【最終章:さよならより先に、約束を】

 葬儀の日は、

 驚くほど静かだった。


 空は晴れていて、

 雲も少ない。


 あの日の朝と、

 よく似ていた。


 会場に入ると、

 白い花の匂いがした。


 多すぎず、

 少なすぎず。


 澪らしいと、

 思ってしまった。


 棺の中の澪は、

 眠っているみたいだった。


 今までで、

 一番静かな顔。


「起きろよ」


 心の中で、

 そう言ってしまった。


 当然、

 返事はなかった。


 紗良は、

 ずっと澪のそばにいた。


 泣いていなかった。


 目は赤いけど、

 涙は落とさない。


「……来てくれて、ありがとう」


 そう言って、

 小さく頭を下げる。


「うん」


 それしか、

 言えなかった。


 式が始まる。


 僧侶の声。

 読経。

 静かな音。


 どれも、

 現実感がなかった。


 俺の中では、

 まだ「昨日」だった。


 昨日まで、

 澪は生きていた。


 弔辞の時間。


 親族の言葉。

 短い思い出。


 知らない澪の姿が、

 次々に語られる。


 でも、

 どれも澪だった。


 それが、

 少しだけ救いだった。


 式が終わり、

 人が少なくなった頃。


 紗良が、

 俺に声をかけた。


「……これ」


 差し出されたのは、

 あのノートだった。


「澪がね」


「朝比奈に、

 渡してって」


 手が、

 震えた。


 帰り道。


 ノートは、

 鞄の中で、

 ずっと重かった。


 開くのが、

 怖かった。


 でも、

 家に着いて、

 結局開いた。


 最初のページ。


 見慣れた文字。


 途中から、

 少し歪んでいく。


 それでも、

 澪の字だった。


『行きたい場所』

『やりたいこと』


 ほとんどに、

 小さな丸が付いている。


 完璧じゃない。


 でも、

 十分すぎる。


 最後のページ。


 空白。


 約束通り、

 何も書かれていない。


 俺は、

 しばらくそのページを見つめた。


 そして、

 ペンを取った。


『今日は、

 よく晴れている』


『澪がいなくなって、

 世界は変わらない』


『でも、

 俺は変わった』


 言葉が、

 止まらなかった。


『澪と行った場所は、

 まだそこにある』


『澪が見た景色も、

 きっと同じ』


『だから』


『俺は、

 ちゃんと生きる』


 書き終えたとき、

 初めて泣いた。


 声を出して。


 止められなかった。


 数日後。


 紗良と、

 久しぶりに会った。


 カフェ。


 以前、

 三人で行った場所。


「ここ」


 紗良が言う。


「澪、

 好きだったよね」


「うん」


「……また来ようって、

 言ってた」


 俺は、

 うなずいた。


「ねえ」


 紗良が、

 少し迷ってから言う。


「朝比奈は」


「これから、

 どうするの」


 すぐには、

 答えられなかった。


 でも、

 嘘はつきたくなかった。


「……生きるよ」


 それだけ。


 紗良は、

 少しだけ笑った。


「それで、

 いいと思う」


 帰り道。


 夕焼け。


 あの日の海を、

 思い出す。


「また来れる」


 そう言った。


 嘘じゃなかった。


 夜。


 ノートを、

 もう一度開く。


 最後のページの下に、

 小さく書き足す。


『さよならより先に』


『約束を』


『守るのは、

 俺だ』


 窓の外。


 星が、

 少しだけ見えた。


 澪が、

 好きだった夜空。


 朝は来る。

 来なくても、

 人は生きる。


 それが、

 澪が残した、

 一番大きな贈り物だった。


— 完 —

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