昏睡青年〜空白の半年、変わってしまった日常〜
替玉 針硬
第1話
俺、東 一太郎は眠っていた。
長い、長い夢を――見ていたような感覚だけが残っていた。
目を覚ました俺の視界に入ってきたのは、見知らぬ天井だった。
白く、やけに高い。蛍光灯の光が天井のパネルを照らし、部屋全体を冷たく明るくしている。どこか無機質で、夢の中のような、現実感のない光だった。
身体を起こそうと試みるが、自分の身体が、別人のものになったかのように重かった。腕も脚も思うように動かず、指先をほんの少し動かすので精一杯だった。
―ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
規則正しい電子音が、耳の近くで鳴っている。酸素チューブか、点滴か、自分が何かを装着しているのは分かったが、それが何かまでは分からなかった。
「ぁ…」
声が、喉からわずかに盛れた。上手く声が出せないことにそこで気がついた。
そのとき、部屋の外から、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
「……東さん?」
足音の方から、声がした。誰かが自分を呼んでいる。自分を呼ぶ声の方に反射的に顔を向けると、そこにはナース服を着用した女性が立っていた。
どうやら、看護師のようだ。自分が今いる場所が病院であると、ようやく理解した。
「……東さん、聞こえますか?」
名前を呼ばれ、再び看護師の方へ視線を動かして反応してみせると、看護師の表情がわずかに変わった。
「お名前、言えますか?」
「……ぁ…」
口を動かそうとしても、上手く声が出せない。
「……大丈夫です。無理しなくていいですよ」
看護師は落ち着いた声でそう言うと、ベッド脇の機械に目を落とし、慣れた手つきで壁際のボタンに手を伸ばした。
しばらくして、白衣を着た男性が看護師に続いて部屋に入ってきた。
「東 一太郎さん。分かりますか」
「……はぃ…」
今度は声を出すことができたが、喉の奥が擦れるようで、言葉を出すのがきつい。
「ここがどこか分かりますか?」
「病院…でしょうか」
「ええ、その通りです。今日が何月何日か分かりますか?」
「……7月…18日?」
頭をフル回転させて、まだ上手く動かない思考を必死に整理する。
「「……」」
医師と看護師は目を見合わせる。
何かおかしいことを言ったのだろうか。
「東さん、最後に覚えていることは?」
「…学校から帰って…ました」
かすれた声で答えると、医師は優しく頷いた。
「東さん、左右の手を順番に動かしてみてください」
言われた通り、まずは右手から動かそうとしてみる。だが、思ったように動かすことができない。左手も同様だった。
「せ、先生…身体が、思うように動かない、です」
「……大丈夫です。ゆっくりで構いません。いずれ、自由に動かせるようになりますから」
目の前の医師の声が、遠くで聞こえるように感じた。身体はまだ自分のものではないのに、意識だけははっきりしている。
病室は白い光に包まれていて、冷たく静かだ。ベッド脇のモニターのピッ、ピッという音。点滴のチューブがわずかに揺れるたび、金属の音が混ざる。酸素マスクや管が体に絡みつく感覚も、まだ慣れない。
「東さん」
医師の隣にいた看護師の声が、聞こえてくる。
「少しずつで構いませんから、ゆっくり呼吸してみてください」
呼吸を意識する。一回、一回。身体が重く、思うように息が入らない。
その時、看護師が部屋のドアに目をやった。
「お母さんが、来ているそうです」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が大きく動くような感覚が起こった。母親――。病院で目が覚める前のことがハッキリと思い出せず、混乱する頭で必死に心の整理をしようとしていると、ドアが開き、優しい笑顔を浮かべて女性が入ってきた。
「一太郎、目を覚ましたのね…」
目の前の女性――母さんは、白いブラウスに淡い色のカーディガンを羽織り、手には小さなバッグを持っている。目には心配の色が浮かんでいた。
母さんの声は震えていた。俺は一体、どのくらい眠っていたのだろう。どのくらい寝ていれば、母さんにこんな顔をさせてしまうのだろう。
「……かあ、さん」
相変わらずの掠れた声で俺は母さんを呼ぶ。母さんはゆっくりとベッドの横まで近づき、俺の手を握った。母さんの体温が、手の温かさを通して伝わってくる。
「一太郎。あなた、半年もの間、眠っていたのよ。全く、寝坊助さんなんだから」
その言葉で、頭の中が一瞬でぐちゃぐちゃになる。半年――だって?今、半年って言ったか?俺は半年もの間、ずっと眠っていたって言うのか?
とても大きな喪失感が押し寄せてくる。
医師と看護師も、そんな俺の様子を静かに見守っている。言葉も交わさず、モニターの音だけが淡々と時を刻んでいく。
目の前の母さんの顔を見つめながら、長い眠りの後に訪れた現実を、ゆっくりと受け止めようとした。
言われてみれば、外の景色も七月にしてはおかしい。
病室の窓の向こうで揺れている木々は、色が薄い。
青々としているはずの葉は数が少なく、
枝の輪郭ばかりがやけに目に入る。
窓ガラスの向こうの空気は、どこか張りつめて見えた。
夏の湿り気はなく、乾いて、冷たい。
息を吐くと、胸の奥がひやりとした。
この感覚を、俺は知っている。
――冬だ。
その言葉が、心の中で静かに形を持った。
冬だ、と理解した瞬間。
胸の奥に沈んでいた違和感が、ゆっくりと形を持ち始めた。
半年。
たった六ヶ月。
そう言われれば短い期間かもしれないが、学生にとってはとても長い期間だ。
「……学校は」
無意識に、そんな言葉が零れた。
母さんは一瞬だけ言葉に詰まり、それから、いつもの笑顔を作った。
作った、ということが分かってしまうくらいには、俺の意識は冴えていた。
「今は、体のことを優先しましょう。ね?」
医師が小さく頷き、母さんをフォローするように口を挟む。
「記憶の確認は、また改めてにしましょう。今日は、目が覚めただけで十分です」
医師にはそう言われたものの、俺は学校のことが――学校に通う友人たちのことが気になっていた。
この半年間で、彼は、彼女は。
みんな、何か変わっているだろうか。
それとも、相変わらずだろうか。
その答えを、俺は無性に知りたくなった。
俺のいなかった半年間、友人たちはどのように過ごしてきたのかを知りたかった。
母さんの手は、まだ俺の手を握っている。
けれど、その力は、どこか弱かった。
「……友だち、来た?」
何気なく聞いたつもりだった。
「南川くんが、時々来ているわよ」
南川 瞬哉。俺の友人だ。どうやら、彼は定期的に俺のお見舞いに来てくれていたようだ。
眠っているだけなので、会話のひとつもできず申し訳なかったなと思う。
今度来た時は、久しぶりに話をしてやろう。
……"南川、だけ"なのかな。
あの子は、来てくれてなかったのだろうか。
母に"他に誰か来ていなかったか"と尋ねようとしたが、答えを知るのが少し怖くなり、結局聞くことはできなかった。
再び視線を窓の外へ向ける。
冬の空は低く、白く濁っている。
その下で、俺の知らない時間が、確かに積み重なっていた。
長い夢は、終わった。
けれど――
目を覚ました俺を待っていたのは、何もかもが変わってしまった世界だった。
――――――――――――――――――――
〜あとがき〜
ラブコメ作品だけでなく、シリアスな青春ものもやってみたくなったので始めて見ることにしました。思い立ったらなんとやらです。
今やってるラブコメ作品と並行して書いていくので、更新頻度はそこまで高くないかもしれませんが、気長に待っていただけると幸いです。
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昏睡青年〜空白の半年、変わってしまった日常〜 替玉 針硬 @kaedama_barikata
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