第2話

「あ〜あ、私もヴァンパイアに噛まれてみたいな〜」


軽い独り言だった。ただ、読んでいたライトノベルの中のヴァンパイアが魅力的だと思ったから。


生存のために肌と唇が触れ合うスキンシップが必須だなんて! 最高の恋人じゃない……なんて考えただろうか。


あの日、私は深夜まで小説の中の吸血シーンを読み、読み……そしてまた読んだ。冷ややかな犬歯が肌をかすめ、やがて流れ出る血を舐めとる……。え、考えてみたら、ちょっと汚い気もする……?


とにかく、当時の私はそんな刺激200%のスキンシップに内心憧れていたから、もしかしたら本当に、ヴァンパイアが存在する世界で生きてみたいという、幼稚で世間知らずな考えを少しでも抱いてしまったのかもしれない。


そして……。


「う……、ううん……?」


目を開けると、なぜか暗い草むらのような場所を走っていた。


「ここは……どこ?」


無意識のうちに足は前へと走り続けており(今思えば生存本能だったのかもしれない)、私が不意にわけのわからないことを呟くと、前を走っていた人々の一人が叫んだ。


「突然何を言ってるんだ?! 早く走れ!!! 捕まるぞ!」


捕まる……? 誰に?


反射的に後ろを振り向くと同時に、私は地面の石につまずいて転んでしまった。


そして、視界に入ってきたのは……私と同年代に見える女の子が一人。


どこをどう見ても逃げ出すべき相手には見えなかったその子は……。


「日が昇る時間だし、仕方ないか。今日はこれで満足して……」


私にじりじりと、近づいてくると。


「うっ!!」


瞬く間に私の肩に牙を突き立てた。


え? ちょっと待って、本当に?


もしかして、この子ヴァンパイア?! 私、今ヴァンパイアに噛まれたの?


その時までの私は、この状況を夢だと思い込んでいたから、恐怖よりも不思議と胸が躍っていた。


それもそのはず、さっきまで小説で満足していたシーンが、実際に自分の身に起きたのだ! オタクとして抗えるはずがない。


「殺しはしないから安心しろ。あんな野蛮な連中とは……」

「……ふふっ」

「気が触れたみたいだな。まあ、たまにあることだが」


葉月凛との出会いは、そんな風に始まった。被食者と捕食者。栄養分を分かち合うその瞬間、私たちはなぜかロマンチックな感情を抱い……たわけではなく。


「ついてくるなと言ったはずだ」

「待ってくださいよぉ……! ここがどこかもわからないのに、私を一人置いていかれたらどうやって生きていけばいいんですかぁ!!」


夢ではないと後になって気づいた私は、必死にしがみついた。


一緒に走っていた人たちはどこまで行ったのか見当たらないし……。目の前にいるのは、さっきまで私の血をちゅーちゅー吸っていたヴァンパイアだけなんだから!! 仕方ないじゃない……。


「世間には『血を分けた兄妹』なんて言葉もあるじゃないですか……。私たち、今血を分かち合った仲ですよね?! ならもう家族ですよ!!」

「……家族」


ずっと前だけを見て歩いていた凛が、冷ややかな表情でこちらを振り返った。どこか触れてはいけない部分を突いてしまったような感覚……。一瞬感じた気味悪さに、調子よく喋っていた私は言葉を詰まらせるしかなかった。


「よくそんなことが言えるな。お前、私が怖くないのか?」

「怖いというか……殺すわけでもないし、血も……そんなに、ものすごく……! たくさん召し上がってませんでしたし……?」(5mlくらいだった)


ただ膝の擦り傷を舐め取った程度のレベルだったから……。ああ、でも頻繁に吸われたら貧血になるかも。


「ああ。血液はヴァンパイアにとって必要不可欠だが、主食ではないからな。その程度なら三日に一度で十分だ」

「なんだ……それなら蚊よりも少食じゃないですか」

「蚊……? というのが何かは知らないが。おそらく人間たちは、その程度すら惜しいらしい」


それはちょっと冷たいな……。この世界には、一度くらい吸血鬼に噛まれてみたいと思う人は一人もいないのかな?(元の世界でも珍しいけれど)


むしろ噛まれた場所が痒くもないし、少しチクッとする程度で、どちらかと言えば蚊よりマシな気がするんだけど……。


「もちろん、ヴァンパイアの中には人間の肉や臓器を狙う奴らも珍しくないから、理解はできるが」

「……はい?! 『珍しくない』って、どれくらい……」

「半分以上はそうだろうな」


それなら吸血どころの問題じゃないじゃないですか……?! 逃げ出すのも納得だよ!


あれ? じゃあ私、今ヴァンパイアと一緒にいて大丈夫なのかな……?


本来ならもっと前から抱くべきだった不安が、今さらになって湧き上がってきた。


「まさかこのまま私を家に連れ帰って、人間ドック……じゃなくて人間肉にするつもりじゃ……?!」

「おい、もしかしてお前、少し頭が悪いのか? ついてきたのはお前だろう」


人間なんて不味くて食べる気もしないし。


その言葉を聞いてようやく少し安心した私は、一歩下がって凛の後をついて歩いた。


凛もそれ以上、私を追い払おうとはせず、そうして辿り着いた場所が……。


『聖リュメール高校』寄宿舎。


陽の光が届かない深い森の中に建てられた、かなり大きく見える学校だった。


漫画に出てくるセレブの子供たちが通っていそうな、どこか中世の建築物のような雰囲気もあった。


「わぁ〜、ヴァンパイアも学校に通うんですか?」

「ヴァンパイアしかいない学校だからな」


え?


一瞬、わけもわからず虎の穴に入った雀のような気分になった。


もしかして、私このまま朝食ビュッフェのメニューとして紹介されるの? なら、せめてメインディッシュで……。いやそうじゃなくて、どうしよう……? 今からでも逃げるべきかな?!


「お前が通うことになる学校だ。よく見ておけ」

「……はい?!」


今、どこに……通えって? 私の肉と内臓と5mlの血を付け狙う化け物の巣窟に?!


「ヴァンパイアのところに連れて行けと言ったくせに、何を期待していたんだ?」


家で飼われる愛着ペットくらいを期待してましたけど…….


「名前は?」

「あ、篠崎ひなた……ですけど……」

「『篠崎ひなた』。お前は今日から、ヴァンパイアに偽装して私と一緒に学校に通うんだ」


だから、それが私の思い通りにいくものなんですか?!!


あの日から私は、四方がヴァンパイアでひしめき合うここ、『聖リュメール高校』の生徒になった。どんな手を使ったのか入学手続きはあっという間に進み、無事に適応して現在は2年生の1学期! なんと半年もバレずに過ごしてきたのに……!!


そんな、とんでもない告白を受けることになるなんて……。


「うぅっ……! 今日はちょっと強く噛むね……」

「気のせいだ」


入学と同時に凛と同じ寄宿舎で過ごすことになった私は、定期的に凛の吸血を受け入れなければならなかった。別に難しいことではないし、外へ狩りに出るよりはこの方がずっと安全だとか。とにかく、お世話になっている立場として断る理由もなかった。


それよりも……。


「ひなた、本当に大丈夫? あの先輩がまた殺そうとしてきたら……」

「……そうだな。私の手で先に殺すという方法もあったか」

「いや、そういう意味じゃなくて……!」


前から感じていたけれど、ヴァンパイアにとって命という概念はどれほど軽いものなんだろう……。


あろうことか校則に『殺害現場は綺麗に掃除して立ち去ってください』という恐ろしい項目があったくらいだ……!


「ヴァンパイアはもしかして、復活ができるの?」 「そんなわけないだろう。ただ、役に立たないものに執着しないだけだ」


命が役に立たないものなら……。こいつらにとって『役に立つもの』なんて存在するのかな?


進化論的な観点から、どうやって種が維持されてきたのかも疑問だよ!!


「私たちにとって重要なのは血だけだ。それは、飲む血だけを意味するのではなく、自分の血を他人と分かち合うという点でも同じだ」

「理解はできないけど……。じゃあ、凛もそうしたい人がいるの?」


もし凛も恋に落ちたら、聖良先輩みたいに変わってしまうのかな。


凛は肩を止血していた手を止め、私の目をしばし見つめると、再び視線を逸らした。


「すでに血なら分かち合っている」

「え? 本当に? 誰と?」

「お前が一生悩んでもわからない相手だ」


まさか、あの堅物なブリキのロボットみたいな凛が……?!


そうなんだ……。恋人……いや、夫婦というべきかな? もういたんだ。


「ちょっと寂しいな〜。半年も知り合ってるのに」

「ヴァンパイアにとって半年は短い時間だ」

「あ、ヴァンパイアは永生するとかそういうやつ?」

「……どこでそんな知識を仕入れてくるのかは知らないが、そうだ。老いて死ぬという概念はない」


もしかして高校生だというから「そのくらいの歳かな〜」なんて思っていたけれど……。凛、思ったより年上なのかも。すでに私の十倍は生きてるとか、そういう感じじゃないの?


「ろくでもないことを考えているのが丸見えだぞ」

「ろくでもないなんて! 重要な問題だよ」


160歳と友達になるなんて、人間の通念上、簡単なことじゃないんだから!


まあ、それも大したことではないという風に言うんだろうけど……。


「お前が死んだ後も、血をくれる人間なんていくらでもまた探せばいいからな」


……そんな無責任なこと、微塵も感じたことなんてありませんからね?!

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