第28話
王都で、断罪の鐘が鳴り響いた後。
辺境の地には、まるで、嵐が過ぎ去った後のような不思議な静けさが訪れていた。
わたくしは、鷲ノ巣砦の修復作業の指揮を執りあるいは、この度の戦で傷ついた敵味方の区別なく全ての兵士たちの手当てに奔走する穏やかなしかし多忙な日々を送っていた。
アレクシス様は、そんなわたくしの姿を常にすぐそばで静かに見守ってくれていた。
戦という極限状態を、共に乗り越えたわたくしたちの間には、もはやあのぎこちない空気は存在しなかった。
ただ、穏やかで温かい確かな信頼と理解だけがそこにはあった。
そんな、ある日の午後。
一人の男が、わたくしの元を訪れた。
もはや、その肩書も権威も全てを失いただの一人の青ざめた青年に成り果てたユリウス様だった。
彼は、わたくしに二人きりで話がしたいとそう申し出た。
◇
場所は、別邸の今は秋の寂寥とした空気に包まれた庭園。
わたくしは、彼の申し出を受け入れた。
もちろん、その少し離れた場所にはわたくしの忠実すぎる護衛騎士殿が、静かに控えてくれていたが。
ユリウス様は、わたくしの前に立つとしばらく何か言葉を探すように俯いていた。
そして、やがて意を決したように顔を上げると、その場で深く、深く、頭を下げたのだ。
「リリアンヌ……いや、リリアンヌ嬢」
その声は、もはやかつての傲慢な王太子の声ではなかった。
ただ、全てを失った一人の男の、か細く震える声だった。
「これまで、私が君にしてきたその全ての非礼な行いを……どうか謝罪させてほしい。本当に、本当にすまなかった……!」
彼は、謝罪した。
公衆の面前で、わたくしとの婚約を一方的に破棄したあの日のことを。
アイラ嬢の甘い嘘の言葉だけを信じ込み、わたくしの忠告に耳を貸そうともしなかった、その愚かさを。
そして、その愚かさ故にわたくしだけでなく、この国そのものを破滅の淵へと追いやろうとしてしまったその取り返しのつかない大罪を。
それは、自分の保身のためでも同情を誘うためでもない。
全てを失い、自分の犯した罪の大きさと重さにようやく気づいた男の、生まれて初めての心からの謝罪だった。
わたくしは、その哀れな姿をただ、静かに見つめていた。
心の中に、勝利の高揚感も溜飲が下がるような満足感も一切なかった。
ただ、ほんの少しの物悲しさと寂しさだけがそこにはあった。
「……お顔をお上げください、ユリウス様」
わたくしは、静かに言った。
「過ぎてしまったことを、今更わたくしがどうこう言うつもりはございませんわ。貴方が、ご自身の過ちを真に理解されたのであればそれでもう十分です」
それは、彼を許すという言葉ではなかった。
ただ、わたくしの中で、彼という存在がもはや過去の一ページに過ぎないという最後の区切りをつけるための言葉だった。
しかし、彼はそのわたくしの静かな優しさを、勘違いしてしまったのだろう。
その目に、ほんの少しだけ希望の光を宿してしまった。
「リリアンヌ……!」
彼は一歩、わたくしににじり寄った。
「君のその聡明さ、そして、その強さ……!私はようやく今になって、君という人間の本当の価値に気づくことができたのだ!だから、どうかもう一度……!もう一度だけ、私にやり直す機会をくれないだろうか!」
彼は、懇願した。
「君が、必要なんだ!私にはそしてこの国には、君の力がどうしても必要なんだ……!」
それは、愛の告白ではなかった。
ただ、己の愚かさ故に失った、あまりにも有能な駒をもう一度手元に取り戻そうとする最後のあがき。
わたくしが、そのあまりにも身勝手な言葉に何か言い返そうとするよりも早く。
背後で、静かに控えていたアレクシス様がすっ、と、一歩だけ前に出た。
ただ、それだけの動き。
しかし、その無言の一歩が何よりも雄弁に、ユリウス様の最後の希望を打ち砕いた。
わたくしは、そんなアレクシス様の広い背中を感じながらユリウス様に最後の言葉を告げた。
その瞳に浮かべるのは、怒りでも侮蔑でもなくただ、どこまでも穏やかで、そして、絶対的な最終通告。
「―――結構ですわ、ユリウス様」
その声は、秋の澄み切った空のように、どこまでもクリアに響き渡った。
「貴方があの夜会で手放したのは、ただの一人の婚約者ではございません。貴方を、そしてこの国を心の底から思う、一人の人間のかけがえのない信頼とそして時間です。それらは、もう二度と貴方の元へ戻ることはありませんわ」
そして、わたくしは続けた。
その、視線をほんの少しだけ隣に立つ、愛しい人の方へと向けながら。
「それに、何よりもわたくし」
にっこりと、わたくしは微笑んだ。
「今の、この辺境での、生活が心の底からとてもとても気に入っておりますので」
その言葉は、確かにユリウス様に向けられたもの。
しかし、その言葉に込められた全ての温かい想いはただ一人。
わたくしの隣に立つ、その不器用で愛おしい騎士に捧げられたものだった。
ユリウス様は、ようやく全てを悟ったのだろう。
彼は、もはや何も言うことなく力なく踵を返した。
その、背中はこの国の全てを背負うはずだった王太子のものではなく、ただ、全てを失った一人の孤独な男の背中だった。
彼が、完全に去った後。
庭園には、わたくしとアレクシス様、ただ二人だけが残された。
わたくしたちの間にあった最後の障害が、今静かに消え去った。
アレクシス様が、こちらを向く。
その青い瞳に宿る、熱い熱い想いに、わたくしはただ静かに微笑み返した。
わたくしたちの本当の物語は、ここから始まるのだ。
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