第11話
聖女様ごっこに大失敗したアイラ嬢は、よほど悔しかったのだろう。
その日から、わたくしへの、実にちまちまとした、幼稚な嫌がらせが始まった。
わたくしが食堂へ向かうと、席に置かれたスープ皿に、山のような塩が投入されている。
廊下ですれ違いざまに、わざとらしく「きゃっ」と叫んでぶつかってくる。
庭園を散策していれば、「うっかり」足を滑らせて、ドレスに泥水をはねさせてくる。
そのどれもが、あまりにも小物臭くて、子供のいたずらのようだった。
わたくしは、そんな彼女のささやかな抵抗を、全く意に介さなかった。
「まあ、今日のスープはいつもより塩味が効いていて、汗をかいた後にはちょうど良いですわね」
「アイラ様、ご足元にお気をつけて。石畳は滑りやすいですもの」
「この程度の染み、洗濯すればすぐに落ちますわ。お気になさらないで」
柳に風。糠に釘。
領地の改革計画で多忙を極めるわたくしにとって、彼女の嫌がらせにいちいち反応して差し上げる時間すら、惜しかったのだ。
わたくしのあまりの無反応ぶりに、アイラ嬢はさらに悔しさを募らせ、キーキーと金切り声を上げているようだったが、知ったことではない。
◇
アイラ嬢の機嫌を取るためか、あるいは彼自身のプライドが傷つけられたせいか、ユリウス殿下の横暴は日に日にエスカレートしていった。
彼はまだ、「鉱山の利権」という甘い夢を諦めてはいなかったのだ。
ある日の昼下がり、わたくしが村長たちと水路の補修計画について話し合っていると、ユリウス殿下が護衛を引き連れて、ずかずかとその場に割り込んできた。
「リリアンヌ! いつまでそんな無駄話をしている! 君の領民を数十名、私が借り受けるぞ!」
「……殿下。それは、一体何のためでございますか?」
「決まっているだろう! この辺りに眠っているという、鉱脈を探させるのだ! これは、王家のための、ひいては、この国のためになる重要な任務だ!」
実に、自己中心的で、傲慢な言い草だった。
わたくしは、内心の怒りを完璧な笑みで隠しながら、きっぱりと断った。
「お断りいたしますわ、殿下」
「な、なんだと!?」
「申し上げたはずです。今は、農作業にとって一年で最も大事な時期。これから始まる種蒔きの準備をしなければ、今年の収穫は望めません。この者たちの労働力を奪うことは、彼らの、そしてこの領地の冬の生活を脅かすことになります」
わたくしの言葉に、周りにいた村長たちも、固い表情で頷いている。
「ですから、そのご命令は、到底お受けできませんわ」
「この……! たかが追放された身の女が、この私に、王太子である私に指図する気か!」
激昂したユリウス殿下は、ついに実力行使に出ようとした。
彼は、隣にいた自分の護衛騎士に、顎でくいと指示をする。
「ええい、問答無用だ! そこの者たちを、無理やりにでも連れて行け!」
「はっ!」
護衛騎士が、有無を言わさず村長の腕を掴もうとした、その瞬間だった。
「―――お待ちください、殿下」
氷のように冷たく、しかし、決して無視することのできない、静かな声が響いた。
いつの間にか、アレクシス様が、ユリウス殿下の前に、静かに立ちはだかっていた。
「……シュライバー! どけ! 王太子の命令に、逆らうというのか!」
ユリウス殿下は、顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
しかし、アレクシス様は、その美しい眉一つ動かさなかった。
「私の任務は、ただ一つ。リリアンヌ・フォン・ヴェルナー嬢の監視。そして、この辺境地域一帯の治安を維持することにございます」
淡々と、事実だけを述べる。
「殿下が今、なさろうとしていることは、領民たちの王家に対する不満を不必要に煽り、ひいては、この地の治安を著しく悪化させる要因となりかねません。それは、私の任務の重大な妨げとなります」
「なっ……!」
「また、リリアンヌ嬢が、このような面倒事に巻き込まれ、心労で倒れでもすれば、監視対象の健康管理を怠ったとして、全て私の監督不行き届きとなります」
彼は続けた。
「私の仕事が、これ以上増えるのは、ごめんですので」
あくまで、「自分の任務のため」。
彼は、その体裁を一切崩さない。
しかし、その言葉が、明確にわたくしと、この地の領民を守るためのものであることは、誰の目にも明らかだった。
正論と、王国騎士団長という肩書が放つ圧倒的な威圧感の前に、ユリウス殿下はぐうの音も出ない。
ここでアレクシス様に逆らうことが、何を意味するか。愚かな彼でも、それくらいは理解できたのだろう。
「くっ……! お、覚えていろ……!」
子供のような捨て台詞を吐くと、ユリウス殿下はアイラ嬢の手を引き、逃げるようにその場を去っていった。
◇
嵐のような厄介者たちが去った後、わたくしは、隣に立つ男に向き直った。
「……閣下」
「なんだ」
「余計なことを、してくださいましたわね」
素直に「ありがとう」と言えないのは、わたくしの悪い癖だ。
それは、彼に対する、精一杯の照れ隠しだった。
そんなわたくしの心中など、全てお見通しだというように彼は静かな声で言った。
「言ったはずだ。俺の仕事が、これ以上増えるのはごめんだと」
ぶっきらぼうないつもの口調。
それなのに、なぜだろう。
その横顔を照らす西日が、彼の青い瞳にほんの少しだけ優しい光を灯しているように見えたのは。
その不器用な優しさに、わたくしの心臓がドキリと大きく音を立てた。
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