第4話:忍び寄る影の兆し



 帰路は静かだった。オークシェイドの森に伸びる木々の影が柔らかな日陰を作り、太陽が高く昇っても旅はそれほど疲れを伴わない。


 道中、カズマとイズミは何度か足を止めた。休憩のためでもあり、稽古のためでもあった。イズミは黙々と剣を振り、技を確かめるように何度も踏み込みを繰り返す。その様子を、カズマは少し離れた場所から静かに見守っていた。


 「……考えすぎだな」


 数合を見届けた後、カズマが短く言う。


 イズミは息を吐き、剣を下ろした。

 「正確に振りたいだけだ」


 カズマは首を振る。

 「戦いは技だけじゃない。思考に縛られた瞬間、相手はもう動いている」


 イズミはしばらく黙り込み、それから小さく頷いた。反論はなかった。


 やがて二人は王都へと戻り、そのままギルドへ向かった。中は相変わらず騒がしく、依頼板を眺める者、食事をとる者、それぞれが思い思いに過ごしている。


 受付にはチサトがいた。カズマの姿を認めると、すぐに歩み寄る。

 「昨日、また渦が出たわ」


 カズマが眉を上げる。

 「場所は?」


 「三か所。同時じゃないけど、全部人の多い場所。出現して、数秒で消えた」


 イズミは二人の表情を見比べ、違和感を覚えた。

 「……渦?」


 カズマは小さく息を吐く。

 「まだ知らなかったか」


 チサトが腕を組み、簡潔に説明する。

 「黒い渦よ。ポータルみたいだけど、入れない。近づこうとすると消えるの」


 「何度も?」

 イズミが尋ねる。


 「そう。しかも規則性がない」

 カズマが続ける。


 被害は出ていないが、住民の不安は大きい。それだけで、この現象が軽視できないことは明らかだった。


 「今は休め」

 カズマがイズミの肩を軽く叩く。

 「考えるのは後だ」


 チサトも頷いた。

 「警戒は必要だけど、今すぐ答えは出ない」


 報告を終えた後、二人はギルドで短く休息を取った。エルダーグローヴからの帰還は想像以上に体力を削っていた。


 「静かだな」

 イズミが呟く。


 「皆、任務中だ」

 カズマは簡単に答えた。


 しばらくして、イズミが立ち上がる。

 「訓練に行く」


 「俺も行こう」


 二人は連れ立って王都の外、草原へ向かった。


 歩きながら、イズミは再び渦の話を思い出す。

 「……あれは、どれくらいの頻度で?」


 「不定期だ」

 カズマは即答した。

 「数か月何も起きないこともあるし、短期間に続くこともある」


 「いつから?」


 「数年前だ。最初は年に一度程度だったが、今は増えている」


 イズミは黙り込んだ。原因不明。対処不能。だが、確実に“何か”が動いている。


 「正体の見当は?」

 問いは低かった。


 「憶測だけだ」

 カズマは首を振る。

 「古代魔法、異界への門、あるいは幻――どれも証拠はない」


 風が草原を撫で、静かな音を立てる。


 イズミは空を見上げ、目を細めた。

 ネヴァーランドには、まだ知らないものが多すぎる。


---


 渦の話がひと段落すると、イズミとカズマは王都南門の外に広がる草原へと辿り着いた。ここはここ数週間、イズミが繰り返し足を運んでいる訓練場だった。果てしなく広がる緑と、穏やかに吹き抜ける風。空気は落ち着いているが、行われる鍛錬は決して軽くはない。


 カズマは腕を組み、イズミを値踏みするように見つめる。

 「いつも通りだ。変化斬、百本」


 イズミは迷いなく頷いた。無言のまま腰の剣を抜き、構える。


 斜め、横、突き。

 イズミの剣は一定のリズムで空を裂いていく。剣が振るわれるたび、風が巻き起こり、草原が波打つ。二週間以上続けてきた反復の成果は明らかだった。無駄は削ぎ落とされ、重心も崩れない。


 五十本を超えても、呼吸は乱れない。


 「……効率が上がってきたな」


 カズマの小さな独白にも、イズミは反応しない。

 六十、七十、八十。

 九十。

 そして――百。


 最後の一太刀をきれいに収め、イズミは剣を下ろした。腕に残る疲労はあるが、かつてのような重さではない。


 カズマは満足そうに頷く。

 「よし。基本の攻撃は十分だ」


 イズミが眉を上げる。

 「次に進むのか?」


 「そうだ」

 カズマは表情を引き締めた。

 「次は反射だ」


 「反射……?」


 カズマは自分の剣を抜きながら近づく。

 「どれだけ剣を振れても、反応が遅ければ意味がない。本番で相手は待ってくれない」


 イズミは理解していた。攻撃だけでは、生き残れない。


 「まずは簡単なところからだ」

 カズマは剣を軽く振る。

 「考えるな。避けるか、流すか。理屈じゃなく、感覚で動け」


 イズミは剣を握り直し、防御の構えを取った。

 「……わかった」


 カズマは微かに笑う。

 「いい。構えろ」


 訓練は即座に始まった。


 間合いを詰め、肩口からの一閃。

 イズミは反射的に一歩引き、刃をやり過ごす。


 「いい」


 続く上段。

 イズミは即座に剣を掲げ、受け止める。金属音が響き、腕に震えが走った。


 「受けすぎるな」

 カズマが剣を引く。

 「避けられるなら、その方がいい。体力を温存しろ」


 イズミは短く頷く。


 その後も攻撃は続いた。左右の斬撃、直線的な突き、わずかなフェイント。

 イズミは必死に反応し、身を捻り、距離を取る。だが完全ではない。時折、カズマの刃が衣服を掠める。


 ――まだ、遅い。


 だが、それでも。

 イズミの動きは確実に変わり始めていた。

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