第31話

『リリアンヌ、愛している。俺と、結婚してくれ』


氷の騎士団長閣下からの、あまりにもあまりにも真っ直ぐすぎる、二度目のダメ押しのプロポーズ。

その、破壊力は凄まじかった。

わたくしの、かろうじて理性で保っていた思考回路は、そのたった一言で完全に焼き切れてショートしてしまった。


(あ、愛している!? 今、このわたくしの推しがこのただの一ファンに過ぎないわたくしに向かって愛していると、おっしゃいましたの!?)


そんな、神をも恐れぬ冒涜的なことがあっていいはずがない!

推しとファンとの間には、決して越えてはならない清く正しい境界線というものがあるはず!

それなのに、それなのに!


喜びや幸福感よりも先に。

畏れ多さとそして極限レベルの羞恥心がわたくしの全身を支配した。


わたくしは、もう彼のそのあまりにも真摯な青い瞳をまともに見ていられなかった。

気づけば、わたくしは、長年培ってきたとっておきの防御魔法を発動させていた。

そう、『氷の華』の鉄壁の仮面である。


ぱしっ、と。

わたくしは、彼に掴まれていた自分の手をまるで汚いものでも振り払うかのように荒々しく引き抜いた。

そして、ぷいっと効果音でも付きそうな勢いで、そっぽを向きこれ見よがしに腕を組んでみせる。


「……か、勘違いなど、なさらないで、いただきたいですわ」


声が、情けないくらいに震えているのが自分でも分かった。


「わたくしは、べ、別に、貴方様のことが、その、す、好きだとか、そのような、ふしだらで、はしたない感情を抱いているわけでは、断じて、決して、これっぽっちも、ございませんことよ!」


ああ、何を言っているのでしょう、わたくしは。

口から出てくるのは、心の中とは全く正反対のあまりにも可愛げのない、ツンツンとした塩辛い言葉ばかり。


そんなわたくしの、完全な拒絶とも取れる態度に。

アレクシス様の、あの常に冷静沈着を保っていた美しいお顔に初めてはっきりと『動揺』とそして『傷心』の色が浮かんだのをわたくしは、見てしまった。


(……断られた、のか……?)


彼の青い瞳が、まるで行く先を見失った子供のように僅かに揺らぐ。

彼は、生まれて初めてしたであろう命懸けの告白をこのわたくしに木っ端微塵に砕かれてしまったのだ。


戦場では、死の淵を何度も潜り抜けてきたはずのこの百戦錬磨の騎士が。

今、この瞬間生まれて初めてその強靭な心臓が握り潰されるかのような痛みを感じていた。


「……そうか」


やがて、彼が絞り出すように言った。


「すまなかった。どうやら俺の完全な早とちりだったようだ。今の言葉は忘れてくれ」


彼は、深く傷つきながらもそれをおくびにも出さまいと静かに、そしてゆっくりとわたくしに背を向けようとした。


(違う!)


その寂しそうな背中を見て、わたくしの心臓はパニックを起こした。


(違う!違うのですわ、閣下!そうじゃない! わたくしは、貴方のことが好きで、好きで、どうしようもないくらい大好きなのです!)


そう、叫びたいのに。

長年、染み付いてきた、この意地っ張りで素直じゃない『悪役令嬢』としての性格がどうしても邪魔をする。


でも。

このまま彼を行かせてしまったら。

きっと、もう二度とこんな奇跡のような瞬間は訪れない。

それだけは、絶対に絶対に嫌だ。


彼が完全にその背を向け去っていこうとしたまさにその瞬間。

わたくしは、最後の、最後の、ありったけの勇気を振り絞った。


そして、その小さな震える手で。

彼の、黒い騎士服の、その裾をきゅっと弱々しく掴んでいた。


「……!」


アレクシス様は、驚いてゆっくりとこちらを振り返る。

わたくしは、もう顔が燃えて灰になってしまいそうなくらい真っ赤になっているのが自分でも分かった。

それでも、まだそっぽを向いたままか細い蚊の鳴くような、しかし、彼にだけは聞こえる声で言ったのだ。


「…………で、ですが」


「……」


「……閣下が、そこまでどうしてもわたくしと結婚してくださると、そう強くおっしゃるのでしたら……」


わたくしは、ちらりと。

潤んで滲んだ瞳で、彼をほんの少しだけ上目遣いに見上げた。


「……べ、別に、その、考えて、差し上げなくも、ありませんことよ……!」


その、あまりにも回りくどく、そして、あまりにも素直じゃない、しかし、紛れもない肯定の返事。


アレクシス様は、最初その言葉の本当の意味が理解できず、きょとんとした顔で固まっていた。

しかし、やがてその言葉に込められたわたくしの精一杯の想いを理解した瞬間。


彼の、あの何があっても崩れることのなかった氷の仮面が。

ぱりんと音を立てて、完全に溶けて崩れ落ちた。


そして、彼はわたくしが今までただの一度も見たことのないような。

心からの、まるで悪戯が成功した悪戯っ子の少年のようなくしゃっとした最高の笑顔を見せたのだ。


「……それは、肯定の返事と受け取っていいのだな?」


「!……し、知りませんわっ!」


その、あまりにも破壊力が高すぎる反則的な笑顔にわたくしの羞恥心は、ついに、限界を突破した。


わたくしは、悲鳴に近い叫び声を上げると、今度こそ本当にその場から逃げ出してしまった。


庭園に、一人残されたアレクシス様は、わたくしが走り去っていった、その方向を、どこまでもどこまでも、愛おしそうに見つめながら静かにそして、幸せそうに笑っていた。


不器用な二人の恋は。

塩辛くて、そして、甘い返事と共にようやくその形を結んだのだ。

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