第一話 灰被りの青年
異様な熱気が会場を支配していた。人々の緊張と興奮がないまぜになった声がそこかしこから響いていた。熱気に当てられた魔石のシャンデリアが煌めき、人々の瞳の奥に宿る欲望をいやでも照らし出していた。
この場に訪れる人々は常に心を満たす何かを求めているが、此度は露骨であった。
今回のオークションでは前代未聞の「品」が出品されるという噂だ。
それを手に入れようと各地から集まってきた者が大半だろう。また楽しい争いを物見遊山しに来た者も少なくない。
故に普段のオークションの様子とはかけ離れ、常連に混じって今まで顔を見たことがない人物がひしめき合い、賑やかな社交会にでもなったかと錯覚しそうになる。
改革の象徴。
静謐の獅子。
そして裏切り者の白騎士。
呼称は違えど指し示す名前はただ一人、ヨーグゼク王国元近衛騎士長、エルガー。
あらゆる呼称で世に存在を知らしめてきたあの男を誰が手にするのか。あの男の結末はいかなるものとなるのか。
ここに集まる全ての者がその結末に期待或いは注目を寄せていた。
勿論、それはオスカー達も例外ではない。
「カイゼル殿、せめて殺気は抑えてもらいたい。我らはあくまでもお忍びで来ているのだということをお忘れか。」
「……。」
オスカーは溜息をつきながら、隣で不機嫌そうに眉間に皺を寄せる男の姿に肩をすくませた。この男はいつも不機嫌な顔だが、今日は殊更機嫌が悪い。そのお陰かオスカー達に声をかけてくるものはいない。オスカーもまた、本来ならこの男とは距離を置きたいというのが本心である。
彼と会話をする度に増えていく溜息は両手の指の数を越えてからは、最早数えすらしていない。
「全く……皇帝陛下は本当に承認したのか?」
「くどい。国費の幾らかを使って良いと貴殿にも伝達されてるはずだが。」
「国費の帳尻を合わせろなんて言われた此方の身を考えていただきたい。」
「それは陛下が貴殿に任せた職務であり、私の知るところではない。」
国費というのは年初に使い道が決められている。そこからいきなり捻出することがどれだけの無茶振りなのか理解してないのか。いや理解していてなのか。
何れにせよこの日まで妻よりもむさ苦しい男衆と何度も夜を共にする羽目になった。しかしオスカーの恨みがましい視線を男は鼻で笑い、それにと続けた。
「用意周到な貴殿なら、もしもの為に国費とは別に蓄えの一つや二つ、当然あると思ったが。」
「……。」
「陛下は貴殿のような家臣に仕えられていること、さぞ幸福だと感じていらっしゃることだろう。」
皇帝の無茶振りはオスカーにとって常日頃のものであり、最早朝に飲む茶のようなものである。だからと言って無茶振りに喜ぶ趣味はない。
「陛下がお認めになったということはそういうことだ。」
「……限界値は百億程度。そこから先は此方は負担しない。」
「苦面して出す金が国費の一割か。その一割も蓄えの中ではどれほどかは、聞かないでおこう。しかしやはり貴殿は優秀だな。」
それだけいうと男は再び周囲へと視線を向けた。まるで嫌味の続きのようでもあり、素直な賞賛とも取れる。どちらでもあるのだろう。
どちらとして受け取るのはオスカーに託したということだ。
百億をまるで端金のような言い方だが、隣国との小競り合いで一冬戦える金額だ。その金を一人の男に注ぎ込むと言うのだ。反乱を主導し、王国を一つ滅ぼしたとされる男に、だ。
しかし生憎のところ、オスカーは嫌味の応酬でこの男に勝てる自信なぞ端から持ち合わせていない。結局はオスカーの一人相撲でしかないのである。
「お褒めに預かり恐縮。それにしても……かの人物は余程人気でいらっしゃるご様子だ。」
オスカーは楽しく談笑している人々を軽く見渡す。商人だけではなく、軍人や貴族など多様な階級の者が今回の目玉商品のためだけに来ている。
「それだけではない。見ろ。あの男は反階級主義連合の会長だ。」
「下に任せて巣穴に引きこもるものだと思っていたが…あの引き篭もりも出てくるとはな。」
流石に護衛を連れてはいるようだが、立場上狙われやすい身を晒してまでの参戦である。階級社会の是正を掲げる者にとって、‘改革の象徴’たるあの男は喉から手が出るほど欲しいに違いない。
あの男の肩書を野望のために欲する者。
その名に立場を脅かされるのではと恐れる者。
死を望む者も居れば、生を望む者も居る。
彼の生死自体が持つ価値は計り知れない。
想定以上の厄介事に首を突っ込まなければいけない。その事実はオスカーの頭痛のタネとなり、本日のため息の数をまた一つ増やした。
「……我々が彼を手に入れれば、他国から警戒されることとなる。手に入らなくとも介入した、という事実のみが残る。非難も免れまい。」
「だからこそ必ず手に入れる必要がある。どちらに転んだにせよ、鉱石や魔石を輸出し、影響力を強めてきた我が国に手を出してくる間抜けはいまい。それに介入したこと自体に意味がある。」
否応なく、ヨーグゼク王国の周辺国家は理解するだろう。帝国が動き出したと。
やがて取り入ろうと首を垂れる国も出てくる。
「介入時期を見誤れば、大きな溝を作り出す。」
あくまでも対等に。そして平等に。
ヨーグゼク王朝の終焉と同時に目をつけていたのだと示し、あくまでも領土争いの果てに勝ち取ったのであるとした方が不満は少ない。
「それならば王族を保護する方が先では?」
「王族を救い出すのは極めて困難だ。それならば、あの男の価値を利用した方が介入の建前となる。」
それに王族は殆ど処刑されている。
何気ないように呟かれたのに反して、その内容は途方もなく重い。人々の話し声が二人の間の沈黙を満たす。
「……600年の王朝も時期を見誤っただけで塵芥のように消えゆく。歴史の激流とはこれほどまでに容赦のないものなのだな。」
「かろうじて直系の幼い王女と王子は生かされているようだが……最早ヨーグゼクを名乗る日は来まい。」
エルガーは王女の護衛をしていたことがある。その際のエルガーの騎士としてのエピソードは有名であり、エルガーは大層王家を大事にしていた。
彼等はエルガーに対する切り札そのものだ。彼等がいる限り、エルガーがあの国に手出しすることはできない。
彼が本当は王家を裏切っていないのだとしたら、の話だが。
「誰もがあの男が裏切ったとは毛ほども信じてなどいない。」
と隣の男は言う。それは間違いではない。
エルガーを知る者であれば、反乱軍の言い分などお笑い種そのものだ。しかしその言い分を誰もが信じた風に装い、エルガーを裏切り者と辱めているのが現実だ。
舞台の幕が上がり、人々は興奮を表すかのように手を叩き、今宵の競争の案内人を歓迎する。
「実力者が清廉潔白のままとは愚かなことよな。」
オスカーは男から視線を外し、舞台の方へと顔を向けた。オスカーもエルガーと顔を合わせたことはある。彼の気高さと謙虚さは是非とも、横にいる男とあの無茶振りの天才こと皇帝に見習って欲しいほどだった。彼は皇帝とは異なった誠実故のカリスマ性を持ち合わせている。しかし、だからこそ彼は嵌められたとも言える。
政治に誠実さは必要だ。だが誠実だけではやっていけない。誠実なだけの者から食い散らかされていくのも、また政治なのである。
争いがどれほど苛烈なものとなるのかはわからない。
ただ、彼の行き先が、この先の諸国の均衡を変える。それだけは確かな事実であった。
ふと、オスカーは皇帝の言葉を思い出す。
『騎士なんぞにならなければ幸せに暮らせただろうに。』
あの時は何を言い始めたのか、ついにボケが始まったのかと思ったが、今ならわかる。
血筋による責務を背負う必要もないというのに、エルガーはヨーグゼクだけではない国家の歴史まで背負う結果となった。ただの平民の一人の肩に、その全てが。
ああ、なるほど確かに。
哀れだ。
拍手と共に迎えられた案内人は戯けた台詞で観衆を笑いに誘いながら、今宵の商品を紹介し始める。
それに手を挙げる者も居るが、オスカー達のように静観する者も多い。彼等の狙いも同様、エルガーなのだろう。
先ほどの煌びやかさとは打って変わって薄暗くなった会場をオスカーは軽く見渡す。隣の男や皇帝には劣るが、オスカーとて人よりかは優れた観察眼を持ち合わせている。
どの者も服装自体では判別がつかないようにしてあるが、癖などは抜けきっていない。
指輪を触る癖が抜けきらずに指を撫で回しながら値段の上下に一々眉を顰める田舎貴族に、重心の傾きすら隠せない間抜けな軍人。何もオスカー達の相手ではない。
一番気にするべきは右手の後方にいるのが、大穴のあの引き篭もり。引き篭もりという呼称で臆病者だと侮ってはいけない。あの男が階級制度を打破しようと目論む組織の創設者である以上、大胆さは隣の男とは引けを取らないだろう。
それだけでなく、多くの貴族が集まってきている。商人の方が少ないくらいだ。
問題ない、と思った。
このまま行けば、額次第では予算内で収まるだろう。あの会長との競り合いだけを考えればいい。
隣の男を盗み見る。通常通りに不機嫌そうな顔つきでただ目の前の茶番を眺めている。この男は予算を超えそうになったら、どうするのだろうか。
この男が人を買うという話を聞いて、揃いも揃ってボケたかと慄いたが、まさか正気だったとは。
オスカーだってエルガーの利益を理解できない馬鹿ではない。カイゼルのいう「計画が早まる」ことも理解できる。
だがそこまでするほどのことなのか?という疑問がオスカーの頭から離れないのである。元々の計画だって揺るぎないものだ。寧ろエルガー一人に背負わせる計画の方がリスクが生じる。カイゼルという男がリスクよりも利益を重視する男なのは知っているが、ここまで執着したことが未だかつてあっただろうか?
カイゼルという男の私情なのかはたまたいつも通りのリスク度外視の行動なのか。
もし、私益のためにリスクを取ったのだとしたら宰相の立場として見逃すことはできない。
皇帝に悪態をつくこともあるオスカーとて、皇帝に対して絶対的な忠誠を誓っている宰相の身である。だからこそ、皇帝に不利益を齎すのであればどんな者であれども容赦はしない。
それが例え国随一の智将として知られている隣の男であったとしてもである。
どれほど時間が経ったのだろうか。司会者が意気揚々と興奮した面持ちで声を高く張り上げた。
「お待たせいたしました!今宵の皆様方はとても優れた耳をお持ちのご様子!何せ此度の品は我がオークション史上最も価値のあるものでございます。
御参加の皆様方は既に知っているやもしれませんが、ご紹介させていただきましょう。
革命の火種にして、王朝の終焉を告げた白い獅子!
ヨーグゼク王国元近衛騎士長、
『改革の象徴』、『静謐の獅子』……そして新たに『裏切り者の白騎士』と謳われし男ーーエルガー!!!」
司会者の捲し立てるような煽りに人々は燃え上がり、期待を孕んだ視線を舞台に集中させた。
一人の男が現れた。
灰色の髪に隠れるように顔は伏せられていた。白銀の鎧が最も似合うと賞賛されていた男が、その鎧を脱ぎ、哀れなほどに質素な服と大層な鎖をつけて佇んでいた。
先ほどまでの熱量が嘘だったかのようにその静けさと共に消え、人々は目の前の青年の姿を固唾を飲んで見つめている。
ふいに青年が顔を上げた瞬間、音が消えた。
目が合った気がした。身分を地に堕とされ、辱められたとしても尚、灰色の瞳は一切濁ることなく、輝いていた。気高く張り詰めた光に思わず息を呑みそうになる。だが、直ぐにそうではないのだと思い知る。
ただ只管に此方側を見つめている。
まるで見極めるのは此方ではなく、彼方側なのではなかろうかと勘違いしてしまいそうになる。誰も彼もが彼の視線に囚われたかのように身動きどころか息をするのも忘れて彼を見つめている。
彼は何かを喋ることもなく、かと言って絶望した様子もない。ただ静かに見つめているだけだというのに。
美しい。と誰かの声がする。もしかしたら自分の心の声だったかもしれない。
灰を被っても尚、あの男は美しいのだとただ只管に圧倒されていた。
その姿はまるでーー
「美しき獣、静謐の獅子でございます。」
司会者の口上が自身の脳裏によぎった言葉そのもので。
「しかし、彼から溢れる気品も揺るがぬ信念も今は宙ぶらりん。それらを向ける主人もおりませぬ。決して膝を折らぬ、この気高き獣の生死を決める権利が皆様方の懐にかかっている…さあ、彼の結末を決めるのは今宵のどなたとなるのか?!」
司会者の声高に開始を告げる言葉に人々は正気をとり戻し、手をあげ始める傍らでオスカーは口に手を当てて呆然としていた。
エルガーという男は素朴な顔立ちだと記憶していた。顔の良し悪しで言えば良い方だが、隣で踏ん反り返ってる男や常日頃無茶を言う男に比べれば顔のやかましさはない。どちらかと言えば、若い女性に黄色い声を挙げられるより、貴婦人に可愛がられるような顔つきである。
オスカーにとって男の顔というのはどうでもいい。顔が良かろうが悪かろうが、仕事ができればそれで良い。
その筈だった。
誰もが彼の姿を見て、彼を表する比喩を喉奥に抱えて沈黙しているのだ。その奇妙な状況も、それに納得してしまうオスカー自身も気味が悪い。
いかなる恥辱に挫けない芯の通ったあの男の在り方は鎖や質素な服といった辱めの中でより鮮明に輝く。その輝きが人々の目を惹きつけて離さないのである。
オスカーは溜息を噛み殺し、舞台から視線を外す。己までその何かの虜になってしまっては本末転倒である。
隣の男はただ顔を顰めて、舞台を眺めている。
「……愚かな。」
それが誰に向けた言葉なのか。
美しさに呑まれた観衆か。
エルガーを売り飛ばした貴族達か。
はたまた、舞台の上で尚人を惹きつけるエルガーか。
誰一人知ることはできない。
たった一言、そう告げると彼は手を挙げる。
「八十億だ。」
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優しい獅子の殺し方 ともしび洋燈 @Jaming_801
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