Protocol5:陰謀論者と呼ばれた男
俊作が次に開いた日誌ファイルは、二〇一二年のものだった。
俊作は、フラッシュメモリ内のディレクトリを指でなぞった。
四冊目のデータファイルは、他のものとは明らかに異彩を放っていた。そのファイルサイズだけが異常に肥大化しており、更新履歴には父が死ぬ直前まで何度もアクセスした形跡が残っていたのだ。
ファイルを開くと、スキャンされた手書きのプロトコールの合間に、夥しい数のスクリーンショットが埋め込まれていた。それは、匿名のネット掲示板に書き込まれたデータ改ざんの内部告発や、被害者の遺族が綴った怨嗟のブログ記事だ。
父は、解剖室で沈黙する遺体を見るだけでなく、ネットの海に漂う「行き場のない真実の声」をも拾い集め、このデータの中に閉じ込めていた。
そこには、一人のジャーナリストの名が記されていた。
「河田 雅之(かわだ まさゆき)」
彼はかつて、大手新聞社のエース記者だった。しかし、ある「政府系ファンドの使途不明金」を追及して以来、社を追われ、フリーとなった男だ。以後、彼は過激な政権批判を繰り返し、次第に「陰謀論者」というレッテルを貼られてメディアから黙殺されるようになっていった。
その河田が、自宅のデスクで前のめりに倒れているのが発見されたのは、二〇一二年、十二月の凍てつく夜だった。
【二〇一二年 十二月五日:検体番号 12-L-089】
河田の死は、当時ネット上で激しい憶測を呼んだ。
「消された」「毒殺だ」――そんな書き込みが溢れる一方で、ワイドショーのコメンテーターたちは「生活習慣の乱れによる、自業自得の心不全」と冷ややかに一蹴した。
【外部所見】
被検体は五十一歳。死後約十二時間。
痩身。栄養状態はやや不良だが、致命的な疾患の痕跡はない。
警察は「典型的な心筋梗塞による心不全」として、簡易検視のみで処理しようとした。
私の解剖室に運ばれてきた時、彼の衣服からは独特の、焦げたような臭いがした。
それはタバコの煙でも、生活臭でもない。
父・宗一の筆致は、これまでになく荒々しく、迷いがない。
【内部所見】
心臓を摘出。外観上は正常に見える。
しかし、左心室の心筋組織を薄層切片(スライス)にし、電子顕微鏡下で観察した際、私は自らの目を疑った。
心筋細胞のミトコンドリアが、異常な形態で破壊されている。
通常の虚血(血流不足)による壊死ではない。
特定の**『高周波誘発型薬剤』**に対する反応だ。
俊作はページをめくる指を止めた。高周波誘発型。聞いたこともない言葉だ。
【考察】
被検体は死の前日、何らかの方法で『非活性状態の薬剤』を体内に摂取させられた。それは食事かもしれないし、皮膚への接触かもしれない。
そして、彼がデスクに向かっている最中、特定の波長の電波、あるいは高周波が彼を直撃した。
そのエネルギーに反応し、体内の薬剤が瞬時に活性化。心臓の電気系統を暴走させ、物理的に心筋を焼き切ったのだ。
現代の科学捜査(科捜研)のスクリーニングでは、この薬剤は『ただのビタミン代謝物』として検出されるよう設計されている。
大学の医学部長室には、あの日からずっと、黒塗りの車が止まっている。
私は、鑑定書に筆を走らせた。
死因:急性虚血性心不全。
だが、この日誌を綴る私の指は怒りで震えている。
『これは、病死ではない。これは、科学を冒涜した「殺し」だ』
父はこの一文に、これまでにないほど強くペンを入れた。紙が破れそうなほどの筆圧。それは、無念を押し殺した一人の解剖医の慟哭だった。
俊作は、河田が死の直前に書き遺そうとした記事を探すべく、彼が最後に潜伏していたという雑居ビルの地下にある倉庫を訪ねた。
河田の遺品は、誰にも引き取られることなく、段ボール数箱に詰め込まれていた。
「陰謀論者、か」
俊作は、箱の中から一台の壊れたノートパソコンと、大量の「電磁波測定器」の領収書を見つけた。河田は気づいていたのだ。自分が「目に見えない弾丸」に狙われていることに。だが、彼がそれを訴えれば訴えるほど、世間は彼を「狂った男」として扱った。
俊作は、パソコンのハードディスクを修復業者に持ち込み、辛うじて残っていた最後の一行を復元させた。
『ターゲットを心不全にする方法は三通りある。薬か、氷か、そして「波」だ。司馬という医者が、それを一番よく知っているはずだ』
俊作の息が止まった。
河田は、父・宗一の名前を遺していた。
父は、河田が殺されることを事前に知っていたのか。それとも、河田が助けを求めたのが父だったのか。
その時、修復業者の店の外に、再びあの黒いセダンが現れた。
今度は逃がさないと言わんばかりに、四人の男が車から降り、迷いのない足取りで店へと向かってくる。
「……親父、あんたは河田さんを見捨てたのか。それとも、彼と一緒に戦おうとしたのか」
俊作はノートパソコンを抱え、店の裏口の狭い隙間をすり抜けた。
闇の中を走りながら、俊作の頭の中で、日誌の言葉がリフレインする。
「これは、殺しだ」
世間が「陰謀論」と呼んで葬り去った真実が、俊作の腕の中で重い鼓動を刻んでいた。
父が沈黙を守り続けたのは、この瞬間を待っていたからなのか。
一人の息子が、死者の遺志を継ぎ、沈黙を破るその時を。
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