第3話:銀髪の少女

  【エヴァードーン南部】


  星の森は、二人の前に静かに広がっていた。青みを帯びた葉を持つ高木が天へと伸び、森全体に淡い魔力の気配を漂わせている。枝先には星形の果実がいくつも実り、木陰の中で微かな光を反射していた。風は穏やかで、澄んだ森の香りを運んでくる。


  長い移動の末、イズミとカズマは森へと続く自然の境界に辿り着く。足取りが緩んだ、その瞬間――カズマが急に立ち止まった。


  空気が、変わった。


  「……?」


  後ろにいたイズミも足を止める。

  「どうした?」


  カズマは答えない。その代わり――


  「ぶーっ!」


  不意に背後から、陽気な声とともに軽い衝撃が走った。イズミの肩を叩いた手の感触に、反射的に振り返る。


  そこに立っていたのは、一人の少女だった。


  濃い緑の軽装に革靴。長い金髪を片側で束ね、腰に手を当てて堂々と立っている。明るい瞳は楽しげに輝き、笑顔には一切の遠慮がない。


  「久しぶりだね、カズマ! それとイズミも!」


  イズミは眉をわずかに上げた。

  ――知っている、らしい。だが、記憶はない。


  反応するより早く、少女は身を乗り出し、からかうように微笑んだ。

  「あれ? あんまり嬉しそうじゃないね? それとも――」


  意味ありげな視線を後方へ向け、軽やかに一歩ずれる。


  その先に、もう一人の少女がいた。


  白銀の長い髪。俯いたままの顔。風に揺れる髪と対照的に、身体は固く強張っている。指先は服の裾を強く握り、今にも後ずさりしそうな雰囲気だった。


  「偶然だよね?」

  金髪の少女――ユカリが笑う。

  「私とナツメ、そっちはカズマとイズミ。……運命、ってやつ?」


  「ナツメ……」


  名を聞いても、何も思い出せない。イズミは小さく息を吐き、ユカリの挑発には応じなかった。


  その様子を見て、ようやくカズマが口を開く。

  「ユカリ……本当に、久しぶりだな」


  「でしょ?」

  ユカリは腰に手を置いたまま、笑みを深める。

  「まさかここで会うとは思わなかったよ。元気にしてた?」


  「ああ……まあな。いろいろ変わったが」


  「ふーん。私も話したいこと、山ほどあるよ」

  そして、わざとらしく首を傾げる。

  「で? ここで何してるの?」


  カズマは一瞬イズミを見てから答えた。

  「任務だ。星の森に出没するフェイビーストの捕獲。祭りのためにな」


  その瞬間、ユカリは勢いよく手を叩いた。

  「最高じゃん! 私、今日は暇なんだ。混ぜてよ!」


  カズマがため息をつくより早く、ユカリは続ける。

  「それに――ナツメはイズミと一緒ね。イズミなら、ちゃんと守ってくれるでしょ?」


  イズミは特に反論せず、静かに頷いた。

  拒否できない状況には、慣れている。


  カズマは俯いたままのナツメに視線を向ける。そこには、兄としての抑えきれない不安が滲んでいた。ナツメは終始無言で、指先だけが小さく震えている。


  ほどなくして、カズマは罠の準備に入った。以前捕らえた小型のフェイビーストを囮として、開けた場所に置く。手をかざすと、淡い光の魔法陣が地面に浮かび上がり、静かに魔力が拡散していく。


  「……よし、準備完了だ」


  カズマとユカリは罠から距離を取り、並んで森の陰へと下がった。二人の会話は軽いが、長い時間を共有してきた者同士の気配があった。


  一方で、イズミとナツメは反対側へ移動し、太い樹の根元に身を潜める。ナツメは相変わらず俯いたまま。イズミは何も言わず、前方に意識を集中させた。


  ――使えるか。

  ――それとも、守るべき対象か。


  考える間もなく、音がした。


  ……クレッ。


  茂みが揺れ、巨大な影が姿を現す。


  四足のフェイビースト。銀色の体毛に覆われた巨体は成獣の熊ほどもあり、頭からは後方へ反った二本の角。重い呼吸とともに、地面がわずかに震えた。


  来た。


  獲物――ではない。

  脅威だ。


  ビーストの視線は囮へ向き、低く身を伏せる。次の瞬間。


  「今!」


  ユカリの声と同時に、魔力を帯びた矢が放たれた。


  ――だが。


  ビーストは一瞬で首を振り、矢を回避する。怒りに染まった瞳が、別の方向を捉えた。


  「――ッ!」


  咆哮。


  巨体が爆発的に加速し、一直線に突進してくる。

  狙いは――イズミたちだ。


  「チッ……!」


  イズミは即座に動いた。

  ナツメの腕を引き、背後へ押し出す。


  次の瞬間――


  ドンッ!!


  衝撃。

  銀の巨体がイズミを正面から弾き飛ばす。地面に叩きつけられ、土と枝が舞い上がる。


  だが、イズミは止まらない。転がり、即座に立ち上がる。


  ビーストは方向を変え、逃走を図った。


  「逃がすか!」


  カズマの声。


  地面に魔法陣が展開し、氷の束が噴き上がってビーストの脚を拘束する。

  「グルルルル……!」


  暴れる間もなく、カズマが距離を詰めた。


  一閃。


  後脚を狙った斬撃で体勢を崩し、続く横薙ぎの一撃。刃は殺さず、確実に力を奪う。


  ドスン。


  巨体が地に伏した。


  フェイビーストは息を荒くしながらも、完全に動きを止める。


  静寂が戻った。

---


  風が再び静かに吹き、頭上の木々から小さな葉が舞い落ちる。


  「はぁ……やっと終わったな」

  カズマは大きく息を吐き、刀を鞘に収めた。


  ユカリも弓を下ろし、苦笑する。

  「ほんと、ちょっと危なかったね」


  イズミは少しよろめきながら立ち上がり、服についた土埃を軽く払った。視線を後ろに向けると、ナツメがまだ動かずに立っている。少し驚いた様子だが、言葉はない。


  ユカリが心配そうに近づき、イズミの肩や脇腹を見る。

  「大丈夫? 結構まともに受けてたけど」


  イズミは肩をわずかに動かし、痛みを確かめる。

  「問題ない」


  「強がらないの」

  ユカリは鼻を鳴らし、ナツメへ視線を向けた。


  ナツメは指を強く組み、しばらく迷った後、小さく顔を上げた。

  「  ……あ、ありがとう……。 」


  イズミは一瞬だけ彼女を見るが、すぐに視線を外す。

  ナツメはまた俯き、頬を赤らめた。


  ユカリは小さく息を吐き、ナツメの肩に手を置く。

  「ナツメ、手当てしてあげて」


  「  ……えっ……? 」

  ナツメの声はかすかに揺れた。


  「助けてもらったでしょ?」

  逃げ場のない口調だった。


  イズミは近くの岩に腰を下ろし、黙って待つ。

  ナツメは震える手で薬草と包帯を取り出し、静かに傷を拭った。

  森は静まり返り、風と呼吸音だけが残る。


  「いやぁ……お似合いだね」

  ユカリが木にもたれ、楽しそうに笑う。

  「ね、カズマ?」


  カズマは軽く笑った。


  ナツメの手が一瞬止まり、顔が一気に赤くなる。


  イズミはため息をつき、ユカリを見る。

  「俺は、彼女を知らない」


  ナツメの指が強張る。

  胸の奥が締めつけられる感覚。


  ユカリの表情が曇った。

  「……え?」


  カズマが静かに言った。

  「イズミは、もう別人だ。この世界の人間じゃない」


  ユカリは凍りつき、ナツメを見る。

  「……ナツメも、同じよ」


  カズマの目が見開かれる。

  「……何だと?」


  重い沈黙。

  カズマはナツメの前に立つ。


  「ナツメ」

  低い声。


  「  ……はい。 」


  「俺は……お前の兄だ」


  ナツメは小さく頷いた。

  「  ……知っています。ユカリさんから聞きました。 」


  カズマは言葉を失った。


  ユカリが腕を組む。

  「二人とも、この世界の記憶はないのね」


  イズミは頷き、ナツメも遅れて頷く。


  「三日前、ナツメはネヴァーランドに現れた」

  ユカリは空を見上げる。

  「あなたと同じ日よ、イズミ」


  イズミは黙った。

  同じ――転移者。


  やがて彼らは森を後にした。

  夕暮れの道。カズマとユカリが前を歩き、後ろをイズミとナツメが続く。


  「……どうやって、ここに?」

  イズミが静かに聞く。


  「  ……分かりません……気づいたら……。 」


  「手がかりは?」


  「  ……ほとんど……。ユカリさんが……助けてくれました。 」


  「俺はカズマに」


  ナツメは小さく頷く。

  「  ……私だけじゃなかったんですね……。 」


  「多分な」


  沈黙は、先ほどより穏やかだった。


  やがてエヴァードーンが見えてくる。

  夕焼けに染まる城壁と街並み。


  「  ……綺麗……。 」


  「ここがエヴァードーン。アルビオン王国の首都だ」

  イズミは淡々と説明する。


  夜。

  街灯が灯り、彼らはギルド前で別れた。


  「今日は解散だ。明日、またここで」

  カズマの言葉に、二人は頷く。


  別れ際、カズマはユカリに言った。

  「ナツメを頼む」


  「分かってる」


  夜風が吹く。


  ――イズミは一人、石畳を歩く。

  灯りの下、思考だけが巡る。


  ナツメ。

  同じ転移者。


  戻れる。

  いつか必ず。


  そう信じていた。


  だが――

  なぜ、その名前が、胸に引っかかる。


  イズミは息を吐き、歩き続ける。


  独りであること。

  それだけは、変わらないと信じながら。

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