第30話

玉座の間での輝かしい謁見は、国王陛下が満足げに、そして、どこか楽しそうににこやかに頷かれるという形で幕を閉じた。

わたくしは、アレクシス様がわたくしのために紡いでくれた『至宝』というあまりにも身に余る言葉の響きに、まだ、心を奪われたままだった。

まるで、夢の中にいるかのように足元がふわふわと覚束ない。


「リリアンヌ」


広間の外で父である、ヴェルナー公爵が待っていてくれた。

その顔には、父親としての深い安堵と誇らしげな笑みが浮かんでいた。


「今日のお前は、実に見事だったぞ。我が娘ながら誇らしい」


「お父様……」


「そして、シュライバー卿」


父は、わたくしの隣に立つアレクシス様へと向き直る。

そして、このレオンハルト王国でも屈指の大貴族である我が父が、彼に対して深々とその頭を下げたのだ。


「娘を守り、そして信じ抜いてくれたこと、父親として心から礼を言う。本当にありがとう」


「もったいなきお言葉にございます、公爵閣下。私はただ、騎士として当然の務めを果たしたまでにございます」


恐縮するアレクシス様に、父はにやりと悪戯っぽく笑ってみせた。


「まあ、堅い話は抜きにしよう。今宵は祝杯だ。……だが、その前に」


父は、わたくしとアレクシス様の顔を意味ありげに交互に見比べると言った。


「あとは、若い者たちでゆっくりと話すがいい。積もる話もあろう?」


そう言い残すと、父は実に粋な計らいでその場をすっと去っていってしまった。



突然、広大な王城の廊下に二人きりで取り残される。

先ほどまでの、喧騒が嘘のように辺りは静まり返っていた。

そして、その静寂がひどくひどく気まずい。


「……」


「……」


どちらも、何も言い出せないままただ時間だけが過ぎていく。

その重苦しい沈黙を、破ってくれたのは彼の方だった。


「……少し、夜風にでも、あたらんか」


「え、ええ。そうですわね」


わたくしたちは、まるで示し合わせたかのように月明かりが美しく、差し込む王城の中庭へと向かった。

夜の冷たい、しかし、澄んだ空気が謁見の緊張で火照っていた頬に心地よい。


庭園に咲く、夜来香の甘い香りが風に乗ってふわりと鼻をくすぐる。

わたくしたちは、言葉もなくただ並んでゆっくりと石畳の小道を歩いた。


やがて、わたくしは意を決してずっと胸の中でつかえていた疑問を口にした。


「あの、閣下」


「なんだ」


「先ほどの、玉座での……その、『至宝』というのは……」


言葉が、うまく、出てこない。


「その、少し、買いかぶりすぎでは、ございませんこと? わたくしなど、そのような、大層な、ものでは……」


すると、彼はぴたりと足を止めた。

そして、わたくしの方へと真っ直ぐに向き直る。

その、青い瞳が月明かりを反射してどこまでも、真摯にわたくしを見つめていた。


「買いかぶりなどでは、断じてない。あれは、俺の、偽らざる、本心だ」


その、あまりにも真剣な眼差しにわたくしは息を飲んだ。


「俺は、この任務を拝命するまで、正直に言えば、貴様のことを完全に見誤っていた。ただ、傲慢で冷たくそして嫉妬深いだけの令嬢だと。……だが全く違っていた」


彼は、まるでこれまでの日々を慈しむように、一つ一つ言葉を紡いでいく。


「貴様は、誰よりも領民のことを第一に思い、その類稀なる知識とたゆまぬ努力であの痩せ細った不毛の地を蘇らせた。国の存亡の危機には、そのか弱い身の危険も一切顧みず、その驚くべき慧眼で俺たち騎士団を奇跡的な勝利へと導いてくれた」


彼のその言葉の一つ一つが、まるで温かい雫のようにわたくしの心の乾いた大地へと染み込んでいく。


「そして……どんな絶望的な状況にあっても、その気高い誇りを決して失わず、時には子供のように無邪気に笑い時には、必死にその涙をこらえていた」


彼は、静かに続けた。


「俺は、そんな貴様の全ての姿を、誰よりも近くでずっとずっと見てきたのだ」


そして、アレクシス様は一呼吸置くと、これまでわたくしが一度も見たことのないほど、真剣で、そして、少しだけ緊張した面持ちでわたくしの名を呼んだ。


「リリアンヌ嬢」


「は、はい……」


「俺は、もうこれ以上貴様の監視役ではいたくない」


「え……?」


「貴様の、後ろからただその小さな背中を、見守っているだけの存在では、もう満足することができないのだ」


彼は、その騎士らしく硬く節くれだった不器用な手つきでそっとわたくしの手を取った。

その手は、驚くほど熱くそしてとてもとても温かかった。


「俺は、貴様の監視役ではなく……リリアンヌのすぐ隣に並んで立つ者となりたい」


月明かりの下。

彼の、どこまでも青く澄んだ瞳がまっすぐにわたくしだけを射抜く。


「―――俺の、妻になってほしい」


………………え?


わたくしの、思考はそこで完全に停止した。

今、この方は何と仰いましたの……?

妻?

つまり、それは、結婚……?

いわゆる、プロポーズという、あれ……?

この、わたくしが、このわたくしの最推しであるアレクシス・フォン・シュライバー閣下の……?


喜びよりも先に驚きと混乱と、そして、畏れ多さの巨大な津波がわたくしの頭の中を完全に支配した。


「……あ、あの、閣下」


かろうじて、か細い蚊の鳴くような声を絞り出す。


「それは……その……つまり、どういう意味でしょうか……?」


自分でも、何を言っているのか全く分からない。

そんな、完全にパニック状態のわたくしを見て彼は、ほんの少しだけ困ったように眉を寄せた。

そして、もう一度、今度は決して逃がさないと言わんばかりにその手に力を込めて強くはっきりと告げた。


「言葉通りの意味だ。リリアンヌ愛している。俺と結婚してくれ」

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