王女からは逃げられない
名もなきそよ風
第1話
ボクを構成する要素が、肉体と魂であるならば、肉体は食事と年齢を重ねれば大きくなり、魂は活力と経験を重ねれば強くなるのだろう。
しかしながら、今のボクの魂は──もし魂が目に見える──のならば、桶に張った水が隙間からこぼれるかのように抜けているに違いない。
力が抜ける。
全身から、活力が抜けた。
気怠い。
そのまま流れに身を任せてしまえば、どこまでも落ちていく虚脱感。
虚脱感に身を任せ、目が閉じた。
落ちて行く。
落ちて行く。
落ちて行く。
やがて、吐き気がして来た。
吐き気がした後、下唇が下がり、上唇が上がり、顎が突き出る。
「……おえッ」
誰もいない殺風景なトイレに音が鳴り、目から涙が出た。
全身が冷たくなっていくが、寸前で止めた。
少しだけ頭を働かせた。
仕事が少し、残っている。
本日あてられているタスクというヤツだ。
太陽がてっぺんに上るころにはほとんどの仕事を終えた。
しかし、早く終わるのも善し悪しである。
パタパタパタ
頭をぼーっとさせていると、誰かの足音が聞こえてくる。
あぁ。もう、終わったのか。
見つかってしまったのか。
ボクは物音をさせないように個室のトイレの中で身体を小さくして、息を止め、涙を流す。
「……オーフェクト?いるの?」
「はい、おります!お嬢様。」
聞こえてくるのは少女の声。
同い年の王女は、この王宮内で気を配る必要が無いからかノックすらしない。
それはそうだ。この地を統べる王の娘の一人なのだから。
「……大丈夫?仕事に戻れそう?」
「はい、問題ございません!お嬢様。私の事は心配なさらず、お部屋へお戻りになってくださいませ。」
「……そう……本当に、大丈夫?」
王女が念を押して聞いてくる。
いつもより少し低く、心配して聞いてきている声音が響いた。
個室トイレの扉の前で、耳をくっつけているのだろう、厚い木の壁にも関わらず、声が室内に響き、室内を埋めてボクの耳を刺激。
──王宮内の、男子トイレの中、その内の一つの個室トイレの前で、王女が顔をくっつけているのである。
ボクは観念し、恐る恐る目を開けると、個室トイレの木の扉がぼやけて見えた。
そして鼻水が少し出ているのに気付く。薄暗いトイレの中で、掃除したばかりで消毒液の匂いが鼻腔をくすぐるが、それも吐き気を助長させる一つ。
腐っても侍従として王族に仕える者である。
ボクは王女を心配させることは出来ぬ。それだけは、どうしても。
「大丈夫です!お嬢様……。」
と、それだけをはっきりと伝える。
少なくとも、噂好きの同僚が、「王女が男子トイレに入っていった」などという噂話だけはしないように努めなければならない。
そのためには早急にこの場から離れて頂く必要がある。
「そう……分かったわ。」
ボクは胸を撫でおろした。
王女に意図が伝わったと思ったからだ。
パタパタパタと、王宮内でのみ履いている楽なお履き物の音が聞こえ、徐々に音が小さくなっていくのを耳にそろそろ男子トイレから出られるかと思われた時。
彼女が男子トイレ中に聞こえる声で言った。
「じゃ……早く戻ってきてね♪それまで待っているから♪」
ボクは落ちた。
急に全身から力が抜け、大きな穴と言う穴から液体を出した。
ツツツと、よだれが垂れた。
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