大人になっていくみたい」


 少しだけ寂しそうに陽介が言う。


「確かに小晴の方が陽より先ってのが、また違和感あるよな」

「ちょっと怜央くん、それどういう意味?」


 小晴がムッとした顔を浮かべるのと同時に朱音が盛大に笑った。


「こは、すこし抜けてるところあるからね」

「あ~、朱音ちゃんまで。流石に酷くない?」


 さらに小晴の顔が険しくなる。


「二人がそう思うのは、はるちゃんは真っすぐで、僕がちょっと捻くれてるからだと思うよ」


 場の流れを察して、陽介はすかさずフォローを入れた。

 しかし、小晴は首を傾げる。だって、いつも穏やかで優しい陽介が捻くれているなんてどうにもミスマッチだ。


「陽ちゃんが? 捻くれてなくない?」

「んーん。僕、結構捻くれてると思う」


 小晴の疑問を、柔らかい言葉づかいで重ねて否定する。


(サークルで天使とか人格者とか言われてる陽ちゃんが?)


 でも彼の話している様子だけみると、つい最近の考えではないような気がした。小晴は、一旦否定を捨てて言葉の真偽を考えてみた。でもやっぱり“捻くれている”という言葉と陽介は結びつかない。


「陽くん。捻くれてるってのは、どっちかっていうとこっちの方を指すんだよ」


 びしっと朱音は容赦なく怜央を指さした。怜央が「おい」と朱音にツッコむ。


「捻くれてはないだろ」


 玲央は、真顔になって鬱陶しげに指された指を払った。そうなると怜央の端正な顔は、厳正な法律家みたいに張り詰めた空気を纏う。


「そうそう。怜央は様子のおかしいイケメンだから」


 空気を和らげるように陽介が、横から口を出した。

 初めのうちサークル内のムードメーカーで人格者である陽介と恐ろしく外見の整った怜央のツーショットは、違和感を炸裂させていた。花に例えるなら、陽介は太陽に向かって伸びていく向日葵で、怜央は棘のある美しく迫力のある薔薇だ。しかし昔馴染みの二人の空気は気持ち良いくらいに溶け込んでいる。


「陽。それフォローになってない」


 今もほら薔薇が棘を落として向日葵に呆れている。玲央の呆れた様子に、自然と陽介は目を丸くさせた。


「え、ん? フォローっていうより、より正確に訂正しようとしただけっていうか。怜央は外見と違って、普通、いやちょっと面倒っていうか。面白系が好きだけどそんなに面白くないところがあったりするから総括して、やっぱりちょっと様子が」

「いや、それ貶してる。俺のこと超貶してるから。誰が顔だけ人間だって?」

「え、えええ!! そんなつもりじゃないよ。超ホメてるって」


 なぜか玲央の前だと、ポンコツ具合が爆増するのが陽介だ。真面目な顔して、見当違いなことをしたことは数知れず。つまり、このツーショットはとてもお似合いなのだ。あわあわと慌てる陽介とぷんすこ怒っている怜央は、そこだけ絵本のような世界を彷彿とさせる。並ぶその姿があまりにおかしくて、小晴はつい吹き出してしまった。




 ひとつの笑い声と賑やかな友の声に囲まれた空間は、あまりに柔らかくあまりにも心地良くて、わずかに残っている春の匂いのようにまだ少しだけ小晴たちの心を浮つかせていた。

 しかし季節は移り変わっていく。

 春は終わりを告げ、匂いも空気も風とともに新緑芽吹く青々しい青春の季節を連れてくる―――。

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